戦国時代に自衛隊がタイムスリップ。
戦車やヘリを使い、信玄率いる武田騎馬軍団と戦った映画『戦国自衛隊』に心震わされた歴史ファンは少なくないでしょう。
※以下は戦国自衛隊の関連記事となります
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信玄の恐ろしさを堪能したいなら映画『戦国自衛隊』を見よ!その迫力いまだ衰えず
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あの映画の何が凄いか?
というのは、自衛隊の武器ではなく、戦国時代人たちの価値観です。
現代兵器の圧倒的火力を前にしても全く怯まず、槍や弓、火縄銃を用いて、命知らずで突撃してくる――。
最終的に現代人と中世人の「覚悟の差」「命に対する軽重の差」をこれでもか!と見せつけられ、身震いするばかりでしたが、あれは映画のことだから、と思われるでしょうか?
いえ、現実の歴史にも同様の戦いがありました。
それが南アフリカにおける【イサンドルワナの戦い】であり1879年1月22日に行われました。
火器もろくに持たず、槍と棍棒、そして牛革の盾だけの一団が、当時、近代兵器バリバリの英国軍相手に大勝したのでした。
ズールー戦争の緒戦となったこの戦いで、英国軍はズールー族の奇襲に為す術なく壊滅。
第24歩兵連隊に属する6個中隊・合計602人が皆殺しにされてしまいます。
その戦いっぷり、まさに『戦国自衛隊』でした。
見た目は原始的ながら合理的な戦いに徹する
英国軍を打ち破ったのは、南アフリカで暮らしていたズールー族の戦士「インピ」たちです。
派手な髪飾りにネックレスといった装飾品をのぞけば、腰みのだけをつけたほぼ半裸。
靴すら履かず裸足です。
前述の通り、武器は槍と棍棒、防具は牛革を張った巨大な盾のみ。
一見すると原始的にすら見える彼らに、なぜ火器で武装した英国軍が圧倒されたのか。
実はこのインピたち、装備面以外は、ほぼ近代軍に近い先進的な集団だったのです。
インピの外見は、合理性や緻密な戦略からはほど遠いように見えます。
彼らは魔術の薬を使えば弾丸を防げると信じ、防御にはまるで役に立たない羽根飾りをつけているのです。
しかし、そんな外見とは裏腹に、彼らは合理的な戦術に基づいて行動していました。
一日32kmを踏破 英国軍の倍のスピードだった
インピの戦士は40才まで。
18-20才になるとズールー族から徴兵され、兵舎での共同生活を送ります。
まさに職業としての軍人というわけです。
彼らは「連隊」単位で行動するよう義務づけられ、派手な装飾品も連隊ごとに色分けされていました。
戦士の一団は年齢ごとに分類されているため、同程度の身体能力のものが集まります。
その身体能力は極めて高いものでした。
脱げやすいサンダルは履かずに、厳しい訓練の成果でガチガチになった裸足で、一日32キロメートルを踏破。これは当時の英国軍のおよそ倍のスピードにあたります。
食料は掠奪に頼っており、輜重部隊がないことも行軍速度の高速化の一因となりました。
「信賞必罰」が強い軍隊には必要とされますが、インピも例外ではありません。
ライバルの戦士同士が切磋琢磨しあいました。
「敵の血で槍を洗った」、つまり敵を殺した者は、最高級の頭飾りを身につけることができました。
勲章のようなシステムであり、彼らの誇りとなったでしょう。
密集した陣形「牛の角」と諜報を巧みに使い
また、彼らは「牛の角」と呼ばれる合理的かつ密集した陣形を用いていました。
「角」両翼の部隊(敵を包囲する)
「胸」中央突破部隊
「腰」中央で控える予備部隊
「インピ」は斥候を放ち、ジックリと遮蔽物を利用しながら敵に近づき、射程距離まで来ると「投槍」や「掠奪した火器」で遠距離攻撃をしかけ、相手が崩れたところで一気に突進します。
彼らの軍事行動は合理的であり、優れた戦術を用いていました。
諜報も彼らの強い味方。
降伏した敵兵や斥候に主力部隊を煽動させ、敵に奇襲を仕掛けるのです。
イサンドルワナの戦いも、彼らは奇襲攻撃により勝利したものでした。
確かにこれは、強いでしょう。
そして何より重要なことは、彼らが、かつて強力な指導者に率いられていたことです。
その名はシャカ。
イサンドルワナの戦いから遡ること約100年前に、彗星の如く現れた軍事指導者によってズールー族の戦術は一変し、南アフリカに一大勢力を築いたのでありました。
「虫けら」と呼ばれた少年
1787年、アフリカ南部。
この年、ランゲニ族長の娘・ナンディが妊娠しました。
彼女はまだ未婚でした。
ナンディは、未婚者同士の性的な戯れの中で妊娠してしまったものと思われました。
当然のことながら父親が誰なのか、議論になります。
その相手とは、隣接するズールー族の首長・センザンガコナでした。
ナンディはセンザンガコナの第三夫人として数年過ごしますが、のちに賠償金である50頭の牛とともに、実家へ戻されました。
センザンガコナはかつて、ナンディの妊娠について「あの娘の腹の中にいる甲虫が、月経を止めたんだろう」と言い捨てました。
望まない妊娠だったのでしょう。
そのため、産まれた子は「シャカ」、甲虫という屈辱的な名で呼ばれることになるのです。
母方のランゲニ族の村で、シャカは周囲からのけ者にされ、いじめられていました。
「やーい、虫けら! 父なし子!」
「お前の母ちゃんはアバズレだ!」
そんな苦境の中、母ナンディは我が子シャカを飢饉や暗殺の危険から、必死で守り抜きました。
シャカは自分を庇う母親に敬愛の念を抱くとともに、いじめた者たちには深い憎悪を抱いたのです。
「戦争」を儀式から殺戮に変えた
当時のズールー族は、ングニ族のディンギスワヨの指揮下にありました。
日本で言うならば、大名に属する「国衆」のような立場でしょうか。
ディンギスワヨは、逞しい戦士として成長したシャカに注目します。
シャカは自分より大柄な戦士や豹と戦い、冷酷に相手にとどめを刺した男として、噂になっていたのです。
「この男は優れている。ズールーの首長にしたら役に立つだろう」
1816年、ディンギスワヨは亡くなったセンザンガコナの後釜として、シャカをズールー族の首長にしました。
即位したシャカは、幼い頃に自分と母親を虐待したものたちを残虐に処刑しました。
シャカは次に、軍制改革に取り組みました。
当時は1500名ほどの小さな部族であったズールー族が、この後どうなるか。誰にも想像すらできなかったことでしょう。
かつて彼らの部族間戦争は牧歌的なものでした。
軽い槍を振り回し、歌ったり踊ったりしながら、儀式的に戦うふりをするだけです。
戦士同士の周りには、女性も含めた大勢の観客がいて、歓声や野次を送っていました。戦争というよりは、スポーツのようなものですね。
それをシャカは一変させるのです。
シャカの進撃がアフリカの歴史を塗り替える
まず、軽い槍はずっしりと重たい「イクルワ」(槍を肉から抜く時の音から命名)というものに変えました。
戦闘法は、前述の通り研ぎ澄まされた集団戦術を起用。
地域の戦争の歴史が一気に何世紀も進んだような、それはもう画期的で恐ろしい変化でした。
当然ながらズールー族は、これまでの踊りながら戦うような他部族を圧倒しました。
しかも彼らは、観戦しているだけの女性たちまで容赦なく襲い、区別なく殲滅。結果、多くの部族がズールー族に飲み込まれ、その支配下に置かれるのです。
シャカの進撃はアフリカの歴史を塗り替えました。
ズールー族から逃げた部族は「ムフェチャネ(分散・移動)」と呼ばれる民族大移動をし、移動先の部族を追い払い、安住の地を見つけようとします。
例えばスワジ族は、ズールー族との戦闘に敗れ、険しい山に囲まれたスワジランド王国を作りました。
地図で確認しますと、南アフリカ共和国の中にぽっかり空いた穴のように見えます。
これはまさしく、彼らがズールー族から逃げ切ったという証。
他にも、20年間で1600キロも移動した部族もありました。
母が亡くなり恐怖政治は頂点へ
伝説的に強く、敵にとっては悪魔のようなシャカ。
そんな彼には異様で残虐な面もありました。部下の性交渉に対して、常軌を逸した干渉を行うのです。
ズールー族の戦士たちは、現役を引退する40才まで結婚禁止、さらに婚外交渉も厳禁でした。
シャカの軍隊には少女たちが非戦闘員として随行しており、もし彼女らが妊娠したら、相手と共にまとめて殺害されました。
さらに不可解なのは、シャカが自分の妻まで妊娠したら殺害していた、という点です。
シャカの恐怖政治が最高潮に達したのは、母ナンディが1827年に死去した際でした。
服喪のため、シャカは部族全員に農作物を植えることや、牛の乳搾り、性行為を禁止しました。
服喪期間中に妊娠した女性は既婚者であっても、シャカの親衛隊によって腹の子の父親ともども殺害されたのです。
真面目に服喪してない。それが理由です。
結果、殺された人は、7千人とも9千人とも……。
こんなことを繰り返していたら、当然ながら殺意を覚える人も出てくるわけで。
恐怖の服喪の翌年、親衛隊が出払っている隙をついて、シャカは異母弟と護衛によって暗殺されてしまうのです。
犠牲者は100万人とも200万人とも
シャカが殺されると、その近くに居た人は暗殺者と見なされることを恐れ、皆逃げ出してしまいました。
シャカの遺骸をハイエナから守ろうと残ったのは、妻一人だけ。その遺体は、穀物貯蔵用の穴に投げ込まれ、上から泥と石を詰められました。
ゆえに、これほど偉大な指導者であったにも関わらず、埋葬場所すらハッキリとしていません。
シャカの建国したズールー王国は、彼を殺した異母弟らが継承しました。
しかし、それからおよそ半世紀後、イギリスとのズールー戦争の敗北によって滅亡します。
緒戦・イサンドルワナの戦いでは勝利を得たズールー族でしたが、その後、本国から増援部隊を送られたイギリス軍にはさすがに勝てなかったのです。
当時の人々には激しく嫌われたシャカも、現在では南アフリカ共和国の伝説的な英雄として親しまれ、ダーバンには彼の名を冠した「キング・シャカ国際空港」、「ウシャカマリンワールド水族館」があります。
また、日本でも人気のあるゲーム『シヴィライゼーション』シリーズに指導者として登場し、その戦闘的な態度と、特殊ユニット「インピ」の攻撃力によって恐れられています。
そんなカリスマ指導者シャカですが、前述した「ムフェチャネ」の影響は甚大でした。
シャカの侵略によって亡くなった犠牲者は、100万人とも200万人とも。移動距離や影響力を考えれば、大げさとは言えない数字かもしれません。
注目したいのは、シャカの出身部族には文字や文書がなかったということです。
彼の恐怖政治も、犠牲者数も、基本的にその宮廷を訪れたヨーロッパ人や、現地部族の噂話がベースとなっています。
そのため、南アフリカでは「シャカの悪行や犠牲者数は誇張されている」という意見もあります。
儀式的な戦争を一変させ、近代的な軍制を導入したシャカ。
その彗星のような出現ぶりは、まさしく歴史は一人の指導者によって激変することを証明しています。
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【参考文献】
マシュー ホワイト/住友進『殺戮の世界史: 人類が犯した100の大罪』(→amazon)







