大河ドラマ『豊臣兄弟』の第14回放送は、始まりから終わりまでほぼ「金ヶ崎の退き口」一色でした。
『麒麟がくる』では、京都へ帰還後の秀吉が「どうせおまえなんて、大して戦わず逃げ戻ってきただろ」と、柴田 勝家からディスられていましたが、果たして『豊臣兄弟』ではどう描かれるのか。
史実と照らし合わせながら振り返ってみましょう。
お市の方の小豆袋
「浅井長政が挙兵して織田軍の背後へ迫っている」
勝家の忍びの報告を聞いた織田信長は、その一報を「朝倉の罠じゃ」と取り合いません。
長政とオレは相撲をとったマブダチだぞ!
回想シーンからそんな雰囲気も流れてきましたが、ここで「裏切りじゃ!」「いや、そうではない!」というやり取りの末、持ち込まれたのが“小豆袋”でした。
そう、お市の方が送ったのです。

袋の両側が固く結ばれていて、織田軍は浅井と朝倉の挟撃に遭う――。
そんな意味が込められている逸話として非常に有名であり、江戸時代中期以降の『朝倉家記』に記されたものです。要は創作話ですね。
散々、描き尽くされてきたエピソードでもあり、『まさか、その話を入れるのか!』と思った戦国ファンの方も多いでしょうか。
一方で、そんな背景を知らない視聴者の方には『お市、凄ぇな!』という印象になったかもしれません。
『豊臣兄弟』時代考証の黒田基樹氏は、著書の中で、他の方法でも連絡は困難だったという見解を示されています。
合戦ともなれば主要な街道が監視されるからであり、あのような早さで連絡を取るのは不可能。
そもそもお市の方が、浅井に不利になる情報を兄へ送るのか?という問題もあります。
彼女は、後に同家が滅びるとき、自身が自害できなかったことを「悔しい」としております。
浅井の人間として共に死を覚悟していたのにそうはならなかった。ゆえに、後に柴田勝家に嫁ぎ、その最期を迎えるときは「今度こそ」と一緒に亡くなっています。
そんな覚悟を持って嫁いだ女性が、兄を思うあまりに浅井が不利になる手紙を送るでしょうか。
お市の方という女性を魅力的に魅せるのであれば、毅然と兄を見限るほうが良かったようにも思うのですが……。

お市の方/wikimedia commons
なお、浅井と織田が交戦状態に陥ったからといって、即座に離縁となるものでもありません。
戦乱期の外交事情で嫁入りした妻がその都度離縁されては、関係改善もままならず、後に和睦交渉をするのであればホットラインを残しておいたほうが互いに有利です。
例えば武田家と北条家などもその最たる例でしょう。
信玄の駿河侵攻で交戦状態に陥った両家。
このとき信玄娘の黄梅院は実家へ返されたと考えられていましたが、近年の研究では離縁・帰還の事実は確認されておらず、実際はそのまま小田原で生涯を終えています。
武田家と北条家も、程なくして再び同盟を結び直したり、あるいは再び交戦したり……婚姻は国家事業でもありますが、後に和睦の起点にもなるため、戦争=即離縁というわけでもなかったんですね。
秀吉の自傷は破傷風の危険性
浅井長政の裏切りをついに認めた織田信長は思いもよらない方向へ過激化します。
「浅井朝倉と一戦じゃ!」
狂ったように叫んでいる姿から正気を失っているように描かれますが、実際どうなんでしょう。
織田軍は3万もいるのですから、例えば1万5千を対朝倉、1万5千を対浅井に配置すれば、そう容易く負けることもないのでは?というのは素人考えなんですかね。
問題は兵糧なのか。
あるいは挟撃に遭っていると、足軽が戦場から離脱してしまうとか?
驚いたのは、織田信長を冷静にするため、秀吉が取った行動でしょう。
突然、刀で自分の足を突き刺し、信長が冷静になるよう促します。
案の定、信長はボーゼン。
しかし……。

問題は、地面まで突き刺した刀を引き抜くときです。
患部にがっつり土がついて、破傷風になったりせんのか?
「ハハッ、そんなんで死ぬわけないだろw」とは言い切れないと思います。
破傷風菌はそのへん至るところにあり、傷口から体内へ侵入して増殖し、毒素の排出が止まらなくなると、成人ですら高確率で命を落とす感染症です。
そのため、つい最近の1990年代まで、世界では毎年数十万人が亡くなっていました。
現代は、ワクチンが普及して死者は激減しましたが、それでも毎年数万人が命を落としています。
大河ドラマ『べらぼう』で注目された平賀源内も、史実では破傷風が死因と目されており、戦国時代の戦場であればさらにその危険性は高くなるでしょう。
家康から貰った薬など、本当に気休めにもなりません。
なんなら、あの薬のせいで死にそうだぞ。
しかも、あんな状態で撤退戦を請け負うなんて……。
※よろしければ別記事「戦国時代最強の毒はウ◯コ(破傷風)なのか?」をご覧ください
松永久秀の出番じゃろ!と思いきや
青天の霹靂だった浅井長政の裏切り。
天才軍事マニアの竹中半兵衛だけは予見していて、道中の地図を記していました。
見たところ、かなりざっくりしていましたが、ネズミや猫の絵だけが妙に上手で……まぁ本人が把握していれば問題はないですかね。
信長から秀吉に伝えられたのは「二刻(約4時間)稼いで、逃げよ!」という指令。
そのため『太閤記』では、金ヶ崎城に篝火(かがりび)や旗指物を設置して、城内にまだ信長がいると見せかけるという作戦でした。
いかにも孔明っぽい作戦だけに、本作では「こんなもの気休めじゃ、すぐにバレる」としていましたが……。
実際に即バレして、発見された敵に秀吉軍が襲いかかります。
しかし、酒と見せかけた容器には火薬を仕込まれていて、それを爆発させると、城への進路では蜂須賀小六らの川並衆が大木を倒し、そこへ秀吉がやってきて矢で全滅させる。

小六は、戦うときぐらい松明を置きなさいってば。
かと思えば前田利家の家臣たちが「グルルルル」と犬の鳴き声で戦闘に向かう、あれは一体なんだったんだ。
こうして秀吉軍が朝倉の追撃対応に必死なそのころ、信長は馬を捨て、山中を徒歩で進んでいました。
信長のすぐ背後にいる松永久秀が映し出されたので、いよいよ朽木領かな?と思いきや、何ら語られることすらなく過ぎていきます。
あれれ?
信長の退路において、重要ポイントとなったのは朽木領だったともされます。
若狭から京都へ向かう上で中継ポイントとも言えるエリア。
朽木元綱がその気になれば織田軍全体が大打撃を喰らう危険性もあるわけで、ここで話を通したともされるのが松永久秀です。
今回の出陣前、久秀に「戦場では何が起きるかわからない」と言わせていたのは、朽木元綱とのやりとりを入れるからだと完全に思い込んでいました。
竹中直人さん演じる松永久秀は、本作では稀有な緊張感のある武将だったので、ぜひ目立たせて欲しかったなー。
なぜ長政は秀吉らを逃がしたのか
約束の二刻(約4時間)が過ぎ、撤退の時刻となりました。
そんな秀吉軍の前に現れたのが浅井軍です。

秀吉軍と対峙した浅井長政は、即座に鉄砲隊を構えさせます。しかし……。
ババババ、バーン!
先に発射したのは明智光秀の部隊でした。
光秀らも別働隊として殿(しんがり)を任ぜられたことがここで明かされます。
なぜ、秀吉らに隠す必要があったのか。
イマイチその理由は不明ですが、さらに不思議だったことが2点あります。
・なぜ光秀は浅井長政も一緒に狙わなかったのか
・なぜ浅井長政は戦わずに引いたのか
織田家の重臣となっていた秀吉をその目で確かめ、何ら攻撃もせず引いたとあっては朝倉から再び裏切りを懸念されかねない行動のように見えます。
信長がもう安全圏に入ったから?
ならば余計に、戦果を挙げるため「重臣である秀吉の首だけは取りました」としたくなるのでは?
城に戻って次の合戦の準備というならば、眼の前の織田家重臣を倒すほうが先でしょう。
つまるところ、彼らのいた場所は、もはや戦場ではないように感じられました。
だからでしょうか。京都では、織田信長が約束通り宴を用意して待っていましたが、『舞台:金ヶ崎の退き口』の千秋楽を終えて、打ち上げをしている時代劇の役者さんたちのように見えてしまった次第です。
金ヶ崎の勝正スルー
金ヶ崎の退き口といえば豊臣秀吉と明智光秀!
そんな印象が強いせいか、今回も池田勝正は出番がありませんでした。
各種の書籍解説にもありますように、この撤退戦で3千という最大兵力を率いて殿(しんがり)を務めたのは勝正だったのです。
これは別に『豊臣兄弟』だけでなく他のドラマや漫画作品などでもそう。
勝正が後に目立った活躍がなく、ひっそりと歴史の表舞台から姿を消していくためなのか、とにかく「金ヶ崎の勝正スルー」が発生してしまいます。
まぁ、仕方ないですかね。
殿(しんがり)の主力は池田勝正だった!
信長もその活躍を褒め称えた!
これでは『豊臣兄弟』の物語としては面白くないですもんね。
なんせ次回は「姉川大合戦」という、これまた盛り上がり必至の合戦。
よろしければ別記事「姉川の戦い」をご覧ください。
参考文献
黒田基樹『お市の方の生涯 「天下一の美人」と娘たちの知られざる政治権力の実像』(2023年1月 朝日新聞出版)
太田牛一/中川太古『信長公記』(2013年10月 KADOKAWA)
岡田正人『織田信長総合事典』(1999年9月 雄山閣)