神君伊賀越え

徳川家康/wikipediaより引用

戦国時代

神君伊賀越え(家康の逃亡ルート)はここ! 信長の死後に訪れた悲劇

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約200kmの逃避ルートはこう!

まともな道を通ったのでは「どうぞ怪しんでください」と言っているも同然です。

主要な街道は既に明智方に封鎖されているだろうと踏んで、裏道どころか獣ですら通るかどうか怪しいようなルートを選んだとされています。

決死の逃亡劇ですから、はっきりした道筋はわかっていません。

その上で『石川忠総留書』に記されていたという逃亡ルートの経路を以下にマークしてみました。

※地図参照『主従わずか数十人 苦難の伊賀越え 歴史群像(著:桐野作人)』(→amazon

 

地図上にある赤いポイントは、西からザッと以下の地名になります。

堺(5月29日~6月2日・大阪府堺市)

平野(6月3日・大阪市平野区)

穂谷(6月3日・大阪府枚方市)

宇治田原(6月3日・京都府宇治田原町)

信楽(6月3日・滋賀県甲賀市)

下柘植(6月4日・三重県伊賀市)

鹿伏兎城(6月4日・三重県亀山市)

白子町(6月4日・三重県鈴鹿市)

海路(6月4日)

岡崎城

この地図を拡大して見てみると、戦国当時であれば、まさに道なき道を行くといった山間ルートであり、「よく数日で踏破できたな……」と感嘆せざるを得ません。

現代ですらほとんどの場所が緑一色=山の中ですから、当時なんて想像もつかないほどです。

 

現在の道路で計算すると?

ちなみに現在の道路で計算してみますと、ざっとこんな感じです。

①国道25号 199km
②国道1号 227km

 

えぇと……。

なんだかんだで、豊臣秀吉中国大返しとほぼ変わりませんね。よくぞ無事に戻れたものです。

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伊賀を抜けるときは服部半蔵こと服部正成の顔が利いた上に、茶屋四郎次郎の働きでスンナリ通れたのが大きいのでしょう。

実際、山賊などがいる場所があり、茶屋四郎次郎が先回りして”銀子配り(お金バラマキ)”をするなどして家康を助けました。

かくして厳しい道を無事に通過できた家康。

本能寺の変後に大移動できた二人がその後天下人になったというのも、なんだか偶然ではない気がしませんか。

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このとき堺まで家康に同行していた元武田家の重臣・穴山信君は、別ルートを通って落ち武者狩りに遭い落命しております。

運というか。
生き残る者の凄まじき本能というか。

命からがら逃げているのに、家康の強さが浮かび上がってきますね。

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長月 七紀・記

【参考】
桐野作人『主従わずか数十人 苦難の伊賀越え 歴史群像』(→amazon
伊賀越え/wikipedia

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