キリスト教やユダヤ教における大天使ミカエルが菓子職人の守護者だという俗説があり、ミカエルの祝日が9月29日だからだそうで。誰が言い出すんでしょうね、こういうの。
歴史絡みでいうと、ジャンヌ・ダルクに神の言葉を伝えたのがミカエルだといわれています。ミカエル自身も悪魔と戦う図像が多いですね。
悪魔をブチのめすような天使が甘党なのかと考えると……違和感が拭えませんが、24時間戦うためには甘いもの=エネルギーが必要ってことですかね。なるほどわからん。
まあそれは置いといて洋菓子の発展を追ってみると、実は歴史の大イベントと密接に関わっています。
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7行でマトメる洋菓子と歴史の関係
洋菓子の歴史を大まかな流れで見ると、こんな感じです。
古代エジプトで菓子パンのようなものができる
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アレクサンドロス帝国のときに砂糖がヨーロッパへ伝わる
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ローマ帝国の時代に菓子職人という職業ができる
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キリスト教の行事に対応したお菓子が生まれる
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イタリアからフランスにお菓子を含めた食文化が伝わる
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ルイ14世の時代にさらに発展
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日本にも洋菓子が伝わる
何となく流れがわかったところで、もう少し詳しく見てまいりましょう。
洋菓子の始まりは、古代エジプトだといわれています。
それも、パンの付随物として生まれたような感じでした。
当初のパンは小麦をひいた粉を水で練り、薄く延ばして焼いていたため非常に固いもので、あるとき焼く前の状態で放置していたことがありました。
「やっべ、忘れてたけど焼けば食えるだろ」(※イメージです)と開き直……もとい、諦めずに調理してみたところ、「何だこれ、柔らかくてうめえええええ!」(※イメージ(ry)ということがわかり、今日のような柔らかいパンができたのです。
余談ですが、だいたい発酵食品って「材料をほっといたのを諦めずに食べたらうまかった」というルーツですよね。
お菓子でもタルト・タタンなんかが似たような由来ですし。
「パンがなければお菓子を」は意外と正解?
その後、同じくエジプトでパンにナツメヤシや果物、ミルクを足したのが洋菓子の原型といわれています。
現代の感覚だと菓子パンに近いですかね。
「洋菓子は元々パンの派生物」であると考えると、例の「パンがなければお菓子を」というのはあながちトンチンカンな話でもないのかもしれません。
そして、アレクサンドロス大王の東征により、インドから砂糖がヨーロッパへもたらされたことで、お菓子の世界は大きく広がりました。
話が前後しますが、砂糖は十字軍の際もたくさん持ち帰られています。
エルサレム奪還のためにドンパチするより、普通に交易したほうがよほど死傷者もコストも小さくて済んだんじゃ……というのは禁句でしょうか。
キリスト教と共に発展してきたお菓子の数々
ローマ帝国の時代に入ると「パン」と「菓子」が区別されるようになります。
材料を混ぜるのに力が要ることからか。
パン職人や菓子職人は男性の仕事として生まれました。
とはいえ、ローマのお偉いさんの食生活を考えると、あまり現在のような繊細な細工に凝る気にはならない予感がしますね。
詳細を書くとお食事中の方に申し訳ないので、ここでは伏せさせていただきます。
それから、キリスト教が力を持つと同時に、祭祀用のお菓子もできていきました。
キリスト教や歴史との関わりが深い洋菓子としては、こんなものがあります。
・エッグタルト
ポルトガルの修道院で考えられたといわれていて、ポルトガルの植民地だったマカオやブラジルの名物になりました。
ポルトガル語だと「パステル・デ・ナタ」というそうです。
・アグネス・ベルナウアートルテ
魔女狩りの犠牲者だったアグネス・ベルナウアーという女性を偲ぶために考えられたケーキです。
コーヒー風味のバタークリームとアーモンドを使っているそうですが、日本ではなかなかお目にかかれませんね。経緯のせいでしょうか。
・ガレット・デ・ロワ
ケーキの中に小さな陶器の人形を入れておき、切り分けた後それらが出てきた人が一日王様として命令できる――というケーキです。
お菓子を使った王様ゲームとでもいえましょうか。
結構有名なので、ご存知の方も多そうですね。
元ネタは、キリスト教の公現祭という行事。
公現祭とはイエス・キリストが「神として」この世に現れた日のことです。
クリスマスが「人として」この世に生まれたのとはまた違う扱いなのだとか。
そもそもイエス・キリストの誕生日は12月25日じゃない説が濃厚ですし、いろいろややこしいのでその辺は割愛しますね。でないとこの記事が洋菓子じゃなくてキリスト教の話で終わってしまうので(´・ω・`)
日本へ持ち込んだのは戦国時代の宣教師
その後、大航海時代にコーヒー、カカオ、スパイスなど、これまたヨーロッパになかった調味料や食品が入ってきたことで、洋菓子はさらに発展しました。
それまで薬とされていたチョコレートが、お菓子と認識され始めたのもこの時代です。
日本に洋菓子が入ってきたのは、他の西洋の文物と同じく、戦国時代にやってきた宣教師たちがきっかけでした。
彼らが食べていたカステラやビスケット、ボーロ、金平糖などが最も早く伝わった洋菓子と見てよいかと。
上記の経緯からすると、日本に来たのは発明からそんなに時間が経っていなかったことになりますね。
カステラは日本でかなり改変されたらしく、ポルトガルではどのお菓子のことだったのかわからないくらいだとか。日本人の食に対する情熱はやっぱり数百年変わってないようです。
また、同時に白砂糖とその原料であるサトウキビももたらされたため、和菓子にも影響を与えています。
それまで日本では砂糖というと輸入品しかない=超高級品だったので、お菓子の甘みは別のものでつけていました。
蜂蜜やあまずら(ツタ科の植物の樹液を煮詰めたシロップみたいなもの)、玄米などから作った水あめしか甘みをつけられるものがなかったのです。
和菓子が甘さの強烈なもの・控えめなものの差が大きいのは、この辺が理由なのかもしれませんね。
第一次世界大戦後のドイツ人捕虜たちが広めている!?
さて、日本の洋菓子についてはもうひとつ、大きな変革をもたらした出来事がありました。
第一次世界大戦の際、日本にやってきたドイツ人捕虜たちです。
特に名古屋俘虜収容所にいたハインリヒ・フロインドリーブや、大阪俘虜収容所にいたカール・ユーハイムが日本に残り、日本の洋菓子や菓子パンに多大な影響を与えました。
ユーハイムは、日本人の好みに合わせたバウムクーヘンを作ったことで有名ですね。
歴史や文化が全く違う土地の人の好みに合わせるなんて、彼は一体どれほどの観察眼を持っていたのでしょうか。
また、風月堂のように江戸時代からお菓子を作っていたお店が、20世紀にはノーベル平和賞受賞者の一人アルベルト・シュバイツァーの好物になるほど認められていた、なんてケースもあります。
お煎餅を焼く技術を応用したそうで、根性というか職人技がすげえ。
甘党の方は、洋菓子と歴史を絡めてみると、歴史がちょっと好きになれるかもしれませんね。
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長月 七紀・記
【参考】
パティシエント・洋菓子の歴史(→link)
ユーハイム/wikipedia
ハインリヒ・フロインドリーブ/wikipedia
お菓子何でも情報館(→link)
Daily365.net(→link)