武田家には山本勘助。
今川家には太原雪斎。
では北条家では?
板部岡江雪斎!と答えたくなりますが、甲相駿三国同盟全盛期から見れば少し時代がズレており、そこで候補として挙げられたりする根来金石斎。
「そもそも軍師など存在しない」というツッコミはさておき、今回は戦国ブギウギ武田三代記vol.12は信玄の初子と、国府台合戦で活躍した北条の軍師に注目して参りましょう!
◆前話を読みたい!という方は以下のリンクからご覧ください
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そもそも信虎はなぜ信玄を嫌うのか?【マンガ武田三代記11】
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河原にて
◆上杉朝興の娘を最初の妻としながら、初産で母子共に亡くなってしまった信玄。
信玄の初婚相手は上杉朝興の娘 どんな夫婦だった?マンガ武田三代記8
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三条夫人の出産について不安極まりなくなっても仕方のないことでしょう。
誕生
◆拍子抜けするほどアッサリと、無事に生まれた、可愛い可愛い赤ちゃん。
この嫡男は、後に駿河侵攻を巡って仲違いし、自害へ追い込むことになろうとは、このとき知る由もないでしょう。
なぜ信玄の嫡男・武田義信は廃嫡へ追い込まれたのか 最期は病死だった30年の生涯
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相模の軍師
◆国府台合戦(こうのだいかっせん)とは?
北条家
vs
足利義明(小弓公方)with里見義堯
という構図の戦いで、天文7年(1538年)10月5~7日に勃発!
足利里見連合軍1万が江戸川東岸の国府台に布陣し、江戸城からやってきた北条軍5千が兵力差にもかかわらず快勝したというものです。
その勝利に貢献した軍師だと主張する根来金石斎は、いったい何を語るのでしょう……。
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