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北野天神縁起絵巻/wikipediaより引用

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飛鳥・奈良・平安時代 その日、歴史が動いた

本当は怖い?or怖くない? 雷神・菅原道真の通りゃんせ・・・

更新日:

 

日本が多神教の国だというのは今更の話ですが、他の国と比べて特徴的なことがひとつあります。
「人物神」といって、生前優れた業績を残した人や死後に祟りを引き起こしているとされた人を神様扱いすることです。

しかしそれでいて絶対的にエラい存在だと見なされているかというと、そうでもないのがまた面白いところで・・・。
今回は日本人の誰もが知っている、そんな神様のお話。延喜三年(903年)の2月25日は、菅原道真が亡くなった日です。

菅原道真/wikipediaより引用

菅原道真/wikipediaより引用

 

道真の政敵が次々に亡くなったのは祟りに違いない!

道真の一生については取り上げたことがあります(過去記事:天神様菅原道真が学問の神となる伏線が張られた日【その日、歴史が動いた】)ので、今回は命日にちなみ、亡くなった後のお話を致しましょう。

道真=天神様ですが、実は当初祀られたときから比べると随分様変わりしています。

本来は、「皇居に落雷があったり、道真の政敵が次々に亡くなったのは祟りに違いない」ということから、雷神として扱われました。もともと京都の北には「火雷天神」という雷神が祀られており、ここに道真の社を建てることで神様の力を借りながら鎮めようとしたのでしょう。

ものすごく俗っぽい言い方をすると、「同僚みたいなもんなんだからあいつなんとかしてよ」ってとこでしょうか。
流罪になっていた道真の息子達についても「もう帰ってきていいよ(だからお父さんなんとかして)」というお達しが出され、道真の怨霊はめでたく鎮まりました。

しかしそれまでの間のインパクトが強すぎて、しばらくの間は何かしら天災が起きると皆「道真の祟りじゃああああ;」と言っていたそうです。とんだ濡れ衣ですね。

北野天神縁起絵巻/wikipediaより引用

北野天神縁起絵巻/wikipediaより引用

 

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気付いたら同一視されるようになっていた

百年ほどしてそれが下火になると、今度は火雷天神のほうが忘れられかけました。そりゃこんな印象の強い話を持っている人(神)と担当部署が同じでは、影が薄くなるのも仕方ないことです。

そうしていつしか火雷天神と道真は、同一の存在と思われるように・・・。こういうのどこの国でもよくあることなんですが、よくよく考えたら「私とお前は同一人物だったのだよ!」「ナ、ナンダッテー!!」な話ですよね。昔の人の感覚ってすげえ。

さらに、「そういえば道真ってスゲー頭良かったじゃん。お参りすれば俺も頭良くなるかも!?」というように、道真=天神様を学問の神様と見なす人々が現れました。時代が下るにつれて「そういえば書道も得意だったよね」「歌もスゲーじゃん」「学問をする子供も守ってくださらないかしら」なんて風に、書道や歌道の神、そして子供の守り神だと見なされていきます。

今更ですが天神様大忙しやな。

太宰府天満宮

太宰府天満宮/wikipediaより引用

 

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天神様のお通りじゃ~♪ 行きは良い良い、帰りは・・♪

一方で、ちょっと怖い見方もされています。

「天神様のお通りじゃ」という歌詞で有名な歌、「通りゃんせ」です。よく知られているメロディーは比較的最近つけられたものですが、歌詞は江戸時代あたりに出来たといわれています。

最近のお若い方だと全部ご存じない方もいるかもしれませんので、歌詞を全部書いておきましょうか。

【通りゃんせ】
通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの細道じゃ
天神さまの細道じゃ
ちっと通して下しゃんせ
御用のないもの通しゃせぬ
この子の七つのお祝いに
お札を納めに参ります
行きはよいよい、帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ

多分「天神様は怖い神様だから気をつけないといけない」というような解釈をされている方が多いと思うのですけれども、この歌詞ができた頃には、上記のように天神様=子供の守り神でもあるとみなされています。
ならば、お札を納める=信仰している証拠を示したのに、なぜ帰り道が不穏であるというような歌詞になったのでしょう?

子供一人で行かせたならそりゃ帰り道が心配にもなるでしょうが、わざわざ「この子」「お祝い」といっているからには親が連れて行ったのでしょうし。七歳にして自分のお祝いを自分ひとりでするとか何それ寂しい。

口頭で歌が広まった結果、少しずつ変わっていって謎めいた歌詞になったというのもありそうですけどね。

大阪天満宮の博多人形『幼少の菅原道真』/wikipediaより引用

大阪天満宮の博多人形『幼少の菅原道真』/wikipediaより引用

 

天神様に喧嘩を売るような真似して祟は大丈夫なんすかね

一部では、いろは歌や「かごめかごめ」と同様、この歌詞を埋蔵金のありかを示す暗号だと考えている人もいるようで。

ある意味天神様にケンカ売るようなもんだと思うんですが、それに対する祟りとかないんでしょうか。千年経てば人(神)格も丸くなるんですかね。”あの”細川忠興ですら、晩年には「明石の浦の牡蠣のように、荒波に揉まれて苦労した人が良い人材だ」と言っていますし。

まして上記のようにアレコレ役目を増やされてしまった天神様であれば、菩薩のような慈悲心があってもおかしくはありません。でなかったら多分キレてるでしょう。

そうすると結局歌詞がイミフになる気がしますが、まあ所詮人間ごときに神様のお心はわからないということで(丸投げ)

 

長月 七紀・記

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参考:菅原道真/wikipedia 天神信仰/wikipedia 通りゃんせ/wikipedia

 

 




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