パンダの赤ちゃんに話題を奪われがちですが、歴史サイト視点から見ますと、800万年前の化石が確認されているジャイアントパンダに比べ、ゾウはもっともっと古い5000万年前でありまして。
今回は書籍『ゾウの知恵 陸上最大の動物の魅力にせまる(→amazon)』を参考に、ゾウと日本人の歴史を追っかけてみたいと思います!
お好きな項目に飛べる目次
マンモスが発見されたのは日本じゃ北海道のみでして
前述の通り、最古の化石は約5000万年前の地層から発見されました。
このとき地球上に霊長類はおりましたが、人類はもちろんのこと猿人(約700万年前)すら存在しない時代。
これに対しゾウは約340もの種が繁栄していたと考えられます。
ただし現在は、アジアゾウ、アフリカゾウ、マルミミゾウの3種を残すのみで、インドゾウはアジアゾウの亜種になります。
忘れちゃならないのが、比較的最近まで残っていたマンモスとナウマンゾウでしょうか。
この2種は日本でも化石が見つかっており、歴史マンガの最初あたりにチラリと登場することもありますよね。
私たちの遠いご先祖様たちが、いずれかのゾウを食していた可能性は高そうです。
となると、個人的に思い浮かべるのは『はじめ人間ギャートルズ』。
彼らがマンモスを追いかけ、仕留めて、食料としていたのは、このマンガでは定番のシーンです。
ゆえに「日本の原始人が追いかけていたゾウの種類もマンモスであろう」と想像されるかもしれませんが、残念なことにその化石が発見されているのは北海道しかありません。これは正直意外でした。
更には“体格”に関しても、私は誤解しておりました。
何か巨大なものを表現するとき、例えば「マンモス校」といった言葉が使われますよね。
なので、マンモスってのは相当デカイんだ!と考えていたのですが、実はアジアゾウなどと大きさは変わりません。
たしかに牙はでっかいんですけどね。
マンモスは数千年前に絶滅したとされ、日本からはおよそ1万年前に姿を消しております。
金閣寺や銀閣寺に対抗して「象閣寺」でも作っていればなぁ
マンモスの化石が北海道でしか見つかっていないのに対し、日本各地で広く生息していたのが「ナウマンゾウ」です。
彼らは約50万年前に出現し、約2~1.6万年前まで生存。
日本では縄文時代が始まるギリギリあたりですね。
国内では、野尻湖(長野県)で大量の化石が発掘されたことで知られております。
体躯は、アジアゾウよりやや小型、かつマンモスと同じで全身が毛むくじゃら。
名前の由来となった『ナウマン』は人名で、明治初期の日本にいたお雇い外国人、ハインリッヒ・エドムント・ナウマンにちなんでおります。
彼はドイツ人の地質学者であり、ナウマンゾウの標本を最初に研究したからだそうで。
東京帝国大学(現:東京大学)地質学教室の初代教授に就任し、フォッサマグナ説も提唱していた人でした。
さて、マンモスとナウマンゾウが絶滅した後、日本からしばらくゾウはいなくなり、次にその姿を確認できるのは室町時代・応永15年(1408年)のこと。
嵐で若狭国に漂着した南蛮船のゾウでした。
この船は、東南アジアの首長・亜烈進(アラジン)卿のもので、足利将軍への献上品として様々な品を積んでいたそうです。
ゾウの他には、クジャクやオウムもいたとか。
若狭から京都まで。1ヶ月かけて運ばれ、時の将軍・4代足利義持に贈答。
4代将軍・足利義持は地味だけどハイスペック?父義満を乗り越えて
続きを見る
そしてこのゾウは約3年後、将軍から朝鮮国王へプレゼントされます。
人から貰ったものでええんかい!と思ってしまうかもしれませんが、なんせ体の大きな動物ですし、餌代もばかになりませんから、将軍様も手に余ったのかもしれませんね。
金閣寺や銀閣寺に対抗して「象閣寺」でも作っていれば、義持さんも歴史の授業で小中学生に名前を覚えられのになぁ。
※続きは【次のページへ】をclick!