明の時代に描かれた麒麟/wikipediaより引用

麒麟がくる感想あらすじ

『麒麟がくる』で「来ない」と話題になった――そもそも「麒麟」とは何か問題

2020/01/27

初回視聴率が19.1%を記録。

第2回放送も17.9%と好調なスタートである『麒麟がくる』で、光秀が「麒麟が来ない!」と言ったことが、ギャグ扱いされていました。

「ちょw 主人公が麒麟が来ないって言っちゃったよw」

とか

「主人公がテーマを全否定するとかめっちゃウケるw」

といった揶揄のみならず、【#麒麟が来ない】というハッシュタグまで登場しているようです。

◆‪麒麟はこない?新大河「麒麟がくる」のキャストビジュアル公開で問題発生(→link

◆‪クドカン「麒麟がくる」に「こういうもんだよな、大河って…」 昨年「いだてん」手掛ける(→link

これはギャグでも何でもありません。

結論から言うと「麒麟は永遠に来ない」のです。そしてそのことそのものが、本作のテーマでもありましょう。

麒麟の到来を待ち望むこと。

麒麟がくるためには、どうすればよいか考えること。

その意味について、考察してみたいと思います。

 


「麒麟」とは聖なる獣である

麒麟とは、現存するキリンのことではありません。

動物のキリンが認識されたとき。元々あった伝説上の麒麟から名前が採用されたという順になります。

では、伝説上の麒麟とは?

特徴としては、こういうものだとされております。

・身体は鹿

・尻尾は牛

・顔は狼

・蹄は馬に似て、五色に輝いている

・一本の角が生えているが、相手を傷つけることはない

・背丈は二丈

 

麒は雄、麟は雌を指します(異説あり)。

誰も傷つけることはない、聖なる獣――それが麒麟なのです。

 


万人が望む麒麟の到来

麒麟の名を持つ歴史上の人物としては、勝海舟がおります。

幼名と通称が麟太郎なのです。

我が子が麒麟児=天才児であって欲しい、そんな父の願いを感じる名です。それだけ当時の日本では「麒麟」という概念が理解されていたということでもあります。

劇中で中国古典に造詣が深いとされている光秀は、駒の口から「麒麟」と聞いた時点で瞬時にしてその意味を理解し「来ない!」と言い切ったのです。彼は苛立ち、悲しみすら滲ませておりました。

なぜ、光秀はああも悩んだのか?

その理由を考えてみると、色々と面白い仕掛けが浮かんできます。

まず麒麟がくる条件とは?

・聖人が君子である

・王道が行われている

・世の中が大平であり、戦乱がない

つまり光秀が「麒麟がこない!」と絶望したのは、次のような意図が表されているのでしょう。

・聖人が君子である国が存在していない!

・王道が行われていない!

・世の中が大平でなく、戦乱で溢れている!!

では「麒麟がこない。世を変えなければ!」という嘆きは?

・聖人を君子とする!

・王道が行われるようにする!

・世の中が大平にして、戦乱を失くさねばならない!

そんな決意を表しているのですね。

「麒麟がこない!」という嘆きを単なるボヤきとして把握していますと、本作のテーマが理解できません。

最終回までに、光秀が理想の世界をどうやって実現するべきか、悩むことそのものに意義があるのです。

歴史上、麒麟は、宮殿など支配者に関わるものに好んで使われておりました。

支配者が聖なる統治を行なっているのだ――そんな理想を掲げ、アピールするためのものだったのです。

言い換えれば、麒麟とは、理想の政治の象徴でもあります。

世界のどこを見ても、それぞれの神があり、宗教があり、理想郷があるとされてきました。麒麟にも、そうした理想を示す思想が反映されているのです。

麒麟の到来を待ち望む光秀とは、中国の古典を理解し、かつ太平の世を待ち望む人物であるということです。

UMAハンターでもありませんし、主人公なのにテーマを理解していないわけでもありません。

 

麒麟を理解できなくなった世……「西狩獲麟」

さて、そんな光秀ですが。

麒麟が理解されないと知ったらば、ますます絶望してしまうかもしれません。

麒麟そのものが、理解されていない――そんな現象とは何なのか?

このことを示す言葉として「西狩獲麟せいしゅかくりん」があります。出典は『春秋左氏伝』「哀公伝一四年」。

春秋時代の哀公伝一四年――。

西の方で、麒麟が捕らえられました。その姿を見て、人々は不気味な珍獣であるとおそれたのです。

それを聞き、孔子は絶望しました。

「太平の世に出現する麒麟を理解できず、むしろ不気味であると恐れるとは……」

麒麟が何かすら理解できないほど、荒れ果てた人心よ!

古代の伝説的な名君である堯舜の治世を理想とし、道を説いてきた孔子としては、あまりに嘆かわしいことでした。

これを知り、彼は筆を置いたとされているのです。

光秀は儒教の聖典である『四書五経』を僅か二年で読み上げた、秀才であるとされています。徳のある秀才だからこそ「麒麟児」と呼ばれる類の少年だったことでしょう。そんな彼が、これから戦国時代を生きてゆくのです。

麒麟のことを、世の人が理解しようとすらしない――。

人心の荒廃が嘆かわしい。かつての孔子が筆を置いたような絶望が、彼にも襲いかかるのでしょうか?

あるいは思想家たる孔子が筆を置いたように、武士である光秀は何かを投げ捨てるのでしょうか?

作中の光秀の心情の悪影響も不安になるところですが、タイトルを理解されなければ、作り手としてもショッキングなことであるかと思います。

そんな窮地を想像し、解説を書かせていただきました。

孔子廟の麒麟

麒麟が来ることは、永遠にありません。

これが満足だ、ここで終わりだ、これ以上はないと人が思ったら、進化はなくなる。

誰かがより良い世をめざす限り、麒麟は到来しません。

それこそが理想なのです。

決して辿り着けぬ、より良い世を目指すことこそが道である、だからこそ光秀も悩み続けるのでしょう。

そしてそのことを、観る側も考えて欲しい――制作サイドもそう願っているのではないでしょうか。


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【参考文献】
『伝来中国文化事典』寺尾前雄
『新字源』
『周―理想化された古代王朝』佐藤信弥
『論語入門』井波律子

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小檜山青

東洋史専攻。歴史系のドラマ、映画は昔から好きで鑑賞本数が多い方と自認。最近は華流ドラマが気になっており、武侠ものが特に好き。 コーエーテクモゲース『信長の野望 大志』カレンダー、『三国志14』アートブック、2024年度版『中国時代劇で学ぶ中国の歴史』(キネマ旬報社)『覆流年』紹介記事執筆等。

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