光る君へ感想あらすじレビュー

光る君へ感想あらすじ

「漢詩」は日本にどう伝わりどう変化していった?『光る君へ』を読み解くカギ

2024/03/27

大河ドラマ『光る君へ』を見ていると、至るところに漢詩・漢籍が登場します。

劇中で非常に重要な存在であることは一目瞭然であり、視聴者の皆さんも国語(漢文)の授業で一通り習ったと思いますが、本ドラマの第9回放送で不思議な場面があったのを覚えていらっしゃいますか。

まひろの父・藤原為時が謎の漢籍朗読を始め、花山天皇が興味なさそうに聞き流していたのです。

このシーンの不思議なところは、大きく2点あります。

・為時は、他の場面のように漢籍を訓読せず、中国語の発音で読んでいた

・読み上げる漢籍が、日本人の書いた漢詩だった

他の大河ドラマでは見られない何とも奇怪な描写であり、漢詩に関する興味深いシーンは第10回放送でも続きます。

藤原道長がまひろに和歌を贈ったのに対し、まひろは漢詩で返してきたのです。

途方に暮れた道長が、その意味を藤原行成に尋ねると、行成は気まずそうに「漢詩ということはフラれているのではないか?」と告げていました。

あれにはどんな意味があったのか。

いったい日本人にとって漢詩とは何なのか。

そもそも漢詩や漢籍はどう伝わり、どのように日本社会へ取り込まれていったのか。

本稿では、ドラマの深い理解に欠かせない日本人と漢詩の関係について考察してみたいと思います。

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為時は中国語が話せるのだろうか?

藤原為時が花山天皇に対して、中国語読みで漢詩を読み上げていた――このシーンについては色々な疑問が湧いてきます。

漢字を中国語の発音で読み上げるということは、それはもう日本語でなく中国語ではなかろうか?

日本人が作った漢詩をそのまま中国語で発音すれば、中国から来た人にも通じるのだろうか?

この疑問は、物語の大きな伏線になりそうです。

なぜか?

為時の発音は、綺麗な中国語には聞こえません。

中国語を話したことこない日本人が、そのまま音読しているようなものであり、かといって日本人に理解できるものでもなく、結果、よくわからない言語となっていました。

しかし、当時の日本人にとって藤原為時はどういう存在なのか?というと、彼は「中国語ができる人材」という認識になってもおかしくはありません。

花山天皇が出家を遂げた後、為時も失職しました。

彼は今後、職を得て返り咲きますが、その仕事とは漂着した宋船に対応することだったのです。

『光る君へ』には、松下洸平さん演じる周明(ヂョウ・ミン/Zhōu Míng)や、浩歌(ハオゴー)さん演じる朱仁聡(ヂュ・レンツォン/Zhū Réncōng)が登場しますが、彼らがその宋船に乗っていた人物となります。

きっと、まひろも藤原為時を通じて彼らと交流を持つのでしょう。

しかし、今のようにテレビもネットもない昔の日本人は、どうやって中国語を学んだのでしょうか?

 


中国語から書き言葉が始まった

日本語は、書き言葉にする時点で中国から漢字を取り入れました。

その結果、話し言葉やカジュアルなものは日本語、つまり大和の言葉を用いるようになり、書き言葉やビジネスなどは中国語由来の漢文が用いられるようになった。

ゆえに日本史の理解に漢文が欠かせないんですね。

日本語と漢文が併用する時代は長く続き、その状態から脱却するのは明治時代の【言文一致】運動を待たねばなりません。

いずれにせよ、こうした状態が続いたため、日本では【漢文訓読】という手法で中国語を読み解くこともできます。

幕末に上海へ渡った高杉晋作は、清人と筆談で交流したとされます。漢文を読み解いてきたからこそできるコミュニケーションが、日本には存在しました。

ただし、それは書き言葉での話。

いざ発音するとなると、中国語と日本語では異なります。

漢文は日本人同士が読むものであるし、わざわざ中国語で発音しなくてもよいのではないか?と思うかもしれませんが、かつてはそうではありません。

当時の作文は、以下のように面倒な段階を踏んでいたと思われます。

日本語を、中国語=漢文で書く

日本人でも読める書き下し文にする

原文を中国語で読む

頭が混乱しそうになりますが、これが日本語の書き言葉の出発点でした。

そもそも日本人はなぜ文字を書き始めたのか?

というと、中国大陸との国交が生じた結果、文書の提出を求められるようになったためです。

翻訳という手間をかけずに、書いただけで日中両方で対応できればお得……という理由で、日本語の書き言葉はそうなっていったのです。

紫式部と藤原公任の関係について
紫式部と藤原公任の関係性も匂わせる『光る君へ』漢詩の会に潜む伏線

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ただし、それが必要だったのは【遣唐使】が派遣されていた時代のこと。

相手に通じる文章を書き、ネイティブチェックができる唐人も招聘し、漢文を活用していましたが、時代がくだって唐が混乱に陥り、遣唐使を派遣できないようになると、そのまま唐が滅亡してしまったのです。

そしてその後は【五代十国】という乱世が半世紀ほど続き、正式な国交は回復せず、中国語への必要性がどんどん低下していった。

では、中国語の発音なんて忘れてもよいのか?というと、そうでもありません。

 

漢詩を作るならば、韻を学ぶべし

『光る君へ』では、若手貴族たちが漢詩の勉強会に参加し、例えば藤原公任は『孟子』の書き下し文を読んでいました。

ただし、中国語読みではなく、その必要もありません。

あの場面は【大学寮】ではなく、有力貴族の自主学習会です。

儒教の思想書を読み、政治の理想を語る、現代ならば社会科の自習のようなものです。

一方、前述の通り、藤原為時が花山天皇に講義をしていたときは、自作の漢詩を中国語の発音で読んでいました。

ここが重要です。

漢詩は【押韻】、つまり韻を踏むことが必要です。偶数句の末字が同じ韻でなければなりません。

為時のように漢詩を読む際は、中国語で読み、きちんと韻を踏んでいるのか確認していました。

『光る君へ』の時代でも【大学寮】のカリキュラムとして、中国語の発音を習うことは残っています。

そこでは【韻書】という書籍が用いられており、為時がその知識を活かしているのがわかる場面だったのです。

そして【韻】を確認することは、実は『源氏物語』にも関係があります。

【韻】の知識を競うゲームが、『枕草子』と『源氏物語』に出てくる【韻塞ぎ】――漢詩の中の押韻の字を隠し、そこにあてはまる字を当てるというものです。

光源氏はこの遊びで勝利をおさめ、周囲から称賛を集めていました。

『光る君へ』では、左大臣家に集う姫君サロンがあり、そこで興味深い遊びをしていました。

第3回に登場した【偏つぎ】であり、漢字の旁(つくり)と偏(へん)を組み合わせるゲーム。そうした漢籍教養を身につけるゲームとして【韻塞ぎ】もあったのです。

今後、もしかしたら『光る君へ』に【韻塞ぎ】も出るかもしれませんね。

そのときに注目したいのは発音かもしれません。

言葉というものは時代の流れと共に発音が変化します。

古い発音のまま【押韻】を踏んでいたら、ネイティブからおかしく感じるかもしれない。

越前守となった藤原為時が松下洸平さん演じる周明(ヂョウ・ミン/Zhōu Míng)や、浩歌(ハオゴー)さん演じる朱仁聡(ヂュ・レンツォン/Zhū Réncōng)と会ったとき、古い発音の自己流中国語で果たして通じるのか。

いささかマニアックな話かもしれませんが、北宋人である朱仁聡と周明とのやりとりに注目して見ると、またドラマが面白くなるかもしれません。

『鎌倉殿の13人』には南宋人である陳和卿が登場しましたが、来日してから年月が経過していたため、日本語で会話していた設定だったのでしょう。劇中では、激昂した時にのみ、中国語が漏れていたものでした。

 

時代とともに発音が変わり混乱が生じる

日本語を学んでいる中国人にとって厄介なことがあります。

中国語では文字一つにつき、発音は原則一つ。

あくまで原則であり、前後の文字の並び方によっては複数ある場合もありますが、日本では漢字の読み方がやたらと多くなります。

たとえば平安貴族必読の書である『文選』は「もんぜん」と読みます。しかし、現代の観点から素直に読めば「ぶんせん」となるのではないでしょうか。

中国大陸のように広大なエリアでは、以下のように、地域によって発音が異なります。

呉音:日本で最初に入ってきた音。呉(江南地方)の発音。日本は古来より江南地方と関わりが深く、ここから移住してきた民が多いとされます。和服の別名が「呉服」であることも、こうした関係がありました。【南北朝】時代は南方とのみ往来がありました。

漢音:中国が統一された隋唐時代、【遣隋使】と【遣唐使】が中国北部の中原で耳にした発音。

唐音&宋音:鎌倉時代以降、中国に渡来した仏僧が現地で耳にした発音。距離が近いため、仏僧は江南地方で学ぶことが多く、南宋時代には特に顕著となります。

【呉音】や【唐音】や【宋音】は江南のものである一方で【漢音】は北部。

しかも、日本人が慣用的に読む【慣用音】も出てきます。

ワケがわからなくなるから、いいかげんに統一しよう! と、桓武天皇が【漢音】を奨励する詔を出したものの徹底されません。

時代がくだると、さらにややこしくなります。

例えば現代において、誰かが「Appleは“アップル“じゃなくて、“アポォ”が近いよね」と言い出し、外来語の表記や発音が勝手に変えられたら鬱陶しいですよね。

しかし、かつて本場中国で仏教を学んできた僧侶たちは、そんなこと気にせず、当時の読み方を平気で取り入れました。

そうして生まれたものが【唐音】や【宋音】であり、こうなると、日本語ネイティブでもわけがわからなくなってきます。

『鎌倉殿の13人』に登場する公暁が典型例です。

江戸時代以降は【呉音】の「くぎょう」で記されるようになり、それが定着しました。

しかし、もっと遡った文献では「こうぎょう」だったため、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では「こうぎょう」が採用されています。

 


慣習で読み方を決め、さらに混沌が広がる!

『光る君へ』の時代は、今では人名に使わないような文字も多く、変換するだけでも辛い人物もいます。

登場人物名でも、混乱したという意見があります。

高畑充希さんが演じる「藤原定子」がその典型例で「ふじわらのさだこ」と呼ばれています。

「ていし」ではなかったのか?と思われた方も多いでしょう。PCで漢字ひらがな変換するにしても「さだこ」より「ていし」の方が先に出てきます。

なぜこんなことが起きるのかというと、そもそも読み方が不明なことが多いためです。

清和天皇の母は「藤原明子」と書いて「あきらけいこ」と読みます。

訓読みはあまりにややこしい。そう考えた明治時代、学者たちはこう考えました。

「王朝文学に出てくるような女性名は、音読みとしよう」

そのため明治以降は「ていし」が根付いていました。

と言っても、それは後世決めたルールでしかありません。

現に平清盛の妻・時子は「ときこ」と読むし、源頼朝の妻・政子は「まさこ」と読みますよね。

『光る君へ』では、敢えて明治以降のルールに準拠せず、蓋然性が最も高い訓読みを適用しているのでしょう。

学者や研究者が決めた慣習やルールがさらに難しくしていて、慣用的に独自の読み方があると、それが定着してしまう場合もあるのです。

唐代の大詩人である杜甫(とほ)の先祖に、杜預という人物がいます。

同じ氏なら「とよ」と読みそうなところですが、「どよ」と読む慣習が生まれました。

明代の文人である馮夢竜は「ふうぼうりゅう」と「ふうぼうりょう」といった慣用読みが根付いています。ややこしいので「ふうむりゅう」でも問題はありません。

ちなみにここで出てくる「明代」ですが、王朝名の場合のみ「みん」と読みます。「清」も王朝名の場合のみ「しん」となります。

王朝成立の際、できるだけ現地の発音に合わせたのでしょう。

現地に合わせたい気持ちはわかりますが、その結果、ややこしいことになってしまったのです。

 

日本人にとって漢詩はマッチョで意識が高いモノ

話を【漢詩】に戻します。

平安時代が終わり、武士の世となると、中国文学の需要も変わってゆきました。

平安貴族たちが【大学寮】で学んだ漢文は、【遣唐使】時代からのカリキュラムであり、内容は古びたものです。

一方、武士の世となると、中国大陸で学んできた最新事情のエキスパートとして、禅僧が登場。

【抹茶】を日本に根付かせた栄西はじめ、彼らが中国からの文化を伝える役割を果たしています。

平安末期、多くの坂東武者にとって和歌は役に立たない、意味のわからないものでした。

それが文明に触れ、和歌集に自作が掲載されることを待ち望むようになります。

さらにステップアップして、漢詩を詠む武士たちも登場してきます。

そもそも漢詩こそ、武士のメンタリティには合っているともいえます。

【漢詩】は日本では、独自の受容がなされたのです。

漢詩:意識が高いもの、政治への志を詠んでこそ。固い

和歌:ちょっとした心の琴線や、恋心を詠む柔らかいもの

日本史ではしばしば「漢詩は恋愛を詠むものではない」という説明があります。

これはあくまで日本史に限った話で、中国では切ない思い、胸のトキメキ、イベントではしゃいだこと、ペットロスなどなど、さまざまなジャンルが詠まれています。

あくまで日本人が「漢詩はマッチョで意識が高いぞ!」と言い張っているだけです。

例えば戦国武将でも、和歌を読んでも全くおかしくはありません。

【連歌会】は重要な交流の場でした。

しかし、和歌で「俺は絶対、天下をとってやる!」「戦い血に塗れた日々が懐かしいぜ」と詠むのはちょっとジャンルが違う。そもそもが短すぎる。

そんなわけで、戦場での気合いといった気持ちは敢えて漢詩で詠むようになりました。

伊達政宗の「酔余口号」は有名です。

馬上少年過

世平白髪多

残躯天所赦

不楽是如何

馬上少年過ぐ

世平らかにして白髪多し

残躯天の赦(ゆる)す所

楽しまずして是を如何(いかん)せん

思えば若い歳月は、馬の上で過ぎて行った

今は天下泰平の世となり、すっかり白髪が多くなった

この老いた身を天がいつまで生きさせてくれるのか?

そう思えば、楽しむしかないだろう

伊達政宗は漢籍教養にあふれた人物です。

「独眼竜」とは、唐末の名称・李克用由来の通称とされます。

実際に政宗がそう呼ばれていたかはともかく、李克用のトレードマークは「鴉軍」と呼ばれた黒い甲冑軍団であり、政宗も黒い甲冑を愛用しました。

仙台という地名にしても漢籍由来です。中国を代表する作家・魯迅が留学した土地であり、そこで恩師である藤野厳九郎と運命的な出会いをはたした場所でもあります。

日中関係において何かと縁のある場所が仙台なのです。

あるいは武田信玄には、明太祖である朱元璋を“パクった”作品があります。

言葉は悪いとはいえ、実際そうとしか思えないのが一目瞭然です。

明太祖・朱元璋「無題」

殺尽江南百万兵

腰間宝劍血猶腥

山僧不知英雄漢

只顧曉曉問姓名

殺し尽くす 江南百万の兵

腰間の宝剣 血猶お腥(ちなまぐさ)し

山僧は知らず 英雄漢

只だ顧み曉曉として姓名を問う

江南の百万の兵を皆殺しにしてやった

腰に佩びた宝剣は、いまだに血なまぐさい

それなのに山にいる僧侶と来たら英雄を知らんのか、

丁寧に名前を聞いてきおった

武田信玄「偶作」

鏖殺江南十万兵

腰間一劍血猶腥

豎僧不識山川主

向我慇懃問姓名

鏖殺(おうさつ)す 江南十万の兵

腰間の一剣 血猶お腥(ちなまぐさ)し

豎僧(じゅそう)は識(し)らず 山川の主

我に向かって慇懃(いんぎん)に姓名を問う

江南の十万の兵を殺し尽くしてやった

腰に佩びた剣は、いまだに血なまぐさい

それなのに寺の小僧ときたら、

私のことを知らないのか、丁寧に名前を聞いてくるとは

こうして信玄が漢籍を読むうちに、『孫子』がスッキリと頭に入り、無双の強さを手に入れていった。

そう考えると、【漢詩】を熱心に取り入れる心意気はメリットも多い。

教養は新たな時代を迎えていたのです。

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ナポレオンもイオマンテも漢詩で詠まれる江戸時代

江戸時代になっても、日本人は独自の漢詩を読み続けます。

戦国武将の戦いぶりを詠むとなれば、やはりそこは【漢詩】となります。

頼山陽「川中島」

鞭声粛粛夜渡河

曉見千兵擁大牙

遺恨十年一剣磨

流星光底逸長蛇

鞭声粛粛 夜河を過る

曉に見る千兵の 大牙を擁するを

遺恨なり十年 一剣を磨き

流星光底 長蛇を逸す

馬に当てる鞭の音すら立てぬようにし、謙信は、夜河を渡った

暁の中、信玄は大軍を見て驚く

遺恨十年、この時を待ち、剣を磨いてきたぞ!

流星の光芒で切りつけたというのに、あの怨敵を逃すとは無念

川中島の戦いにおける「謙信と信玄の一騎討ち」は、こうしたフィクションにより広まってゆきました。

こんな文を読んだら、頭の中には英雄が浮かんできてしまう――そんな風にうっとりしてきたのです。

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中国の山河でもなければ、英雄でもなく、日本の景色を前にして戦う日本人の英雄たち。

こうなるともはや日本独自のジャンルとしてもよいのではないでしょうか。

頼山陽はナポレオンの生涯まで【漢詩】である「仏王郎歌」に詠み、それもあってかナポレオンブームまで到来していて、もう何でもありの状態です。

幕末の幕臣である栗本鋤雲は、樺太アイヌからイオマンテに招かれた際、感銘を受け漢詩にしました。

栗本は清朝の外交官とも漢詩を交えた交流を楽しんでおり、外交手段としての漢詩活用例といえます。

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独自の進化を遂げた日本の【漢詩】――唐から教師を招いていた時代を考えると、思えば遠くへ来たものです。

では、そんな日本人の【漢詩】を、ネイティブはどう思ったのか?

まず、驚かれるのは間違いありません。

「スゴーイ! どうやって学んだのですか?」

社交辞令としてはこうなりますが、いざ作品の評価となると厳しい。

越前守となった藤原為時も宋人に自作を披露したところ、どうにも軽薄でいまひとつと思われたようです。

江戸時代となると、長崎の唐人屋敷に自作を携えた文人が押しかけ、清人たちに添削してもらいました。

彼らの感想は、くだけて書けばこんなところです。

「テーマがちょっとほのぼの系に寄りすぎていますね。もっと高尚なもののほうがベターです」

「韻の踏み方がいまひとつかな」

「全体的に古い。なぜ、日本人の漢詩って、唐代あたりで止まっているんだろう?」

前述の通り、変化してゆく発音についていくことは難しい。

しかも日本の漢詩は、形式からして唐代あたりでトレンドが止まっていて、宋代に大隆盛した【詞】のような流行が取り入れられていません。

結果、素直に添削を受けた日本人もいれば、そうではない人もいました。

 

実質、漢詩だって日本のモノ?

日本では徳川家光の時代に【明清交替】という大事件が起きました。

漢族の明が滅び、夷であったはずの【女真族】が清朝を立てたのです。

【女真族】は清のあとは【満洲族】とされます。時代を遡りますと、【刀伊の入寇】の「刀伊」はこの【女真族】です。

となると朝鮮や日本はこう考えます。

「中華の盟主たる漢族の明は滅びたのだ。もう、我々こそが実質的な中華になるのではないか?」

中国側からすればわけがわからない話でしょう。

朝鮮であれば【科挙】もあるし、官僚の朝服も明朝に似ているから、まだ理解ができるかもしれません。

しかし日本は全くそうではない。

にもかかわらず日本型の【中華思想】が江戸時代にはジワジワと根付いてゆきます。

もうこうなると、もはや【漢詩】は中国のものではなく、日本のものと思っても無理のないところではあります。

こうした発想の本拠地は、朱舜水ら亡命明人を積極的に受け入れた水戸藩でした。

ここで大河ドラマが関係してきます。

日本人と漢詩といえば、大河ドラマ『青天を衝け』は渋沢栄一の漢詩からタイトルがとられました。

渋沢栄一は水戸藩が発祥の【水戸学】信奉者です。

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江戸時代後半ともなると、日本では豪農層にまで教育が浸透し、渋沢のような階級でも、教養の一環として【漢詩】を詠めるようになっていた。

幕末には、こうした漢籍教養が身分の差を示していることもわかります。

江戸時代後期以降、こう呼ばれている人物が見受けられます。

「あの人は頭は切れるが、教養がない」

漢籍理解力が低いという意味で、あの平賀源内ですらそう評されています。

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新選組に当てはめてみると、局長の近藤勇は豪農出身で、武士に近いカリキュラムで学んでいたことが伺えます。筆跡は力強く、漢詩も詠んでいる。

一方、副長の土方歳三は、町人としての教養にとどまりました。筆跡は当時のかな文字に適した柔らかいものであり、和歌で志を詠んでいます。

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こうした状況を踏まえると、漢詩を詠んでいた渋沢栄一は、彼の教養が高かったといえる。

そんな積み重ねがあればこそ、上海の高杉晋作も筆談でコミュニケーションが取れたといえるのです。

しかし、日本人が身につけた漢籍教養は、良い点ばかりではありません。

悪いところもあります。

近代とはナショナリズムが高まり、国家に利用されていった時代です。

ヨーロッパでは【フランス革命】あたりから文明のルーツとして、古代ギリシャ・ローマを打ち出すようになりました。

日本の場合は江戸時代の【国学】以来、天皇を頂点とするナショナリズムだけでなく、【華夷変態】のロジックを混ざるため、より混沌としてきます。

【脱亜入欧】を掲げて国づくりをしながら、西洋が日本を受け入れないことがわかってくると、ますますこじれてゆく。

アジアの盟主として君臨することを目指した日本は、アジア全体のものを自分たち独自のものとする、文化的なジャイアニズムを振り翳します。

例えば『三国志』でおなじみの諸葛亮や、南宋の忠臣・文天祥(ぶんてんしょう)が、大和魂を鼓舞する英雄と見なされました。

漢籍由来の語句も、戦意高揚に用いられてゆきます。

「攘夷」「碧血」「玉砕」といった言葉も、元を辿れば漢籍由来なのです。

中国には、今も日本兵の遺品が大量に残されています。そこに残された漢籍由来の言葉を見ると、現地では困惑が広がるそうです。

日本と中国の不幸な関係を象徴するものといえるのでしょう。

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山川域を異にすれども 風月天を同じうす

話を現代へ進めましょう。

日本では学校の授業で漢文を習いますが、そこで生じそうな疑問を考えてみましょう。

まず、中国人は漢詩を読めるのか?という疑問です。

簡単に読めるわけではありません。なんせ古典です。日本人が『源氏物語』を原文で読むようなものと言いましょうか。

簡体字を導入したのならば、繁体字は書けないのか?

これも日本人と同じものだと思いましょう。現代人の多くは、そうそう旧字体で漢字は書けませんよね。書を趣味とするような人ならばできます。

筆談で日本人と中国人はコミュニケーションを円滑に取れるのか?

というと、漢字そのものの意味が変わっています。

明治時代、魯迅はじめ、多くの清人が日本に留学し、彼らは驚きました。

本国では消えたモノが生きている!

例えば『水滸伝』などがそうで、本国では後半をカットした金聖嘆版が定番となり、完全版が消えていました。

『白蛇伝』も、馮夢龍の書いたものはなくなっていました。

こうした通俗小説の場合、意図的に消されたのではなく、後に出たベストセラーに上書きされて消えたのです。

それが日本には原版が残されていて、再発見されたのでした。

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漢字も同様です。

中国では古代にしか使っておらず、日常からは消えた語句が日本では生きて使われていた。

わかりやすい例で言えば「兄」がそうで、中国では「哥」に替わりました。『三国志演義』のころには、張飛の台詞のようなくだけた言い回しでは、すでにそうなりつつあります。

「兄」というのは、現代中国では時代ものでしか使わないか、かなりかしこまった言い回しになります。

「大師兄」(ものすごく尊敬できる頼りになる兄上)といった特殊な使い方です。

そういう日本にあるタイムカプセルとなった文化に驚き、敢えて和服を身につける清人もいました。

「今の服は満洲族のものだ。日本の和服は、元を辿れば漢族が呉から伝えたものじゃないか」

このように考え、むしろ漢族への敬愛を示すものでもあったのです。

秋瑾/wikipediaより引用

それから時は流れ、日本では「漢文教育否定論」がしばしば取り上げられるようになりました。

しかし、ここまで読んでいただいた方には、漢文を禁じるべきではない理由がわかると思います。日本人が自らを否定してしまうような現象と言えるでしょう。

実は近年も【漢詩】を通した日中交流がありました。

2020年のコロナ禍が広まる中、日本から中国へ送られた支援物資ののラベルにこう記されていたのです。

「山川異域 風月同天」

長屋王が鑑真に贈った詩でした。

当時の日本では、受戒できる僧侶がいません。

そこで仏僧の覇権を願い、千の袈裟に【漢詩】を添えたのです。

山川異域

風月同天

寄諸仏子

共結来縁

山川域を異にすれども

風月天を同じうす

諸の仏子に寄す

共に来縁を結ばん

山と川が別の場所にあっても、風と月は同じ天の下にある

これを仏教とに送る、共に来縁を結ぼうではないか

国はちがっても思いは同じだ――そんな気持ちが伝わる素晴らしい気配りであり、中国でも感動を呼びました。

【漢詩】とは国と国を結ぶ大切なものなのです。

『光る君へ』でも、登場人物が【漢詩】を詠むと、海を超えて盛り上がっています。

藤原為時が自作【漢詩】を詠む場面も、そうした中に入ります。

為時が越前に向かうとき、まひろも父に付いてゆき、宋人の医者である周明(ヂョウミン)に出会い、宋の言葉を習うとか。

これにより、まひろはさらに大きな可能性を秘めることになります。

都にいる貴族では実現しない、中国語発音のネイティブチェックを受けることができるのです。

そんなまひろからすれば、ききょう(清少納言)の韻なんて話にならないと思ってしまうのかもしれませんね。

日本と中国の歴史に思いを馳せながら見ると、『光る君へ』はさらなる楽しみ方が広がることでしょう。

今も若い日本人が漢詩を詠んでいます。日中の架け橋となる伝統が続いて欲しいものです。

◆埼玉ノ高校生、漢詩ニ沼ル! 全国大会入賞「漢語は新鮮」 日本人の創作の伝統に新しい風(→link

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【参考文献】
髙田宗平『日本漢籍受容史: 日本文化の基層』(→amazon
加藤徹『漢文の素養 誰が日本文化をつくったのか?』(→amazon
八鍬友広『読み書きの日本史』(→amazon

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小檜山青

東洋史専攻。歴史系のドラマ、映画は昔から好きで鑑賞本数が多い方と自認。最近は華流ドラマが気になっており、武侠ものが特に好き。 コーエーテクモゲース『信長の野望 大志』カレンダー、『三国志14』アートブック、2024年度版『中国時代劇で学ぶ中国の歴史』(キネマ旬報社)『覆流年』紹介記事執筆等。

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