桓武天皇の次に即位した平城天皇は、叔父・早良親王の祟りを畏れ、3年で弟の嵯峨天皇へ譲位。
これに反対したのが藤原薬子と藤原仲成の兄妹だった。
言わずもがな権力の中枢から外され、巻き返しを計るにはスグにでも平城上皇を動かさねばならないわけで、次なる一手に期待したことだろう。
それが平城京への遷都である。
奈良の都から離れて20数年。
依然としてこの地の影響力は侮りがたく、もし計画が成功すれば平安京とて廃れかねない。
一方、嵯峨天皇にしてみれば権力の二分される「二所朝廷」は絶対に避けたいところ。
果たして先手を取るのはいずれか……。
日本史ブギウギ、第36話、スタート!
◆桓武天皇が設置した勘解由使(国司を監査するポジション)。
これを廃止して観察使を置いた平城天皇。
更にこれを廃止して先に動いたのが嵯峨天皇でした。
嵯峨天皇は参議を復活させると、返す刀で一気に平城上皇一派の粛清に動くのであります。
真っ先に確保されたのが藤原仲成でした。
平城京への遷都詔勅を出して、一派は安心していたのでしょうか。
嵯峨天皇サイドでは、平安将軍のヒーロー・坂上田村麻呂も大納言へ昇進して活躍するのであります。
◆遷都を拒否され、藤原仲成も逮捕され。
嵯峨天皇の素早い一手に翻弄されて、何かと後手後手に回らされる平城上皇は、東国での挙兵を画策して都を後します。
しかし、これってなんだか既視感が……。
乱の最初、とかく権力者たちはび都を出ての体制立て直しを画策しますが、結局、多くの人が捕まっちゃうんすよね。
実際、このときも関所を封じられて、いとも容易く捕らえられてしまいます。
ひとたび「反乱」と認定されたら最後。
東国行きをの夢は、儚く消えてしまうのでした。
◆よっぽど抹殺したかったんですね。
あるいは仲成が性格的に問題があったのか。
藤原氏ゆえに復活の芽は完全に潰しておかねばならなかったのか。
藤原仲成の氏は、正式な法律に則ったものではなく私刑同然に射殺されたと伝わっております。
嵯峨天皇、地味なようでなにげに怖い。
そして薬子も自殺に追い込まれるのでありました。
◆薬子の変を経て、平城天皇の息子・高岳親王は皇太子を廃されました。
※後に高岳親王は天竺を目指して歴史に名を残します
60歳にして天竺(インド)目指し唐へ渡った高岳親王 その目的は?
続きを見る
代わって浮上したのが大伴親王。
桓武天皇を父に持ち、嵯峨天皇の弟に当たる人物で一見頼りなさげでありますが、後に淳和天皇という、これまた平安史では地味な存在だったりします。
なんだかんだで20名以上が失脚することになった薬子の変。
歴史的意義としては「藤原式家」が没落していったということでしょうか。
藤原広嗣の乱(740年)から70年。
なにげに復活を遂げたかのように思われた同家でしたが、以降は藤原北家(藤原道長もココ)に圧倒されていくのでした。
※次週へ続く
【過去作品はコチラから→日本史ブギウギ】
著者:アニィたかはし
武将ジャパンで新感覚の戦国武将を描いた『戦国ブギウギ』を連載。
従来の歴史マンガでは見られない角度やキャラ設定で、日本史の中に斬新すぎる空気を送り続けている。間もなく爆発予感の描き手である(編集部評)