2019年4月1日に決まった「令和(れいわ)」という新元号。
『万葉集』の歌「初春令月、気淑風和」をアレンジしたもので「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」という意図だと安倍首相が語っておられました(参照:首相官邸HP)。
それ自体は全く問題なく、非常に喜ばしいことだと思います。
しかし……。
どうにも拭えない違和感もあります。
なぜ各種メディア、特にテレビでは殊更【日本独自であること】をアピールするのか。
いえ、万葉集が悪いとは思いませんし、出典や新元号の決定自体に異を唱える気はサラサラありません。
違うのです。
例えば岩波文庫編集部さんのツイートからも見てとれますように、その万葉集の歌自体が中国・張衡の歌『帰田賦(きでんのふ)』から強く影響を受けたものだとしたら、皆さんはどう思われますでしょうか。
「令和」の句を含む後漢・張衡「帰田の賦」。たとえば『文選詩篇(二)』☞ https://t.co/FSNtO4F72i では、こんな風に訓読されています。
「仲春の令(よ)き月、時は和らぎ気は清し」。 pic.twitter.com/gk1v7U0U3p— 岩波文庫編集部 (@iwabun1927) April 1, 2019
それは字面を見るだけでご納得いただけるはずです。
万葉集(日本)「初春令月、気淑風和」
帰田賦(中国)「仲春令月、時和気清」
岩波文庫編集部さんだって、新元号のお祝いムードに水を差したくて、こんなツイートを流したワケではないでしょう。
やはり違和感が拭えないんだと思うのです。
出典の『万葉集』については、テレビでも大々的に報じられています。
が、その中で、中国の元ネタにまで言及しているところは、発表当時からしばらくTVニュースを見続けて一つもありませんでした。
正直、アンフェアではないでしょうか。
そこで本稿では、張衡(ちょう こう)の歌『帰田賦』がいかにして万葉集にたどり着いたか。振り返ってみたいと思います。
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漢籍以外から取られた新元号
長く中国古典を由来としていた元号が『万葉集』から選ばれた――。
そう発表された瞬間、歴史ファン、研究者、特に中国史および中国文学史、日本史および日本文学史界隈はざわつき始めました。
「『万葉集』より古い漢文ソース、あるんじゃないの???」
果たして数時間後、それは呆気なく発見され、ネットニュースやSNSで拡散し始めました。
◆新元号「令和」の出典『万葉集』の序文、ルーツは中国の『文選』と指摘も
オリジナルの歌は張衡(ちょう こう)の『帰田賦』というもので、歌は次のような変遷で日本の万葉集にまで引き継がれております。
①張衡(ちょう こう)『帰田賦』→wikipedia
138年(後漢・安帝から順帝/永和3年)
↓
②王羲之(おう ぎし)『蘭亭序』→wikipedia
353年(東晋・穆帝/永和9年)
↓
③昭明太子(しょうめいたいし)編纂『文選』→wikipedia
6世紀前半(中国南北朝・南朝梁)
↓
④大伴家持『万葉集』→wikipedia
7世紀後半〜8世紀後半(日本)
↓
⑤2019年 新元号に採用
『万葉集』は「やまとことば」だ!
そう主張したい向きも痛いほど気持ちはわかりますが、和歌以外はむしろ【漢文】です。
にもかかわらず、
【新元号は日本由来だ】
とだけ言い張るのは、やはり苦しいのです。
こうした状況を踏まえて、スッキリまとめますと、こうなります。
日本オリジナルというのは、やはり【無理ゲー】です。
漢字、稲作、和服。
こうしたもの全て、ルーツを辿れば中国由来のものです。
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影響を排除しようとする思考そのものが詰んでいるのです。
なぜ、良いものは良いとして、そのまま受け入れられないのか……。
これが日本史から見て問題なのは、ともすれば「漢文を学ぶなんて極左だ」という風潮さえ漂っているからであります。
漢文を学ぶ者は左翼認定でよいのか?
「漢文が左翼だなんて、んなアホなw」とは簡単に片付けられない状況があります。
日本を代表するようなベストセラー作家・百田尚樹氏が、通史本として『日本國紀』を発売。
これが売れに売れ、決して影響力の小さくない百田氏が、次のような主張を堂々とされています。
そもそも、なぜ学校で「漢文」の授業があるのか。英語と違って使う機会なんてないし、あれは趣味の世界だと思うんです。
恐ろしいことです。
歴史を学ぶ前に漢文が否定されてしまったら、日本史そのものが成立しなくなってしまいます。
ほんの少し例を挙げるだけでご理解いただけるでしょう。
・清少納言
「香炉峰の雪は簾を掲げて見るのぉ♪」
かように漢文知識を自慢した女。もはや悪質なインテリ左翼です。
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・紫式部
「光源氏の母は、その寵愛の深さゆえ、玄宗皇帝が愛した楊貴妃のようだと言われたのです」
そんな皇室をネタにした小説を書いた上に、天皇陛下とその妃を中国の皇帝とその妃にたとえた女。
間違いなく極左ですね、アウト。
※実際に昭和初期のある時期、皇室不敬だとして『源氏物語』は発禁処分を受けています。
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・織田信長
本拠地の岐阜は「曲阜」(孔子の出身地)からとられた説。
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【加筆・岐阜の由来】
沢彦宗恩が選んだ三つの候補のうち一つより、織田信長が選んだとされます(『安土創業録』)が、『土岐累代記』によれば以前からあった井ノ口の別名とされています。
岐山の「岐」と学問の祖、孔子が生まれた曲阜の「阜」が由来他、複数あります。
はっきりしていることは、漢籍に精通した学僧の意見があったと考えられていること、中国由来とされた説もあるということです。
中国を軽んじていれば、出てこない発想でしょう。
・直江兼続
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煽り属性からして左翼らしい。
やはりそうか!
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・「日新館」で学んだ会津藩士
孔子像がある「日新館」で学んだ。
案の定テキストも漢籍ばかり。
全員左翼!
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【加筆・日新館の由来】
日々新而又日新
(『書経 湯之盤銘』より)
※野口信一『シリーズ藩物語 会津藩』参照
ほかにもまだまだおります。
明治維新を進めた薩摩藩士なんかもその対象となりますね。
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