1742年1月14日は、ハレー彗星の発見者であるエドモンド・ハレーが亡くなった日です。
今では彗星とセットでしか語られない名前ですが、実は結構スゴイ人だったりします。
当時は「天文学を学ぶ=国でトップクラスの学者」の証明みたいなものですしね。
その事績を振り返ってみましょう。

頭が良くてフットワークも軽く弁も立つ!?
エドモンドは、裕福な商人の家に生まれ、オックスフォード大学を卒業。
若い頃から実に順調な生涯をスタートしていました。
しかもただ単にお勉強ができる、というタイプでもなく、恒星を観察するためセントヘレナ島(ナポレオンが二度目の流刑にされた島)に渡るというアグレッシブな一面もありました。
このときの研究成果により、南半球で観測できる341個の星が新たに星図へ書き加えられると、功績が認められて王立協会の一員に。
さらには結婚して住居も定まり、新たに月の観測と研究を始めるなど、実にスマートな研究者生活を続けていました。
ニュートンとも議論を行い、まだ未発表だった証明をすぐにでも公開するよう説得したともいわれています。

アイザック・ニュートン/wikipediaより引用
他人との衝突が多かったニュートンが、ハレーの説得を受けてその証明を本に著したのが、かの有名な『自然哲学の数学的諸原理(プリンキピア)』です。
両者共に優れた頭脳の持ち主だったことがうかがえますね。
ちなみにニュートンはプリンキピアや他の本を書くにあたり、グリニッジ天文台の初代台長だったフラムスティードと大ゲンカし、エドモンドもニュートンについたため、険悪な関係になっています。
後にエドモンドがフラムスティードと同じ役目を担うことを考えると、因果というか皮肉というか。
他にも太陽の熱によって大気運動が生まれて貿易風やモンスーンが発生すると発表したり、水中へ酸素を送る「潜水鐘(ダイビング・ベル)」を発明して水中での捜索や観察に大きく貢献したり、様々な分野での研究・発表を行っています。
ハレー彗星はあくまで彼の一面に過ぎないんですね。てか、頭良すぎやろ。
1720年にはグリニッジ天文台の二代目・台長兼王立天文官にも任命されました。
が、実は、この時ちょっとしたトラブルに見舞われています。
エドモンドがグリニッジ天文台に行ってみると、観測に必要な機材がすべて撤去されてしまっており、彼は一からやり直さなければならなくなったのです。
なんでも、フラムスティード夫人が夫の私物と勘違いして処分してしまったのだとか……。
国家機関の所有物を断りなく処分できてしまうあたり、この時代のテキトーっぷりがうかがえますね。
フラムスティードが上述の騒動を恨んでいて、わざと当てつけに処分させたなんてことは……ないですよね、たぶん。
彗星の周期を計算して当てる
そんなハレーだったので、彗星の発見についても、他の人から見れば「予言」としか思えないような経緯でした。
ハレーは複数の彗星を観測し、さらに過去の観察記録と比較した結果、とある彗星だけが規則性を持つことに気付いたのです。
のちに彼の名がつくことになる、その彗星を観察したのは1682年のこと。
同一のものと考えたのは1531年と1607年に観測されていた彗星でした。
この事から、彗星の飛来周期を”76年”と計算したハレーは「次にこの彗星が現れるのは1757年だろう」と予測。
それよりも前に彼自身は亡くなりましたが、他の学者によってハレーの計算が正しかったことが確認され、今も「ハレー彗星」と呼ばれることになったのです。

1986年3月8日に撮影されたハレー彗星/wikipediaより引用
正確にいえば、約一年ほどのズレがあったのですが、これは他の惑星の動きがズレたことによるものだそうで、さすがにそこまでは予測できなかったでしょう。
かくして各国の歴史書や伝承に残されている「大きな流れ星」の中に、ハレー彗星の回帰と思われるものが出てきました。
特に中国歴代王朝の歴史書には、周期から見てもほぼ確実にハレー彗星だと考えられる記録が多く、最古の記録は実に紀元前240年5月のもの!
日本では弥生時代に気づいた人がいたとしても、記録に残すのはほぼ不可能だったでしょう。
とはいえ当時の為政者にとっては喜んでばかりもいられませんでした。
凶兆の前触れや失政に対する天の怒りと思われていた
彗星はどこの国でも凶兆の前触れ、もしくは失政に対する天の怒りと受け止められていました。
要するに、彗星が来て一番ビビっていたのは君主などの権力者たちだったわけです。
そのため、彗星が観測されると、天の怒りを鎮めるために大赦(罪人を刑期前に釈放すること)や免税などを実施。
普段から天に恥じない政治を行えばいいのに……まぁ、思い当たる節でもあったのでしょう。
なお、天変地異のたびに大赦をしていたせいで治安が悪化した、という例もあったようで、いったい善政とは何なのか、考えさせられる事案でもありますね。
また、キリスト教の「ベツレヘムの星」というエピソードの「星」がハレー彗星だったのでは? という説もありました。
この話は、”東方の国でそれまで見たことのない星が登るのを見た三人の博士が、星の動いていく方向へ旅をし、イエス・キリストのところにたどり着いた”というものです。
現在の研究では「ハレー彗星の周期とキリスト誕生のタイミングは合わないだろう」といわれているのですけども、ロマンということで。
まぁ、今ではキリストの生年も季節も、西暦1年でなければ12月でもなさそうだという方向になっていますしね。
「地球滅亡を信じて全財産を使い切った」って、えぇ……
ハレー彗星の「尾」と表現しているあの部分、昔は「髪」や「毛」と表現することが多々あったようです。
たなびく部分が髪の毛だとすれば、本体の部分は頭や顔ということになり、デカイ顔が空を横切って行くなんてホラーにも程がありますな。
だから皆、怖がったんですかね?
天体現象でそんな大げさな話になるのは、中世までの話だろ……と思いきや、20世紀に入ってからもハレー彗星が原因で世界が大騒ぎになったことがありました。
1910年の飛来のときのことです。
この頃になると科学もだいぶ進展していて、彗星の尾に含まれる成分なども研究されていました。
が、それが公表されたことにより、世界は大パニックに陥ります。
「彗星の尾には、シアン化合物という猛毒が入っている」
確かにそれは真実でしたが、実際にはごく薄いガスだったため、地表に届くことはありません。
しかし、「致死性の毒」というところからどんどん話がエスカレートしていき、ついには「次のハレー彗星が来たら、地球上の生物は全て死滅する」とまでいわれるようになってしまいます。
いつの時代も、強烈な話ほど光よりも早く伝わるものです。
「地球滅亡」のニュースはあっという間に広まり、酸素ボンベを買い求める者や地下室を作って逃げようとする者、「もうおしまいだー!」と絶望して全財産を使い果たす者も現れたというから罪深いものです。
挙句の果てには、教皇庁が免罪符を発行して荒稼ぎをするという、「オマエは中世か!」な一件まで起きたそうで。
次の飛来は2061年
1986年の飛来のときにはそもそも観測に向かない天候だったこと、さらに科学が発展していたことで、ここまでのパニックにはなりませんでした。
実際に猛毒で生物が絶滅するようなこともなかったですしね。全財産を使ってしまった人はどうなったのでしょうか。
まぁそれはさておき、ハレー彗星の次の飛来は、2061年だと予測されています。
36年後となりますので、平均年齢からすれば現在40歳ぐらいの方は見ることができるかもしれませんね。
それまでに医学が発展して、人類の生物的な限界である(と言われている)120歳まで生きられれば、もっと多くの方が見られるでしょう。
今は、そこにロマンを感じておきましょうか。
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【参考】
ROYAL MUSEUMS GREENWICH(→link)
天文学辞典(→link)



