1896年1月23日にレントゲンが撮影したアルベルト・フォン・ケリカーの手のX線写真/wikipediaより引用

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レントゲンがスケスケ光線=X線を発見!科学発展のため利権は全て放棄した

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1895年11月8日、ヴィルヘルム・コンラート・レントゲンというドイツの科学者がX線を発見しました。

いうまでもなく現代の医学に欠かせない医療機器でありますね。
実はこれが広く普及しているのも、レントゲン本人の性格によるものかもしれません。

自分の手柄(利権)を囲い込むどころか、まるで放棄するかのような振る舞い――。
いったいどんな行程で彼はX線を発見し、世の中に広めていったのでしょうか。

 

大学進学でドイツに戻ったレントゲン

レントゲンは1845年、ドイツ西部のレムシャイトという町で生まれました。

この頃のドイツはまだ統一されておらず、急激に産業革命が進むわ、その影響で革命が起こるわで、てんやわんやな状態。
レントゲンは比較的裕福な家庭の生まれだったことと、3歳の頃には一家揃ってオランダへ移り住んでいたため、ある程度安定した生活と教育を受けることができました。

彼がオランダで勉学に励んでいる頃、ドイツ国内では王様が脳卒中を繰り返してえらいこっちゃになっています。
王様の弟さんが優秀だったので政務は割とスムーズに移行できたそうですが、ニアミスすげえ。

レントゲンの生家/photo by Markus Schweiss wikipediaより引用

レントゲンがドイツに戻ってきたのは大学を出た後、25歳のときでした。
恩師が現在のバイエルン州にあるヴュルツブルク大学に赴任したため、その助手として移り住んだのです。

そして27歳のとき、学生時代から婚約していたアンナ・ラディッグという女性と結婚します。

アンナはレントゲンより6歳上の姉さん女房で、後にX線写真のモデルになるなど、旦那さんの研究にも協力的だったようです。

 

論文発表のたびに高評価

レントゲンは30歳のとき、一度、数学と物理の教授もやっておりました。

しかし、「学生に教えてると実験する時間ないじゃん!」ということに後から気付いて辞職。
なぜ引き受ける前に予想しなかったのかツッコミたくて仕方ありません。

その後、フランス・ストラスブール大学で助教授となり、思う存分実験をしながら論文を発表していきます。

論文内容が各方面から「ブラボー!ぜひ教授になってください!」と大喝采を浴びてしまったため、再び別の大学で正教授に就くことになります。おいおい。

レントゲン/wikipediaより引用

忙しいながらにレントゲンは実験を続け、発表しては認められるという優秀ぶり。
ただ、その凄さが文系人間の私には、完全には理解できません……(´・ω・`)

49歳で大学の学長に選ばれたというのですから、チートであることだけはわかるんですが。

 

スケスケX線発見で初のノーベル物理学賞

X線を発見したのはその翌年、レントゲン50歳のときでした。

実験を始めた翌月には発見に至っていますから、これまたレントゲンのすごさがうかがえます。

実験で撮影されたのが以下の写真ですね。
ちょっとコワイけど……。

1896年1月23日にレントゲンが撮影したアルベルト・フォン・ケリカーの手のX線写真/wikipediaより引用

これにより1901年に第一回ノーベル物理学賞を受賞。
一躍「時の人」になるのですが、彼は自分の発見したものを「レントゲン」と呼ばれることを好ましく思ってはいなかったそうです。

なぜかというと、X線の発見に至るまでには、他の物理学者が考えた装置や理論を多数使っていたため、
「私一人の功績ではない」
と考えていたのでした。

確かに、酸素ボンベを作ったからといってその人が酸素を生み出したことにはなりませんものね。
ちなみにX線の「X」は一次方程式などで代入するときのX(未知のもの)をそのままつけたんだとか。

その後もX線による特許で儲けようということを全く考えなかったため、お金も得られない代わりに同業者からやっかみを買うこともなかったようです。
ノーベル賞の賞金すら全額大学へ寄付してしまったくらいですから、金銭欲もなかったのでしょう。

そもそも実演や講演自体が大嫌いで、X線写真の実演はドイツ皇帝の御前と地元での計二回しかやっていないとか。

研究肌や凝り性の人にはよくあることですが、人前に出るのが嫌いだったようです。

 

清貧ゆえに広がったレントゲン検査、感謝です

こうしてできるだけ穏やかに過ごそうとしたレントゲン。
しかし、時代は列強の思惑渦巻く20世紀初頭です。

バルカンという火薬庫が弾け、第一次世界大戦でドイツは大負けに負けてしまいました。

しかも当時のドイツ政府が「賠償金早く返そうぜ!紙幣刷りまくればなんとかなんだろ!」というアホ過ぎる政策を採ったため、(当時)かつてないほどのハイパーインフレが起きてしまいます。

歴史の教科書とか資料集でよく出てくる、暖炉に紙幣をくべているあの写真の時代ですね。
「薪を買うより紙幣を燃やしたほうが安いから」という洒落にならない理由があってのことなのです。

原因は、戦勝国がドイツのお財布にあたるルール地方を差し押さえてしまったことなど、いろいろあるんですが……。

レントゲンは戦火に巻き込まれることはなかったものの、ドイツ国内で生活している以上インフレと無縁ではいられません。
その最中、癌になってしまい、1923年2月10日に67歳で亡くなりました。

世紀の発見をした偉大な学者は、その清貧さ(無頓着さ?)故、困窮の中で世を去ることになったのです。

でも、彼が特許や金儲けにこだわっていたら、X線が医学に応用されてもなかなか広まらなかったかもしれないんですよね。
そういう意味では、レントゲンにとって本望だったのかもしれません。

いずれにせよ人格者の方に発見されてよかったです。

長月 七紀・記

【参考】
ヴォイニッチの科学書

 



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