豊臣秀長の肖像画

豊臣兄弟感想あらすじ

「秀長って誰やねん」から始まった『豊臣兄弟』は大丈夫なのか?第18回レビュー

大河ドラマ『豊臣兄弟』の第18回放送のレビューは困ったことになりました。

皆さんご存知のように豊臣家臣団の「就活コメディ」が話の主軸で、「長篠の戦い」や「松永久秀の謀反と筒井順慶の台頭」などはほんの十数秒のナレーションで終わってしまいました。

重きを置く場面が完全に逆でしょぉおおおお!

「長篠の戦い」の省略は、まだ仕方ないとも思えます。

ドラマにして話題になるのは鳥居強右衛門のマラソン話だったり、あるいは酒井忠次の別働隊だったり、豊臣や織田より徳川向けといったネタが目立ち、実際に『どうする家康』でも詳しく描かれていました。

「今回はスルーで」と言われても、まぁ納得はできます。

しかし、松永と筒井の省略は厳しくありませんか?

松永久秀イメージイラスト

本作の主役である豊臣秀長は、後に大和国を治めることで豊臣秀吉の天下を足元から支えたと評価されています。

大和国(奈良)は、興福寺や東大寺などの大寺院権力が根を張る、統治の難しいエリアとして知られ、織田信長も松永久秀と筒井順慶の間で非常にややこしい選択を迫られました。

そんなエリアを上手く統治することは、すなわち「秀長を主役にした意味」がわかりやすいところであり、だからこそ松永久秀役に竹中直人さんを配置したのかとも考えていました。

それが数秒のナレーションで終わりですから、拍子抜けもするってもんで。

「なぜ秀長を主役にしたのだろう?」という疑問も湧き、ふと脚本家さんのことを検索してみたら、なんとも悲しいインタビュー記事を目にしてしまいました。

 


脚本家「秀長って誰やねん」

記事とは2025年末、NHKの公式サイト「ステラnet」に掲載されていたものです。

◆大河ドラマ「豊臣兄弟!」脚本家・八津弘幸「秀長はドラえもんで秀吉がのび太くん」ステラnet

秀長がドラえもんで、秀吉がのび太との想定だそうで……そこはさておき、驚きの部分を以下に引用させていただきます。

――もともと秀長のことはご存じだったのですか?

それが、全然知らなかったんです(笑)。名前は聞いたことがあるけど、「それ誰やねん?」という感じでした。

見た瞬間、リアルに「うわぁお!」という言葉が出てしまいました。

脚本家の八津弘幸氏は、あの『半沢直樹』を手掛けた方で、確かに知名度や功績は素晴らしいものがあります。

しかし、歴史に関して詳しいとは言えない。

さすがに秀長のことを「それ誰やねん?」とまで、ぶっちゃけているとは思いませんでした。

豊臣秀長の肖像画

豊臣秀長/wikimedia commons

ある意味アッパレでして、八津弘幸氏は最初に「堺屋太一さんの著作『豊臣秀長 ある補佐役の生涯』から読み始めた」とも答えています。

要は、それまでの歴史知識は「墨俣一夜城」や「草履」、あるいは「天下人」とか「大坂城」ぐらいの知識で止まっていた可能性もあるでしょう。

そこから2年ほどで「歴史ファンに見応えのある秀吉作品をつくりあげろ!」というのが、無理な話ではありませんか。

「八津弘幸氏が悪い」と言いたいのではなく、そこまで求めるのは酷だったのかもしれません。

今回の主役は豊臣秀長で、その兄の豊臣秀吉が準主役。

だから「豊臣兄弟の歴史だけを知っていれば脚本などなんぼでも書ける!」とはならないのが大河ドラマでしょう。

織田信長のストーリーがあって、それを土台に若い頃の秀吉と秀長が描かれ、今後ドラマが進んでいけば、豊臣兄弟が関わる西日本の武将たちも飛躍的に増えていく。

豊臣家臣団の三成や高虎でしたら、じっくりと個性を描ける時間もあります。

『豊臣兄弟』藤堂高虎イメージイラスト

しかし、物語が進むにつれ「ちょっとしたセリフや行動などから、その人物の個性までを表現しなければならない」という、非常に難しい場面が頻出するはずです。

例えば大河ドラマ『麒麟がくる』の斎藤利三は、わずかな出番でその後のストーリーにまで強く影響を与える、非常に濃密な人物像で描かれました。

脚本家・池端俊策氏のインタビュー記事をご覧になれば、ウキウキワクワクと描いているのが伝わってきます。

◆「麒麟がくる」脚本・池端俊策氏「本能寺の変」描写プラン「見えた」従来の明智 光秀像は「全く白紙に」スポニチ

2年前まで「秀長って誰やねん?」だった方に、そんな作業は到底無理でっしゃろ?

「歴史、好きです」という脚本家でなければ、大河などできませんて。

三谷幸喜氏の作品が「史実をまったく無視した場面」でも面白いのは、氏の頭の中に蓄積されてきた歴史的な表現や思いが大量に詰まっているからでしょう。

それを搾れば、歴史の原液がポタポタとにじみ出てきて、文字となりストーリーとなる。

しかし「それ誰やねん」発言からして、八津弘幸氏の歴史原液はかなり薄い。ジワジワと“好き”は滲んでこない。ゆえに見ている方もワクワクできない。

考えてみれば『半沢直樹』には原作がありましたので、大河ドラマも原作アリならば状況も変わっていたかもしれませんね。

とにかくもう、本作について「史実と違う!」と怒っても仕方ありません。

LOVEなストーリーが幅を利かせても諦める。

今はもう、かつての話題作であった『江』『天地人』『どうする家康』に並ぶかどうか、そんな視点から見ていくしかない――。

個人的にそう悟ったところで、今回は「就活コメディ」で取り上げられた豊臣家臣団の出自について、史実面から確認しておきましょう。

石田三成を運ぶ藤堂高虎イメージイラスト

 


石田三成

石田三成は永禄三年(1560年)、近江国坂田郡石田村(現在の滋賀県長浜市)で地侍・石田正継の子として生まれたとされます。

秀吉が構えた長浜城のエリアに、たまたま官吏仕事の天才が生まれていたんですね。

石田三成の肖像画

石田三成/wikipediaより引用

では、どうやって秀吉に見出されたのか?

最初にぬるいお茶、次に温かいお茶、最後に少なめの熱いお茶を出したという「三献茶」のエピソードは有名な創作であり、手垢にまみれているためドラマでも採用されなかったのでしょう。

秀吉が人材募集をかけていた天正元年(1573年)頃、小姓として出仕したとされます。

そこで武力ではなく実務能力を見出され、兵糧や軍船の調達など「兵站の維持」や検地などの「内政」、あるいは島津や上杉などとの「外交」で秀吉から絶大な信頼を獲得。

秀吉や豊臣家に対する過度な忠誠心や隙のない態度から、周囲との軋轢を生じさせてしまい、特に加藤清正福島正則などと激しく対立しました。

 

藤堂高虎

藤堂高虎は弘治二年(1556年)、近江国犬上郡藤堂村(現在の滋賀県甲良町)の土豪・藤堂虎高の次男として生まれました。

石田三成と出自は似たような感じですね。

デビュー戦となる初陣は、ドラマでも描かれたように元亀元年(1570年)「姉川の戦い」で、いきなり武功を立てたとされます。

身長1m90cmとも伝わる巨躯の身でしたので、戦場での槍働きでは大いに有利だったでしょう。

藤堂高虎の肖像画

藤堂高虎/wikipediaより引用

当時は、主君の浅井家が傾き始めた頃であり、高虎もその後は阿閉貞征や磯野員昌、津田信澄など、次々と主君を変える日々となります。

津田信澄は、信長が誅殺した弟・織田信勝の息子で、『豊臣兄弟』でも配役が緒形敦さん(父は緒形直人さん:祖父は緒形拳さん)と発表されていますが、ここでは登場しませんでしたね。

しかし、豊臣秀長に仕えてからは、その最期まで仕えて続けています。

逆に、藤堂高虎の伝記『聿修録(いっしゅうろく)』の中に数少ない秀長の記述があり、その中の「温厚な人物で秀吉をよく助け偉業を達成させた」という部分が今日の秀長評を決めたとされます。

秀長だけでなく、徳川家康からも絶大な信頼を得て、さらには「築城名人」とも知られ、頭脳も明晰。

ドラマで描かれていたような脳筋タイプではなさそうです。

 


片桐且元

片桐且元といえば徳川家康淀殿に挟まれた武将としてお馴染み。

最後まで豊臣秀頼を助けようとして粘りながら、大坂城の味方から敵視・非難されたため城を出るしかなく、結果、徳川と豊臣の「大坂の陣」へ突入したことで知られます。

片桐且元の肖像画

片桐且元/wikipediaより引用

もともとは弘治二年(1556年)、近江国浅井郡須賀谷の国衆・片桐直貞の長男として生まれたと考えられています。

片桐且元もまた、三成や高虎と同じような出自であり、天正二年(1574年)頃、長浜城の秀吉に仕えました。

「賤ヶ岳の七本槍」の一人であり、戦後は3000石を貰っています。

三成と同じく官吏としての才能を認められ、豊臣政権の運営に携わりました。

 

平野長泰

賤ヶ岳の七本槍では、最も地味な武将かもしれません。

実は近江出身ではなく秀吉と同じ尾張であり、父と共に仕えたとされます。

賤ヶ岳の戦い後、5000石を与えられるも、その後は羽ばたくことができず所領は5000石のまま。

大きな出世を遂げられなかったのが地味な存在とされてしまう原因かもしれません。

しかし、それが悪かったとも言い切れません。

平野長泰の浮世絵

平野長泰の浮世絵(落合芳幾作)/wikimedia commons

平野長泰は関ヶ原の戦いで東軍に属して、無事に生き残ったのです。

ただし、徳川秀忠に付き従ったため武功を挙げることはかなわず、江戸幕府では旗本へ。

七本槍の中で唯一、大名になれなかった者として知られることになりますが、寛永五年(1628年)に享年70で亡くなるまでの長寿は果たしています。

ということで本作がワクワクできない理由は、まさかのNHK公式インタビューにありました。

「ツマラン!」という怒りより、ワクワクを共有できる人に書いて欲しかった……という悲しみの方が上回っています。

とりあえず高虎は脳筋ではない!という別記事「藤堂高虎の生涯」でもご覧ください。

◆ 『豊臣兄弟』総合ガイド|登場人物・史実・出来事を網羅


参考文献

今井林太郎『石田三成』(1988年11月 吉川弘文館)
外岡慎一郎『大谷吉継』(2016年11月 戎光祥出版)
日本史史料研究会編『秀吉研究の最前線』(2015年12月 洋泉社)
柴裕之『図説 豊臣秀吉』(2022年6月 戎光祥出版)
和田裕弘『豊臣秀長 「天下人の賢弟」の実像』(2014年3月 中央公論新社)
諏訪勝則『藤堂高虎』(2014年9月 戎光祥出版)
藤井讓治編『織豊期主要人物居所集成〔増補第3版〕』(2024年8月 発行)
堀新・井上泰至編『秀吉の虚像と実像』(2017年7月 笠間書院)

【TOP画像】豊臣秀長の肖像画/wikimedia commons

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川和二十六

歴史学科を卒業。大河ドラマ『豊臣兄弟』レビューおよび歴史エンタメ記事を担当。歴史記事以外でも様々な分野のライティングや編集業務もこなしている。 ◆国立国会図書館データ https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/001138406

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