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本能寺にいた黒人侍~そのとき信長は炎の中へ【戦国浮世絵ANARCHY4】

2020/03/17

なぜ明智光秀は主君・織田信長を殺したのか?

その理由が未だ判然とせず、日本史上最大のミステリーとされる【本能寺の変】。

普段から信長に恨みがあった――という怨恨説に始まり、朝廷から要請があった、秀吉が陰で手を引いていた、いや家康の仕業だ――という陰謀説など、諸説数えること数十にのぼり、もはや収拾のつかない有様だ。

一体なにが真実なのか?

その考察は以下の記事に譲り、

織田信長(左)と明智光秀の肖像画
本能寺の変|なぜ光秀は信長を裏切ったのか 諸説検証で浮かぶ有力説とは

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ここでは別視点から本能寺の変に取り組んでいきたい。

戦国浮世絵ANARCHYの第四回は、弥助に注目だ!

 

黒人侍・弥助

いつもは記事の最後に掲載している【鞘エもん】のSAMURAI ART。

今回はワケあって、最初にお目見えさせていただく。

いくで、おりゃあああああああああああああああああ!

例によってデフォルメ界王拳100万倍の戦国浮世絵だけに、様々な疑問符も浮かんでくるであろう。

今回、どうしても理解し難い点があるとすればこれだ。

「なんで黒人がおるん?」

この最たる疑問符が、史実なのだから歴史は面白い。

 


「この刀を織田信忠へ届けよ」

実は信長には、宣教師より送られた黒人侍がいた。

その名も弥助――。

ほぼ奴隷の身分から、信長の家臣へと引き抜かれた、れっきとした侍である。

そして運命の天正十年(1582年)6月2日早朝。

信長側近の一人である弥助は、その日、他の小姓20~30人らと共に本能寺にいた。

主君・信長のお気に入りでもあった弥助は、毛利征伐へ向かうための準備に帯同し、事件当日も側で仕えていたのだ。

そこへやってきた明智光秀【謀反の急襲・本能寺の変】である。

明智光秀
明智光秀の生涯|ドラマのような生涯を駆け抜けたのか?謎多き一生を振り返る

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信長は弓を持って応戦し、途中から槍(長刀)に持ち替えて戦い、それでも押し寄せてくる明智の軍勢によってついに傷を負ってしまった。
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BUSHOO!JAPAN(五十嵐利休)

武将ジャパン編集長・管理人。 1998年に大学卒業後、都内出版社に入社し、書籍・雑誌編集者として20年以上活動。歴史関連書籍からビジネス書まで幅広いジャンルの編集経験を持つ。 2013年、新聞記者の友人とともに歴史系ウェブメディア「武将ジャパン」を立ち上げ、以来、累計4,000本以上の全記事の編集・監修を担当。月間最高960万PVを記録するなど、日本史メディアとして長期的な実績を築いてきた。 戦国・中世・古代・幕末をはじめ、幅広い歴史分野をカバーしつつ、Google Discover 最適化、クラスタ構造にもとづく内部リンク戦略、画像最適化、SEO設計に精通。現在は企業のオウンドメディア運用およびコンテンツ制作コンサルティングも手がけ、歴史 × Web編集 × SEO の三領域を横断する専門家として活動している。 ◆2019年10月15日放送のTBS『クイズ!オンリー1 戦国武将』に出演(※優勝はれきしクン) ◆国立国会図書館データ https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/001159873

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