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その日、歴史が動いた 災害・事故

マグニチュード9.0のリスボン大震災(1755年) 時の宰相・セバスティアンはいかに対応したか

更新日:

いざというとき頼りになるものはお金や家族・友人知人ですが、もう一つ大事なものを付け加えたいところです。

「お偉いさんがどれだけまじめに仕事をしてくれるか」

先日も、熊本市長が率先してツイッターなどで積極的に自身の声を届けたことが話題になりましたよね。また、某アイドルグループのリーダーさんなどがお忍びで避難所を訪れ、活動に参加したことも多くの人を励ましました。
売名だなんだとレッテル貼りをする人もいましたが、四の五の言わずに「今必要なこと」をやった彼らに、悪意ある評価は的外れといわざるを得ません。
本日はとある大災害の際、彼らのように迅速に活動した、とある国のお偉いさんのお話です。

1699年(日本では江戸時代・元禄十二年)5月12日は、後にポルトガル宰相となるポンバル侯爵セバスティアン・デ・カルヴァーリョが誕生した日です。

「ポルトガル」と「災害」でピンと来た方もいらっしゃいそうですが、本日は彼の生涯を追いかけながら、その点についても見ていきましょう。

セバスティアン/wikipediaより引用

【TOP画像】リスボン地震/wikipediaより引用

 

同盟国イギリスによって経済的苦境に追い込まれていたポルトガル

セバスティアンは、ポルトガルの首都・リスボンの小さな貴族の家に生まれました。
長じてからヨーロッパ有数の名門・コインブラ大学で学んだ後、軍に入り、最初の結婚をしています。
若い頃から能力を認められていたようで、大使としてロンドンやウィーンでの駐在も経験し、他国と自国の違いや差を肌で感じとってきたのでしょう。

当時の王妃マリア・アナがオーストリア・ハプスブルク家の出身だったことで目をかけられましたが、その夫である国王ジョアン5世には嫌われてしまいました。男のプライドみたいなものも関係していたかもしれませんね。
しかし、次に王位を継いだジョゼ1世はセバスティアンを最初から信頼し、外務大臣の後、国政全体を任せていきます。

当時のポルトガルは、同盟国であるはずのイギリスによって経済的に苦しい状態になっていました。
1703年に結ばれたメシュエン条約により、ポルトガルのワインを買ってもらう代わりにイギリスの毛織物を優先して輸入しなくてはならなかったため、国内の毛織物が大打撃を受けてしまったのです。

ちなみに、ポルトガルの儲けよりイギリスの儲けのほうが大きく、それが産業革命の資金になったといわれています。
つまりイギリスは同盟国を踏み台にして世界の工場になったわけです。ゲスい。
まあ、ポルトガルの財力も南米その他の植民地からぶんどったものなので、「金は天下の回り物」といったところですが。

 

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推定マグニチュード8.5-9.0のリスボン地震

織物とは少し違いますが、ポルトガルには編み物にゆかりのある習慣がいくつか存在します。
ポルトガルでは10代半ばくらいから親戚や知人が嫁入り道具を少しずつ贈るという習慣があるのですが、その中にも手編みの品はよく選ばれるのだとか。また、「ポルトガル式」という一見アクロバティックな糸のかけ方をする編み方もあります。そのくらい、編み物や毛糸が生活に根付いているわけですね。

それが敵国ではなく同盟国のイギリスにやられたというのは、笑うに笑えません。
アメリカから見た日本車もこんな感じなんですかね。でも税率38%はおかしい。今は現地生産ですし。

話を18世紀のポルトガルに戻しましょう。
そんなこんなで苦しい財政を立ち直らせるべく、セバスティアンは多方面の対策を行いました。工業・商業の推進や軍の再編、母校コインブラ大学に新しい研究施設を作ったり、幅広い視点で改革を行ったのです。

が、その手を遮るかのように、彼が宰相になったのと同じ年、リスボンを大きな災害が襲いました。

1755年11月1日のリスボン大地震です。

当時のリスボンは「都市計画? 何それおいしいの?」状態で、空いてる土地にガンガン建物を造っていたため、崩れた建物や火災旋風に巻き込まれて亡くなった人も多かったとされています。
27万人いた人口のうち1/3以上が亡くなったといわれていますから、その光景たるや「想像を絶する」という言葉ですら生温いでしょう。

ちなみに、ジョゼ1世も王妃とともに被災し、一時馬車の中に閉じ込められてしまったことで、その後重度の閉所恐怖症になってしまったそうです。
もともと政治には積極的とはいえない王でしたが、これでは遅かれ早かれ政治から遠ざかっていたでしょうね。

震災後、廃墟と化したリスボン市街/wikipediaより引用

 

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犠牲者の遺体を沖合で水葬し、疫病を防ぐ

公共施設も多く被害に遭い、特に美術館や宮殿に被害が出たことで多くの名画や彫刻、大航海時代の記録が失われてしまいました。

カルモ修道院など、今も再建できていない場所があるほどですから、被害の大きさが偲ばれます。かつて大きな聖堂であったと思われる場所が、この地震以降は野ざらしのままになっていますが、石材の砂塵を浴びた白と青空が美しく、観光客は多いようです。美しすぎて廃墟という言葉がそぐわないといいますか、西洋な雰囲気のRPGなどでありそうな光景なのが人気なのでしょうね。
まあこれは、ポルトガルという国そのものがその後アレな感じだったからというのもありますが……。

この大災害に対し、セバスティアンは常識を捨てた対策を行います。
まず、犠牲者の遺体を沖合で水葬し、疫病の蔓延を防いだのです。
キリスト教では死後の復活のために土葬を行いますから、これは死後の復活を妨げる背教行為とも呼べるものでした。
セバスティアンはそれを押し切って行ったことにより、官民ともに建物の再建へ全力を尽くせるようにしたのです。

このときからリスボンの街は区画整理された……ことになっているのですが、現在の地図を見るととても碁盤の目状とはいえないような……(´・ω・`)
まあ、セバスティアンの時代から200年以上経っていますので、その間に作られた道も多いのでしょうけれども。

リスボン地震での津波の到達時間 /wikipediaより引用

 

暗殺未遂事件の関係者を容赦なく処刑

こうしてリスボンの街の復興を手がけたセバスティアンを、ジョゼ1世はますます信頼しました。というか、自分が遊びたいがために仕事を押し付けました。もう嫌な予感がしますね。

案の定、「何でアイツだけあんなに力を持っていい思いをしてるんだ! そんな状態を認める王も王だ! ブッコロ!!」(超訳)と考える貴族が大多数となり、ついにジョゼ1世とセバスティアンの暗殺未遂という大事件が起きます。

経緯がそもそも逆恨み同然ですし、国王と宰相を手に掛けようとするのは重大な反逆です。そのため、セバスティアンは少しでも関係があるとみなした者を容赦なく捕らえ、拷問の後に処刑していきました。その中にはジョゼ1世の異母兄弟姉妹もいたようで、彼の断固とした姿勢が伺えます。
また、イエズス会も暗殺に関与したとして、財産没収の上ポルトガルから追放しました。

上記の水葬についてもそうですが、金融を握っていたユダヤ人の待遇を見直すなど、セバスティアンはたびたびイエズス会と対立していたため、これを好機としてまとめて片付けようとしたのでしょう。
当時のカトリックからすれば「お金=汚いもの」「ユダヤ人=ユダの末裔だから汚い奴ら」→「なら汚いものは汚い奴らに扱わせよう!」というのが当たり前だったので、それを否定するセバスティアンが許せなかったのも無理はありません。

震災後に推奨されたポンバリーナ様式の耐震構造/wikipediaより引用

 

イベリア半島の独裁者は割と穏やかな天寿をまっとう

また、セバスティアンは「ポルトガル国内に黒人奴隷を連れてきた場合は、即座に開放すること」という制度を作りました。
人道的な感じもしますが、これはただでさえ人手不足の植民地で、さらに労働者が減るのを防ぐという合理的な理由のほうが大きかったようです。その辺はまあ、この時代の人だから仕方ないですね。

こうして国王の代わりに多方面の改革を行ったセバスティアンでしたが、その反動もまた多岐にわたりました。
ポルトガル最大の植民地であったブラジルは、次第に独立の兆しが見え始めます。また、ジョゼ1世が亡くなって娘のマリア1世が国王になると、宮廷どころから「女王から20マイル(約32km)以内に近づくな」とまで言われるほど嫌われてしまいました。

領地を取られたわけではなかったので、その後は田舎で穏やかに暮らしていたそうです。マリア1世が近所にやって来たときは、セバスティアンのほうが出ていかなければなりませんでしたが、独裁者としては静かな晩年だったといっていいでしょう。

ポルトガルやお隣のスペインでは20世紀にも独裁者が登場していますが、例のちょび髭やイタリアでマフィアとガチンコ勝負した人と違って天寿を全うしているのは、セバスティアンのような前例があったからなのかもしれません。

まあ、仕事をちゃんとしてて庶民から(比較的)恨みを買っていないのですから、当たり前ではありますけども。
イベリア半島の事情を知ると、「独裁者」の定義やイメージがちょっと変わるような気がします。

長月 七紀・記

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参考:ポンバル侯爵セバスティアン・デ・カルヴァーリョ/wikipedia リスボン地震_(1755年)/wikipedia

 




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