松平定政

こちらは松平定政の父である松平定勝/wikipediaより引用

徳川家

松平定政の生涯|家康の甥が“狂気の沙汰”と呼ばれた領地の放棄

2025/07/08

織田信長の弟といえば織田信勝(織田信行)。

豊臣秀吉の弟といえば豊臣秀長。

では、徳川家康の弟の名前は?

そう問われて、パッと名前が出てくる方は相当の歴史通でありましょう。

本日はすっかり忘れられてしまった家康の弟・松平定勝……その息子に注目します。

家康から見れば甥っ子で松平定政という人で、なかなか強烈なことをやって歴史に名を残しています。

慶安四年(1651年)7月9日、徳川一門でありながらいきなり出家してしまったのです。

「何がどうしてそうなった?」としか言えない一件。

まずは彼の持つ背景から見ていきましょう。

 

父は久松俊勝 母が家康と同じ

まず松平定政の父・松平定勝に少し注目しておきましょう。

前述の通り定勝は家康の弟です。

といっても異父弟であり、父親は久松俊勝(ひさまつ としかつ)となります。

大河ドラマ『どうする家康』ではリリー・フランキーさんが久松長家の名で登場していましたね(後に俊勝へ改名)。

家康の母・於大の方が、松平広忠(家康の父)と離縁した後に嫁ぎ、そこで生まれたのが家康の異父弟・松平定勝でした。

【徳川家康】
父・松平広忠
母・於大の方

【松平定勝】
父・久松俊勝(久松長家)
母・於大の方

於大の方/wikipediaより引用

そしてその定勝の息子で、今回の主役である松平定政は、家康の甥に当たり、慶長15年(1610年)に生まれました。

大坂の陣はまだ終わっておらず、戦国気風をギリギリ感じられた世代でしょう。

11才のときに父・定勝と共に将軍・徳川秀忠にお目見えして馬を賜り、寛永10年(1633年)には三代将軍・徳川家光に御小姓となって仕え、組頭にもなってます。

徳川家光/wikipediaより引用

23歳のとき官位(従五位下能登守)をもらい、25歳で伊勢長島城(現・三重県)に領地を与えられ、39歳のときに刈谷(現・愛知県)で2万石に加増。

刈谷と言えば、祖母にあたる於大の方(水野家)の出身地ですね。

家康に縁のある土地で大名となったのですから、この時点ではそれなりに信頼されていたということでしょう。

 


松平定政42歳 出家ストーリーは突然に

実際、長島城時代には新田開発に勤しんだり、城の整備や庭園の造営など、なかなか精力的に働いています。

ところが、です。

上述の通り、42歳(1651年)のとき突如出家します。

一応「上様(徳川家光)が亡くなられたので、その供養に」という理由だったのですが、事前の相談や届け出が全くなかったので、幕閣は大混乱となりました。

なんせ新しく将軍の座に就く徳川家綱は、まだ9歳の幼児。

徳川家綱/wikipediaより引用

親族や老練な幕臣の後ろ盾はいくらあっても足りず、幼君擁立の混乱に乗じて不届き者が出かねないというタイミングです。

そんなときに大叔父にあたる人が「俺、仕事やめまーす!」とか言い出したら、そりゃ誰だってキレますよね。

定政は出家にあたって「領地や家、武器などを全て幕府に返上するから、困ってる旗本や浪人を救ってあげて」と書き送っておりました。

しかも実際に「松平能登入道にものたべものたべ」と言いながら托鉢して歩いたというのですから、そりゃあ幕府も驚くばかり。

「狂気の致すところ」として、領地及び財産を取り上げ、定政とその長男・次男については定政の兄・定行の「お預かり」としました。伊予の松山に蟄居させられたのです。

定政の正室は、娘二人と共に実家へ返されました。

ここまでなら「手続きしなかったのはマズイけど、供養したいのなら……」と思わなくもありません。しかし……。

定政の行動は、幕府に実害を引き起こしたのですからシャレになりませんでした。

 

由比正雪の乱の一因とされた!?

実害とは他でもありません。

騒動直後の慶安4年(1651年)4月に【由比正雪の乱】が勃発したのです。

※以下は「由比正雪の乱」関連記事となります

これじゃ成功するわけねぇ!由比正雪の乱は計画があまりに杜撰でアッサリ鎮圧

続きを見る

由比正雪の乱は、かなり大雑把な計画だったため、クーデターとしては全く成功しておりません。

しかし、由比正雪が行動を起こした理由として、

「松平定政が、人々を救済しようとして起こした行動(領地返上等)を幕府が無碍に扱った」

ということが挙げられていたのです。

同時に、当時の権力者である「知恵伊豆」こと松平信綱への批判も含まれておりました。

 

三人の息子達は江戸に戻って旗本に

寛文12年(1672年)、定政は預かりの身のまま、松山で生涯を閉じました。

享年63。

三人の息子達は許され、江戸に戻って旗本になっています。

血筋が絶えてしまった人もいますが、この経緯では許されただけまだマシかもしれません。

将軍の親族としては奈落の底に真っ逆さまといっても過言ではありませんけども。

ついでに言うと、定政の出家から9年後には、定政の姪の婿だった大名・堀田正信がやっぱり突然領地を返上し、同じく幕府を怒らせました。

堀田正信/wikipediaより引用

模倣犯っていつの時代もいるもんなんですね。

家康イトコの水野勝成も父親に勘当されて全国を放浪するなど、かなりぶっ飛んでいましたが、水野も松平も、家康の親戚ってなかなか個性的で面白いですよね。

📚 戦国時代|武将・合戦・FAQをまとめた総合ガイド


あわせて読みたい関連記事

久松俊勝
久松俊勝の生涯|家康生母・於大の方の再婚相手は織田や武田の強国に囲まれて

続きを見る

於大の方(伝通院)
於大の方の生涯|家康を出産後すぐに離縁された生母 その後の関係は?

続きを見る

これじゃ成功するわけねぇ!由比正雪の乱は計画があまりに杜撰でアッサリ鎮圧

続きを見る

知恵伊豆と呼ばれた天才・松平信綱の生涯~島原の乱を制し家光と家綱時代を支える

続きを見る

松平広忠
松平広忠の生涯|織田と今川に挟まれた苦悩の24年 最後は謎の死を遂げる

続きを見る

【参考】
国史大辞典
『御家断絶―改易大名の末路 (別冊歴史読本 15)』(→amazon
松平定政/Wikipedia

TOPページへ


 



リンクフリー 本サイトはリンク報告不要で大歓迎です。
記事やイラストの無断転載は固くお断りいたします。
引用・転載をご希望の際は お問い合わせ よりご一報ください。
  • この記事を書いた人
  • 最新記事

長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

-徳川家

目次