幕末で活躍する志士たちにとって欠かせないのが「刀」ともう一つ、なんだと思われます?
思想に影響を与える“先生”ではないでしょうか。
坂本龍馬にとっての勝海舟。
そして薩摩では、西郷隆盛に影響を与えた島津斉彬がいますが、同時に西郷は幼少の頃、ある人物が大きな存在となっています。
赤山靭負(あかやまゆきえ)です。
大河ドラマ『西郷どん』では沢村一樹さんが演じ、普段から西郷隆盛や大久保利通などの若手連中を教育するようなシーンがあったり、そうかと思ったらさりげなく宴席の場に鯛を持参したり。
薩摩にしては物腰柔らかいオーラを放っておりましたが、果たして史実の彼はどんな方だったのか?
これが、薩摩藩内では島津一族の超良血ながら、悲壮な最期を遂げる人物でもあります。
嘉永3年(1850年)3月4日はその命日。
赤山靭負の生涯を振り返ってみましょう。
名門・日置島津家の四兄弟
赤山靭負は、文政6年1月17日(1823年2月27日)に生まれました。
父は日置島津家当主の久風。
日置島津家の祖は、戦国時代に九州で恐れられた島津四兄弟の一人・島津歳久です。
兄の島津義久・島津義弘に比べて全国的な知名度は劣るかもしれませんが、歳久もまた武勇・智力に富んだ武将で、戦場でも大活躍し、同家は9,000石を拝領して江戸期も存続しておりました。
※以下は島津歳久の関連記事となります
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島津歳久の生涯|秀吉に最後まで抵抗した四兄弟の三男は戦の神と称えられ
続きを見る
単なる奇遇ですが、赤山の代でも当人含めた4人の男兄弟がおり、長男の久徴(ひさなる)以外は養子に出されております。
上記の中で赤山以外に目立つのは、やはり『西郷どん』にも登場した桂久武でしょう。
ドラマではスピードワゴンの井戸田潤さんが演じており、彼については本記事末に関連記事がございますので、よろしければ後ほど併せてご覧ください。

桂久武/wikipediaより引用
実は、赤山は久徴より数ヶ月早く誕生しております。
それが嫡男ではなく二男扱いとされたのは母親が側室だったからで、赤山家の養子に出されました。
そして日置島津家の兄弟は、全員が斉彬派に属しています。
そのため同じ斉彬派の西郷や大久保とも親しい立場になったのです。
西郷とは5歳差しかない
藩内屈指の名門・御曹司である赤山。
頭も良かったのでしょう。彼は順調に出世を重ねてゆきます。
大河ドラマでは西郷と親しくしておりましたが、現実的な身分差を考えると、そこまで深く付き合える間柄とも思えません。
沢村一樹さんの赤山と、子役時代の西郷の描写もあったせいか、劇中では大きな年齢差にも見えましたが、実は5才差です。
赤山の誕生:文政6年1月17日(1823年2月27日)
西郷の誕生:文政10年12月7日(1828年1月23日)
大久保の誕生:文政13年8月10日(1830年9月26日)

西郷隆盛と大久保利通/wikipediaより引用
西郷の人生の師のような扱い――というのはかなり脚色された関係だったんですね。
林真理子氏の原作『西郷どん』では、西郷の父・吉兵衛が、赤山の家に経理関係を手伝いに行っていた(御用人)とあります。
その関係で、何度か家に出入りして交流があった、というわけです。
お由羅騒動で見せしめに?
赤山と西郷にとって、一大事となったのが【お由良騒動】です。
幕末薩摩を描く上で、避けては通れない定番トラブルの筆頭であり、なんとこの騒動で赤山靭負は切腹に追い込まれてしまいます。
避けては通れないどころか、ここで命運が尽きてしまうのですね。
お由羅騒動とは、島津斉興の跡取りに関連してその息子・島津斉彬派とその異母弟・島津久光派で藩内が分断されたトラブル。
詳細は以下の記事に譲らせていただきますが、
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幕末薩摩で起きた哀しき内紛・お由羅騒動|狙われたお由羅の方はどうなった?
続きを見る
このとき西郷隆盛の父・西郷吉兵衛に関するエピソードがありまして。
赤山が切腹した際、西郷吉兵衛が介錯をつとめたというのです。
真相は定かではないのですが、後の西郷と斉彬、あるいは桂久武との関係から、そんな話がまことしやかに伝えられたのかもしれません(もちろん実際に行ったかもしれません)。
赤山は実際のところ、騒動にはさほど関与していなかったとされます。
では、なぜ彼は自害へと追い込まれたのか?
背景にあるのが四人兄弟の処遇問題ではないでしょうか。
彼の兄弟は久徴はじめ全員が島津斉彬派でした。

島津斉彬/wikipediaより引用
名門の御曹司たちが全員斉彬派。
それが御家騒動になって誰も何のお咎めなしというのもマズイ。
しかし、日置島津家を継いだ久徴に死を命じるのも、さすがに藩内の打撃も大きいし……ならば赤山あたりの見せしめが適任では?……と考えられた可能性は否定できないでしょう。
死によって歴史を動かした
切腹した際、まだ27才であった赤山。
吉兵衛は、遺品として血染めの肩衣を持ち帰ったとされています。
赤山の最期について、吉兵衛から聞かされた西郷が悔し涙を見せる姿は、彼の人生序盤のハイライトと言えましょう。
実際、どの程度、両者が親しかったのかはわかりません。
それでも、派閥争いで犠牲にあった人物の遺品が、西郷の胸に闘志と憎しみの炎を点火したことだけは確かです。
歴史には、死によって時代を動かす人物もおりますが、赤山も、そうした一人だったと考えられるのではないでしょうか。
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TOP画像:小久ヒロ
【参考文献】
国史大辞典
家近良樹『西郷隆盛 維新150年目の真実 (NHK出版新書 536)』(→amazon)
北康利『西郷隆盛 命もいらず 名もいらず』(→amazon)






