キエフ大公ウラジーミル1世

ウラジーミル1世像 photo by Дар Ветер/Wikipediaより引用

ロシア

寵姫800人のハーレムから聖人君主へ~ウラジーミル1世の変わり身が凄い

ムキムキなワイルドボディや柔道姿。

あるいは北斗の拳・サウザーのようなバイクで何かと話題になりがちなプーチン大統領。

本名はウラジーミル・プーチンといいますが、10世紀から11世紀にかけて彼と同名の聖人がキエフ(ウクライナの首都)におりました。

キエフ大公ウラジーミル1世――。

聖人というからには、おとなしくて優しい人物かな? と思われますが、これがまたワイルドな英雄でして。

一体どんな人物だったのでしょうか。

 

祖母オリガと父スヴャトスラフ1世

ウラジーミル1世の場合、祖父よりも祖母のほうが有名です。

なぜなら祖母のオリガもまた聖人になっています。

聖人の祖母というと非常に優しい女性のようにも想像しますが、オリガは夫が暗殺されると、手を下した部族を徹底的に滅ぼしたことでも有名です。

ただし残虐なだけの女性でもありません。

優れた行政手腕とキリスト教を広める努力で聖人と認定されました。

(微笑を浮かべて)生き埋め、斬殺、炎風呂!聖オリガの凄まじ過ぎる復讐劇

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そんなオリガの息子であるスヴャトスラフ1世(つまりウラジーミル1世の父)は、父親が暗殺された時わずか3才です。

優れた統治者である母が摂政をつとめておりました。

スヴャトスラフ1世は母を敬愛していたものの、どうしても理解できないことがありました。

キリスト教への信仰心です。

「キリスト教の教えは、“右の頬を殴られたら、左の頬を差し出せ”だという。そんな軟弱な教えを守って国を統治できるのか」

当時のキエフ大公国は、周辺諸国と争うまさしく乱世です。

根っからの猛将であるスヴャトスラフ1世にとって、キリスト教の教えなど聞くもおぞましいもの。

オリガは息子の態度や、キエフにキリスト教の信仰が広まらないことを悩みつつ、969年に世を去りました。

根っからの猛将、戦の申し子であるスヴャトスラフ1世は、各地を征服して回りました。

そして972年、さしもの彼も不覚を取ります。

ドニエプル川で敵対するペチェネグ族の待ち伏せにあい、渡河の途中で殺されてしまったのです。

スヴャトスラフ1世の最期/Wikipediaより引用

彼の頭蓋骨は敵の手にわたり、金箔を張り付けて酒の杯にされたそうです。

織田信長浅井長政の逸話を思い出しますが、古今東西こうした行為をする人はいたようです。

 

三人の息子たちによる兄弟喧嘩

40手前で亡くなったスヴャトスラフ1世には、三人の息子がいました。

・長男ヤロポルク

・二男オレーグ

・三男ウラジーミル1世

ウラジーミル1世の母はマルーシャという奴隷でした。

ゆえに一段低く見られておりましたが、三人の息子たちは父の王国を三分割し、統治することになります。

しかし、平和は長続きしません。

972年、二男オレーグが、長男ヤロポルクの家臣を射殺。事故か、故意かはわかりませんが、これは実質的な宣戦布告です。

ヤロポルクとオレーグは兄弟で争い始め、977年、足を滑らせたオレーグは水に転落し、溺死してしまいました。

ウラジーミル1世は身の危険を察知し、スカンジナビアへ逃亡します。

そしてそれから三年後(一年後説も)、軍隊を率いて祖国へ戻るのでした。

強力な指導力のもと、兄の支配地を次々に陥落させて進むウラジーミル1世。猛将だった父譲りの才が開花します。

長男ヤロポルクは、二男オレーグよりはるかに厄介な弟に困り果てました。

そんなとき、ウラジーミル1世から和睦交渉をしたいと申し入れがあったのです。

「アイツも話が通じるなぁ。兄弟で争いはよくないよねー!」

と、交渉に向かったヤロポルクに、お約束の展開が待ち受けています。

ヤロポルク公の暗殺/Wikipediaより引用

はい、暗殺です。

 

ヒャッハーを楽しむウラジーミル1世

ウラジーミル1世は兄ヤロポルクを始末すると、兄の妻が避難していた修道院へ馬で向かいます。

彼女はギリシャ人の修道女で、スヴャトスラフ1世が遠征中に美貌に目を留め、略奪して息子に与えたという気の毒な女性でした。

悲劇は繰り返されます。

ウラジーミル1世は修道院に乗り込むと、兄嫁を引きずり出して陵辱し、そのまま妻にしてしまいます。

さらにウラジーミル1世は7人もの妻を娶りました。その中には神聖ローマ皇帝オットー1世の孫娘もいました。

それだけではありません。

彼は800人もの寵姫(ちょうき)が侍るハーレムを作ったのです。

領土内の各所に寵姫を置き、いつでもどこでも好みのタイプの女性と楽しむ日々。

ウラジーミル1世と妻の一人ログネダ/Wikipediaより引用

ウラジーミル1世は大神殿を建てると、地元で信仰されている様々な神の巨大な像を祭りました。

それだけでは飽き足らず、キリスト教徒の戦士とその幼い息子を神殿に引きずり出すと、人身御供として捧げたのです。

こうしたウラジーミル1世の蛮行の数々を聞き、周辺諸国の人々は震え上がりました。

一方で、彼に宗教を勧めるチャレンジャーもいました。

イスラム教徒はこう語ります。

「割礼をし、酒を飲まず、豚肉を口にしなければ、死後天国で美女たちと楽しむことができます」

ウラジーミル1世は美女とのお楽しみについては興味を示しましたが、飲酒禁止と聞いて、興味を失いました。

「酒を飲めない人生なんて、つまらなすぎるだろ」

ユダヤ教徒には「キリスト教徒にイスラエルを支配されているくせに、布教するとかおまえらなめてんのかよ」と全否定発言をします。

トランプ元大統領も真っ青の問題発言ばかりですね。

 

嗚呼美しきコンスタンティノープルの教会よ

かくして手の付けようのない恐ろしい男として、名前を知られたウラジーミル1世。

そんな彼も、とある家臣の報告には興味を持ちました。

コンスタンティノープルを偵察してきた者です。

「おう、コンスタンティノープルはどうだった?」

ウラジーミル1世が尋ねると、家臣はうっとりと語り出します。

「コンスタンティノープルの教会は、まるで地上の楽園のような美しさでした。あぁ……この地上に、あのような栄光と美しさに満ちた場所があるなんて……」

コンスタンティノープルの聖ソフィア聖堂内部/Wikipediaより引用

思い返せば、ウラジーミルの祖父・イーゴリ1世は、コンスタンティノープル攻略の際、原始的な火炎放射器「ギリシャの火」で撃退されてさんざんな目に遭い、その帰路で暗殺されました。

イーゴリ1世の妻である祖母オリガは、コンスタンティノープルに赴き洗礼を受け、キエフにキリスト教を根付かせようとしました。

ウラジーミル1世には、祖父母とコンスタンティノープルの因縁が蘇ったことでしょう。

そしてその縁は、やはり終わりではなかったのです。

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