天正6年(1578年)の3月13日(新暦4月19日)って、何の日かご存知ですか?
ヒントは戦国時代で越後の龍。
そう、上杉謙信公の亡くなられた日であります……って普通は、まずわかりませんね。
戦場では負け知らずの謙信さんも、当然ながら「死」には勝てませんでしたが、彼の死に場所はライバルの武田信玄みたいに遠征中に倒れてそのまま亡くなってはおりません。
誘発したのはトイレでした。
※以下は上杉謙信と武田信玄の関連記事となります
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お酒と塩辛い肴が大好物
謙信の食生活に関する記録を見てみると、必ず出てくるのが『酒好き』です。
肴は『干物、梅干し、塩や味噌』など。
この時点でもう【高血圧】という病名がチラつきますね。
当時は健康マニアと称される徳川家康でも塩分過多な食生活をしていて、こちらの記事(徳川家康の死因)でも「鯛の天ぷらではなく胃がん」の可能性に触れました。
ともかく高血圧が続くと動脈硬化がおこり血管が破れやすくなります。
天正6年(1578年)のまだ春浅い3月9日のことです。
謙信は遠征の準備中に春日山城内の【厠(かわや・トイレ)】で倒れ、そのまま昏睡状態となりました。
その後、わずかに意識を取り戻して唇を動かすも、結局、13日に死亡。
享年49で、その経過から脳出血が死因と考えられております。
にしても、死を誘発したのがトイレだったとは、現代人の我々から見れば実にバカバカしい最期だと思われるでしょうか?
いえいえ、まだ寒い時期は危険なスポットなのです。
夏場に少なく、冬多い 脳出血
人は、寒くなると交感神経が緊張するため、健康な状態でも血圧が少し高くなります。
そのため暖かい室内から寒い廊下やトイレに行くと血管が収縮し、急激な血圧上昇を起こす場合があります。
特に、用を足す時は自然と力みますよね?
この時、脳の血管が圧力に負けて出血する『脳出血』を起こす場合があるのです。
実際、統計的に脳出血は夏場に少なく冬場多いというデータもあり、越後のような雪国でしたら、その傾向はなおさら顕著でしょう。
なにより高血圧が怖いのは、患者に警告を促すような症状に乏しく、気がついた時には血管を蝕んでいるところです。
このため『サイレントキラー(静かな殺し屋)』と呼ばれており、謙信は40歳のときに軽い脳出血を起こし左足に後遺症が残っていたそうですが、その原因を高血圧だと見抜いて対策するまでには至らなかったでしょう。
つまり謙信自身も自らが急死するとは思っていなかったハズで、結果、跡目相続に大きな問題を残してしまったのだと思われます。
死期を悟って遺言を残そうにも、サイレントキラーな病気が相手では中々うまくいかないのです。
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