平家滅亡の原因は凡将・平宗盛の責任? それとも平清盛の驕り?

 

世間一般的にイメージの悪い人でも、「家族には優しかった」「良い父親・母親だった」というケースは珍しくありません。本日は源平時代におけるそんな人のお話。

元暦二年(1185年)6月21日は、平清盛の息子・宗盛が処刑された日です。

平家物語での扱いがあまりにもヒドいので、本日は少々この人の弁護というか良いところをお話していきましょう。
ぶっちゃけた話、能力の低さは否定できないんですけどね……。

 

生まれは微妙だが、平重盛とは割と仲良くやっていた

そもそも宗盛は、清盛の継室(後妻)の長男というビミョーな立場に生まれました。
清盛の最初の正室の子である長兄・重盛の出来が良かったので、嫡男ともいいきれず、かといって十把ひとからげにするにも体裁が悪いという立ち位置だったのです。
とはいえ、重盛とは10歳離れていたので、あまりぶつかり合うことはありませんでした。もっと歳が近かったら血で血を洗うような状況になっていたかもしれませんね。

若い頃は重盛と代わりばんこのような形で出世していき、仁安二年(1167年)、清盛が太政大臣の位を降りて隠居してからは、跡を継いだ重盛の次に宗盛が位置します。
また、宗盛は母・時子の異母妹である滋子(後白河法皇妃・建春門院)に仕えていたので朝廷とのパイプもあり、滋子の同母妹・清子を妻に迎えていました。
これまたヘタに能力がある人だったら野心を抱きそうな構図ですね。

南北朝時代の平清盛さん肖像画。意地悪そうな顔してまんな・・・/Wikipediaより引用

 

清盛のクーデターの後始末を・・・

相変わらず重盛との密かな官位競争は続いていたようですが、重盛が清盛の後継者であることが明確になったため、感情的な面で二人の関係が悪化することはなかったようです。
が、このタイミングで滋子が亡くなったため、清盛と後白河法皇の関係が悪化。宗盛は上記の通り滋子に仕えていたこともあって、後白河法皇と比較的良い関係を保っており、重盛と共に仲裁に努めた事もありました。

この辺から宗盛が貧乏くじを引き続けているような気がします。

まず、後白河法皇の子・高倉天皇に嫁いでいた妹・徳子が懐妊したとき、宗盛の妻・清子が乳母に選ばれたのですが、その後清子が急死してしまいました。
この夫婦には特別なエピソードはないものの、宗盛は自ら辞職するほど悲しんだそうですから、よほど仲の良い夫婦だったのでしょう。
宗盛はこれ以降、自分からは政治に関わろうとはしなくなります。

しかし、長兄・重盛が清盛よりも先に亡くなったことで、引っ込んでもいられなくなりました。

重盛の領地を後白河法皇が強引に召し上げたことが発端となり、清盛は法皇に対しクーデターを敢行。朝廷のお偉いさんを平家と親しい人ばかりに入れ替え、後白河法皇を幽閉して福原に引き上げるという暴挙を働いたのです。

このときの後始末を押し付けられたのが宗盛さん・・・。しかしまだ政治経験が豊富とはいえない状態でやらされたので、結局は清盛が再び処置をしています。二度手間じゃねーか。

なにかとキャラの濃い後白河法皇さんどす/Wikipediaより引用

 

政治からは離れたものの軍事面ではまだまだ活躍

これに懲りたのか、清盛の孫であり、宗盛にとっては甥の安徳天皇が即位したときも、積極的に政治へ関わろうとはしていません。代わりに?軍事職には就いていますが。
後白河法皇の第三皇子・以仁王が挙兵した時には、宗盛を含めた平家軍がこれを討ち取り、その褒美として息子・清宗が叙爵を受けていますので、武働きをするのは嫌ではなかったようです。まあ、そのくらいはしないと今度は自分が粛清されてしまいますからね。

しかし、ここまでのやりたい放題で既に民心は平家から離れており、源頼朝をはじめとした平家討伐の軍が起こります。
こうなるとやはり宗盛も黙ってはおれず、富士川の戦いで平家軍が逃げ帰ってきたとき、宗盛は清盛と激しい口論を繰り広げたといわれています。元々従順だった上、しばらく政治から遠ざかっていた宗盛までもが清盛に反対したということは、平家の行く末を暗に示していたとも言えましょう。

ここで安徳天皇の父・高倉上皇が崩御し、後白河法皇が院政を再開することになりました。この時点でも宗盛はまだ朝廷とのパイプを持っていたらしく、高倉上皇の遺命として、近畿一帯の軍事指揮権を与えられています。
宗盛は準備を整えて関東へ攻め込む気でいたようでしたが、このタイミングで清盛が病気になったため、延期せざるを得ませんでした。
この間に源氏は勢いを増してしまっています。当時の人も「もう嫌な予感しかしない」と思っていたことでしょうね。

 

墨俣川の戦いで勝利→調子こいて大ポカをやらかし

清盛の死後、平家の棟梁になった宗盛は、まず後白河法皇に恭順する姿勢を見せました。

その一方で、父の遺言に従って源氏追討を主張することも忘れませんでした。
ただし、墨俣川の戦い(過去記事:源行家が独断で挑んだ「墨俣川の戦い」でフルボッコ 源氏ってマジ問題児だらけやん!)で勝って美濃・尾張を掌握してしまったがために、一旦東国から目を離し、兵を西国へ向かわせるというどでかいミスをやらかします。

その間に、平家の地盤があった北陸を含め、東国はあっという間に源氏+αの優勢となってしまいました。あーあ。
というか、「東西や南北といった両サイドに敵がいるときは、どちらかを完全に倒さない限り転進してはいけない」というのが戦のセオリーですよね。そもそもそういった状況に陥るのを防ぐものですが。

ちなみに西国は西国で平家に対する反乱が起きていたので手こずりまくり、さらに兵糧にも困るというgdgdぶりでした。
もうどうあがいても勝てる気がしません。

そして10万騎(実際はもっと少ないと思われ)ともいわれる大軍を送った北陸では、倶利伽羅峠の戦いで木曽義仲にボロ負けしてしまい、平家一門揃って京都から逃げ出します。安徳天皇や建礼門院も一緒でした。
……どう見ても人質にしか見えませんが、既に求心力0どころかマイナスになっていた平家に付き従う貴族はおらず、ますます悪あがきっぷりが際立ってしまいました。

 

平家物語でボロクソに書かれてしまう

宗盛としては大宰府で体勢を立て直すつもりでいました。が、これも失敗。
後白河法皇も「もうあいつら知らん」とさじを投げ、義仲に平家追討を命じます。

ここでビミョーに運の良いことに、源氏内で仲間割れが起きたため、瀬戸内海の屋島・彦島で足固めをすることができました。
義仲と宗盛の間で一時和平案も出されましたが、お互いに信頼しきることができず、実現しないままに終了。ここで和平を取り付けられていたら、平家の血筋は残り、義仲も大手を振って源氏で重きを成すことができたのでしょうね。

現実には皆さんご存知の通り、義仲は範頼・義経兄弟に打たれ、平家は一の谷・屋島・壇ノ浦の戦いを経て滅びてしまっています。

ここからが平家物語で宗盛をボロクソに書いている部分です。

「壇ノ浦の戦で平家の主だった人物が海に身を投げたとき、宗盛は命を惜しんで逃げ回っていたので、呆れた味方が突き落とした。しかし宗盛は泳ぎがうまかったので助かってしまった」という話なのですが……覚悟が決まる前にいきなり突き落とされたら、普通暴れますよね?(´・ω・`)ひどいのはどっちだか。

tomorroweye武士

 

皆の前で命乞い!って、そりゃ嘲笑されるやろ

そして宗盛は、息子・清宗とともに義経によって鎌倉へ護送され、頼朝の前に引き出されました。

このとき頼朝は御簾の内側にいて、息子・頼家の舅である比企能員(ひきよしかず)を通して会話したといいますから、かなりの屈辱を感じたことでしょう。
しかも周りにはかつて平家に仕えていた者も集まっており、その前で宗盛は命乞いをしたため、周りから嘲笑されたといわれています。

確かにみっともないといえばみっともない話ですが、既に末路が見えている人に対してよってたかってpgrとかm9(^Д^)プギャーみたいな態度取らなくたって・・・。似たような話として、関が原の後捕らえられた石田三成に対する諸将の反応がありますね。

しかし、宗盛は鎌倉では死んでいません。清宗と一緒に、再び京都へ送り返されています。
「かつて源義朝が家来に裏切られて殺された、尾張内海で処刑されるのだろう」と思っていたそうですが、そこを通り過ぎたので、わずかな期待を抱いていたとも言われています。
この時点では(も?)息子のほうが冷静で、清宗は「そんなわけはない。もう夏だから、もっと京に近づいてから斬られて、首をさらされるに違いない」と思っていました。しかし、父が少し明るい顔になったところへそんなことを言ったら、追い討ちをかけることになってしまいます。ですから、清宗は黙っていました。

 

斬首された首が京へ送られ、市中引き回し

果たして清宗の予想通り、近江篠原というところで宗盛は息子と引き離されます。
そこで宗盛も流石に悟り、「これまで恥をさらしてきたのも、息子のことが気にかかって仕方なかったからだというのに、あんまりな話だ。たとえ首を打たれても、体は同じむしろに横たわろうと約束していたのに」と嘆きました。が、時既に遅し。

まず宗盛が首を落とされ、その様子を聞いた後で清宗も同様に処刑されました。二人の首は京都に送られ、市中を引き回されたといいます。これはそれまでに前例のないことでした。

生きてからも死んでからもこのような屈辱を味合わされたとなると、壇ノ浦で果てていたほうがよかったかもしれませんね……。
妻や息子に対する上の深さからして、もしもっと平家が安定していた状態で家を継いでいたら、宗盛への評価は違ったものになっていたのではないかと思います。

将としての能力がイマイチだったことはともかく、家庭人として良い人だったことは間違いないですし。……甘すぎますかね?

長月 七紀・記

参考:平宗盛/Wikipedia 日本古典文学摘(平家物語)

 

 


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