『真田丸 完全版ブルーレイ全4巻セット』/amazonより引用

真田丸感想あらすじ

『真田丸』感想レビュー第40回「幸村」 残り1%をただ全力で駆け抜けるためのエゴイズム

先週の回数で思わぬ反響があったようです。

真田丸効果で真田紐売り切れ(→link

大河ドラマ館の入場者も伸び続け、関連グッズも売れており、出演者による各種イベント出演もまだまだ続いています。

◆真田が伊達政宗を抜く 真田丸が変える歴史グッズ事情 (→link

◆真田丸効果!? 須坂市観光パンフ、異例の「秋号」 品切れ、急遽発行 長野(→link

よくぞここまで頑張った、と思います。

視聴率的には過去の作品と比較するとさほどでもないと言われていますが、秋には消化試合に突入している作品もある中、十月になってまで話題になっているというのはよいことです。

そしてこれは、本作が賭けに勝ったということでもあります。

真田信繁の人生は、最期の一年間が最も輝きます。

知名度抜群とはいえ、彼を主役とするとなると、終盤まで物語の主役として輝くことは難しい。その最終盤まで、視聴者を脱落させないことこそが本作の課題でした。

これから大坂の陣になるというのに、視聴者の関心は消え失せている……それだけは避けねばならない事態。

そんなわけで、ここまで一定の、しかも九度山蟄居という展開でも視聴率を保ち、話題性もあるというのはまずは上出来です。

あとは肝心の最終章の出来次第で、ここからが正念場です!

◆真田丸PV 大阪城に5千人集結(→link

大阪ではこんなイベントもあり、期待十分です。ここまで盛り上げてこなければ、イベントもできなかったことでしょう。

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『真田丸 完全版ブルーレイ全4巻セット』(→amazon

 


大坂城に残る古株は片桐且元だけに……

本編です。

九度山で苦しいなりにそれなりに楽しい生活を送り、あたたかい家庭を築いた信繁。その信繁のもとを、旧宇喜多家臣・明石全登が訪れ、大坂・豊臣家の加勢を頼みます。

しかし、信繁はすげなく断るのでした。

一方で信濃の真田信之も、江戸の徳川秀忠から呼び出され、大坂のきな臭さを感じていました。信之は手に震えを感じています。病か、それとも神経性のものでしょうか。

真田丸真田信之

いったんは断られた全登ですが、あきらめません。会って頂きたい方がいると信繁と話を続けようとします。

そこに待っていたのは、大坂城で何かと顔をあわせていた片桐且元でした。

隠棲していて世情に疎い信繁に、且元は切迫した状況を説明します。それによりますと……。

豊臣家の家臣は次々と世を去り、今残る古株のものは且元だけになっていました。

事の起こりはいわゆる「方広寺鐘銘事件」です。

徳川家康は言葉巧みに、秀頼ら大坂方に寺社の修復を勧めていました。そうすることで、豊臣家の蓄えた財産を使わせる策でした。

こうした建設ラッシュは何も秀頼だけが狙われたものではありません。

各地の大名も、寺社仏閣建設のために金銀を随分と使うことになります。

例えば、日光東照宮には各地の大名が競って寄進した立派な建造物があります。太平の世の大名は戦ではなく、いかに豪奢なものを建てるかによって、威光と徳川家への忠誠を示したわけです。

こうして見ると家康の策はいかにも狡猾ではありますが、思い出して欲しいことがあります。

かつて豊臣秀吉が太平の世を実現した時、各大名を無力化するために何をしたかです。

あのときは朝鮮出兵というカタチでした。あれと比較すれば、家康の大名無力化策はまだマシに思えるのではないでしょうか。

 


豊臣方は、さすがに家康を舐めすぎか

方広寺の大仏開眼供養のため、豊臣家は清韓という南禅寺の長老に、鐘に刻む文章を依頼しました。

ところが家康はこの銘文が気に入らないと難癖をつけます。

大坂方は困惑し、清韓は激怒しますが、第二稿が作成されます。

家康に腹を立てた清韓は、「国家安康」という句を入れました。

国家が栄えるという意味ですが、家康の諱を切断する失礼なもの。さらに「君臣豊楽」という豊臣を言祝(ことほ)ぐ句を入れました。

この銘文で鐘はできあがってしまいましたが、家康は呪詛だと難癖をつけるのです。

経緯を見ると家康のモンスタークレーマーっぷりが酷いように思えますが、諱に対する禁忌は東アジアでは強いものです。ちょっと流石に豊臣側はナメていたんじゃないかな、と思います。

真田丸徳川家康

家康のクレームに大坂方は大弱りです。大弱りで、予想すらしていなかったあたりが駄目だと思います。

とはいえ、家康のクレームのタイミングも悪いのです。

文案を出した時点では黙っていて、鐘が完成したから文句を言うわけです。

今でもいますよね。デザイン案の時点ではあっさり許可したのに、製品化した時点で文句をつける嫌なクライアントって。こうなると炎上は止まりません。

大坂方は鐘を今更作り直せない、延期しかないのか、と焦ります。

そこで且元はお上様=茶々に相談します。

茶々は、美貌こそ昔のまま、さらに堂々とした風格も備わり、まさに大坂城の要となりました。そんな彼女の依頼を受け、且元は駿府にいる家康の元へ釈明に向かいます。

しかし駿府で待ち受ける本多正純は、且元の弁明を一切聞きつけません。

豊臣と徳川の間で板挟みになり、且元は胃と心が痛タタタタ……。一月も粘って家康に面会しようとしますが、結局果たせないのでした。

 


弱り果てた片桐且元、咄嗟に三箇条のウソをつく

駿府からの帰路、且元は大蔵卿局と出会います。

なんと大蔵卿局もまた駿府に向かい、家康と面会できていたのでした。ここで窓口を一本化できなかったことがのちの悲劇に繋がります。

家康は大蔵卿局と且元に、それぞれ別の返答をしていました。ここで且元。

・秀頼の移封

・茶々を人質として江戸に送る

・秀頼の参勤交代義務化

実はこの三箇条は本多正純が突きつけたものではなく、且元が家康の怒りを解くための条件を自分なりに考えたものでした。

この三箇条は且元の私案であるということは、最近の説を取り入れています。且元は大蔵卿局の態度に怒り、つい口走ってしまったのでした。

真田丸片桐且元

しかし悪いのは且元だけではありません。

勝手に行動した大蔵卿局も軽率ですし、彼女の行動を許可した豊臣家の上層部にも問題があります。あくまで正式な交渉役は且元なのですから一本化すべきでした。

大蔵卿局がいくら主張したところで「正式な使者ではない相手に、オフレコで言ったことなんで知りませんよ」と徳川方はシラを切れます。

彼女の言うことは、且元のものよりあくまで一段下と扱うべきでした。ところが豊臣家はそうしません。

且元の三箇条は、事態をますます悪化させます。

大蔵卿局が本多正純に確認したところ、そんなことを言った覚えはないと返答がありました。

且元が勝手に考えた三箇条に、秀頼は困惑、茶々は呆れ怒ります。さらに大蔵卿局の息子である大野治長が、且元に逆心があるのではないかと言い出します。

ここで茶々が「この男はそんな男じゃないですよ。彼にはそんな度胸も知恵もない。悪く聞こえたならごめんね」と、すさまじい嫌味がこめられた、フォローになっていないフォローをします。

茶々の冷たい表情に加えて軽蔑をこめた言い回し。

且元にとって茶々は、秀吉の側室であるというだけではありません。かつての主である浅井家の大事な姫君です。

ずっと忠誠を誓ってきた相手です。その人にこんな態度を取られて、彼の心はズタズタでしょう。

真田丸茶々(淀)

 

大坂城を追われる且元 家康は予期していた?

かくして大仏開眼供養は延期となります。

さらに且元は大野治長の刺客に追われ、大坂城を脱出することに。長年の忠臣を疑い、刺客を放つ治長も駄目な男であることは言うまでもないでしょう。

脱出の直前、且元はかつて石田三成大谷吉継がいた文庫や、三成が送った桃の木を見上げます。

書状や書物がびっしりと積み上げられた文庫も今はひっそり。

もしまだ、ここに三成や吉継がいたら………そう思ってから冷静に考え直すと、その二人をもってしても豊臣家を救えなかったのが関ヶ原の戦いであるわけで、豊臣は完全に詰んでいるわけです。

且元は自分が去ることで豊臣家が一致団結することを願いました。

ところがこの決断が、豊臣家をさらなる苦境に陥れてしまうのです。正式な取次役が追い出されたことを知った徳川家は、これを大坂側の手切れとみなして宣戦布告してきたのです。

この経緯を聞いた信繁は何とも言えない顔をしつつ、家康はこうなることを見越していたのかもしれない、と感想を述べます。

大坂方は、一発逆転を狙う牢人たちをスカウトしていました。

もう大坂に戻れない且元は、せめて忠誠を誓いそうな信繁を呼び寄せたいと思っているのです。

信繁は断ります。

信繁は大軍を率いた経験がない、とらわれの身である、戦がそれほど好きではない、と理由をあげます。

自分は死んだものと思って欲しいと言い残し、立ち去る信繁。

一人縁側で考え込んでいると、そこへきりがやって来ます。

 


きりは信繁に自分の姿を重ね合わせていた!?

きりは誰がやって来たのか、どんな用件なのか、お見通しです。

信繁は豊臣に加勢を頼まれたが断った、と言います。

きりはいつかこんな日が来るような気がしていた、とつぶやきます。さらに何故断ったのか、行きたいと思ったのならば行きなさいよ、と発破を掛けます。

信繁はきりが茶々を警戒していたことを思い出し、驚いたと言います。きりはそれも承知で行けばいい、と続けるのです。

大軍を率いた経験がないと言う信繁に、きりはあの徳川を破った真田昌幸の子なんだから、戦上手に決まっていると皆思うはずだと励まします。

あとは「ハッタリ」よ、と言うきり。まるで昌幸が憑依したかのような言葉です。

さらにきりはたたみかけます。

「小県時代は父に振り回され、大坂では太閤に振り回され。聚楽第落書事件の犯人もわからなかったよね(第二十回)。沼田の談判も結局北条にとられた(第二十二回)。北条氏政を開城させるよう潜入したけど、それも結局はあとから説得した【ナントカ官兵衛様】のお手柄(第二十四回)。何もしてないじゃない、何の役にも立ってない、誰の役にも立ってない。私の好きだったキラキラ源次郎様はどこへ行ったの? 私が胸を焦がして大坂まで付いていったあの源次郎様は!」

おぉ、おぉ、たたみかける!

私も含めた視聴者が突っ込んでいた「源次郎、実は策を弄するも役に立っていない」という点。

そして散々突っ込まれて朝日新聞のコラムで三谷さんが説明することになった北条攻めでの黒田官兵衛についても触れています。

「ナントカ官兵衛」には笑いましたけど。

源次郎は「そんなことわかってるよ! 自問自答済みだから!」と返すわけです。

そういいながらも「でも自問自答するよりお前に言われる方が心に染みた……礼を言う」と付け加えます。

真田丸真田信繁2霜月けい

このきりとのやりとりは最高だと思います。ある意味お互い、鏡を見ながら話しているようなものだとも思います。

「何の役にも立っていない、誰の役にも立っていない。キラキラしていたあのころはどこに行った?」

という問いかけは、きりも何度も繰り返していたと思います。

小県時代のきりは梅に負けっぱなしで愛する源次郎に振り回されていました。

大坂時代のきりは、やっぱり源次郎に振り回されていました。

そのころのきりは、いつかきっと源次郎と結ばれ、子を為すという夢もあったでしょう。

父の内記からも期待されていました。キラキラしていて、夢があった時代。

そんな日々は過ぎ去り、妻にもなれず、母にもなれず、一体私の一生は何だったのか、と思い悩んできたでしょう。

何者にもなれず、何事も為せない自分。

キラキラしていて可能性に満ちていた日々を、どこかへ失ってしまった自分。

気がつけばそれは自分だけではなく、自分のそばにいたあの人も同じだったと気づくわけです。

鏡に映るあの人がかつてのように輝けば、私もきっと輝けるかもしれない。

これは私のためでもあり、彼のためでもある。きりはそう信じて、背中を押したのです。

 

ありきたりの回想シーンではなく、そこに刻まれていたものは

きりとの問答のあと、源次郎の胸中には様々な人々の思いが、秀吉の病床にあった鐘の音とともに去来します。

豊臣秀吉、茶々、石田三成、上杉景勝宇喜多秀家、北条氏政、伊達政宗、千利休、呂宋助左衛門、大谷吉継、薫、出浦昌相、真田信尹、真田信之、真田昌幸、梅、板部岡江雪斎、とり。

己の運命(さだめ)は何か。

真田丸豊臣秀吉

信繁の夜は更けてゆきます。

今までほとんどなかった回想を解禁され、最も効果的な使われ方もしました。しかもこの人たちの名前がOPで出てこなかったこともサプライズ感を増していました。

私も涙ぐんでしまった回想ではありますが、感動的なだけではなく、どこか背筋が冷たくなるような感覚もありました。

希望のように、呪縛のように、輝きながら消えゆくいくつもの言葉。

信繁はそれを吸収し刻みつけてきたけれど、発した側は忘れているかもしれません。あるいは信繁をこうも縛ってしまうならば、言わねばよかったと思うかもしれません。

地獄への道は善意で舗装されている」とはよく言ったもので、この言葉がこの回想シーンラッシュを表していると言えるでしょう。

確かに素晴らしい、感動的な場面です。

しかし考えてもみてください。三成も吉継もいない豊臣が、形成逆転なぞ無理な話です。その絶対勝てない戦の中へと、美しい言葉の数々が信繁を引きずりこむのです。

もう一つゾッとさせられるのは、この回想に出てこない人々の顔ぶれです。

豊臣を見限った、あるいは豊臣によって破滅させられた人々である秀次、寧、小早川秀秋は出てきません。

義を貫くことが主君の願いと知りつつも、非現実的だと苦い顔をしていた直江兼続も登場しません。彼らがもし出てきたならば、信繁も冷静になれたかもしれませんが……。

イラスト・霜月けい

 


真田左衛門助幸村、よい名だ

翌朝、信繁は己に縁のある単語を紙に書き付け、大助に一文字ごとに切り離させ、壺の中に入れます。

信繁は畑の里芋を掘り返し、全て収穫するよう大助に指示します。

大助は先のために残しておかずに、全部収穫することを訝しむのでした。

里芋といえば、第十五回最後の場面で豊臣一族の面々が口にしていたものです。子孫繁栄を示す里芋を、種芋を残さず信繁は収穫せよと命じたのです。

信繁は大助を呼び寄せ、これから使う新しい名を決めることにしたと告げます。

真田一族代々の字であり、信之が捨て、昌幸から受け継いだ「幸」は決まっています。残りの一文字を、大助のくじ引きによって決めたいと信繁は言います。

「大事なことをくじで決めてよいのか」

そう尋ねる大助に、大事だからこそくじで決めると返す信繁。大助は戸惑いつつくじを引きます。

そこにあったのは九度山村の「村」でした。苦笑しつつもおもしろいと感想を述べ、彼はついに「幸村」と名乗ります。

真田左衛門助幸村、よい名だ。そう彼は語ります。

ここで一介の牢人真田信繁は、真田幸村となるのです。

 

MVP:きり

まさか二週連続できりとは思いませんでした。きりはもう、本作のヒロインMVPでよいと思います。

きりは新たなヒロインの可能性を示しました。

主人公の妻ではなく、子を産むわけでもなく、励まし続けるわけでもない。

大河ヒロインの陳腐で典型的な台詞として「戦はイヤでございます!」があげられますが、むしろきりは戦に突っ込め、戦に赴けと励まします。

穏やかな笑顔でニコニコと癒やし系になるわけでもなく、ふてぶてしい顔のまま駄目出しをして発破を掛けます。

梅が主人公にとって一番言われたい台詞を先取りするヒロインであったのに対して、きりはうっとうしく耳に痛い言葉を言い続けます。

私は、きりは信繁の袖をしっかりと握りしめ、戦いに行くなと止めると予想していました。それを見事に裏切りました。

素晴らしい。きりの行動は予想外なんです。

歴史ドラマの欠点は結果がわかっていることですが、きりの場合は予想ができませんでした。それが本作のおもしろさの幾分かを形成していたのは否めません。

型破りですよね。序盤はバッシングの対象でしたよね。

そして何より今週で証明されましたが、きりはとことんエゴイストです。

四十を過ぎた男に、私が恋い焦がれた頃のようにキラキラ輝けと発破を掛け、戦場に送り出そうとします。そうすればまるで自分の恋心が、永遠に消えない結晶になるから、とでも言いたげに。

なんだかペテンにかけられた気分です。

優等生でなくとも、良妻賢母でなくとも、ヒロインになれます。

きりは最低最悪で、だからこそ最高のヒロインです。こんなヒロイン像を生み出してしまった本作は、記憶に残る作品になることでしょう。

 


総評

ついにこの時が来ました。真田信繁が幸村になりました。

ちなみにこの幸村は、あくまで別名という扱いです。こちらのインタビューにそのあたりも書かれています。

◆「真田丸」主人公・真田信繁ついに幸村に!猛将の側面描き終盤へ加速(→link

実際には信繁のままで幸村を名乗っていないにせよ、本作ではこのタイミングでの改名が最高のエッセンスになりました。

第三十七回で、信之は苦渋の決断の末、「幸」を捨てました。

第三十八回で、昌幸は悔しそうに捨てられた「幸」を信繁に拾えと言いました。

そして今回、拾うわけです。

ここまでの流れは素晴らしいと思います。片桐且元の口から語られる決裂の過程もよくまとまっていました。

しかしここで私が気になるのは、信繁という名前が変えられたことです。

いくら別名とはいえ、これからは「幸村」と主人公は名乗ります。

一方で名乗られなくなる「信繁」は、兄をよく支えた武田信玄の弟からとったものであるはずです。

幸村を選ぶということは、「信繁」として弟を支える役目を捨てることではないかと思うのです。

ずっと苦しい中でも支援してきた信之にしてみれば、弟がそれを裏切り、大坂につくのはショックでしょう。

信繁から幸村への変化はまさにその象徴です。

本作は真田一族を船にたとえ、皆で支え合い大変な時代を乗り越えてゆくことがテーマとされていました。

しかしここまでくると、幸村はそんなことを捨てて自分探しに突き進んでしまうわけです。

幸村が大坂に入城することは英雄伝説への一歩であり、待ち望んできたことです。

しかしそれはとんでもなくエゴイスティックな決断であると私は感じました。

そう感じさせたのはきりの言動のおかげもあるでしょう。

本作はただ歴史の流れをなぞるだけではなく、その過程で主人公の決断の意味を示し、そのマイナス面も見せ付けます。

あたたかい家庭を捨て、支えてくれた兄を裏切り、四十過ぎて自分探し!

こうまとめると主人公は痛い奴です。しかしそれがよいのです。

主人公の痛さが心に引っかかり、忘れがたい印象を残し、英雄といえど私たちと同じく苦しみ悩む人間だと教えてくれます。

人生の99パーセントが失敗だとしても、残り1パーセントを全力で駆け抜ければよい――。

それを感じさせてくれるのが本作の魅力です。


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著:武者震之助
絵:霜月けい

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