1569年9月23日(永禄12年8月13日)は、立花誾千代(ぎんちよ)が誕生した日です。
父親が、戦国の雷親父こと立花道雪。
そして夫が、西の戦国最強と称される立花宗茂。
九州のビッグネーム二人を相手にして一歩も引かなかった女城主――そんな誾千代の生涯を見てみましょう。
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道雪は思った「娘を男らしく育てよう」
誾千代の父・立花道雪は、37度の合戦で一度も負けがないと言われる猛将。
主君・大友宗麟の下で、まさしく無双でしたが、一つだけうまくいかないことがありました。
妻・仁志姫とは仲睦まじいながら、跡継ぎとなるべき男の子に恵まれなかったのです。
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しかし思考回路も根っからの戦国武将だった彼は、嘆くばかりではなく気持ちをスパッと切り替えました。
「息子が生まれないなら、娘を男らしく育てればいいじゃないか!」
そんなわけで誾千代は将来の立花家を背負って立つべく、実に男前な性格に育っていきます。
道雪も道雪で、誾千代が7歳の時には普通に跡継ぎの手続きを済ませてしまいました。
「あらあら、うふふ」で片付けられない親馬鹿っぷり、もとい用意周到さです。
というか道雪も60歳でしたので、少しでも早く御家の行末を固めておきたかったのでしょう。
カーチャンにしてみれば『この子のところにお婿に来てくれる人なんているのかしら……』と気が気でなかったとは思いますが。
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だが、しかし――そこを何とかするのが道雪です。
彼は同じく大友家に仕えていた高橋紹運の息子に目をつけます。
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いわば婿候補ってワケですが、よりにもよってその子は高橋家の跡継ぎです。
当然のことながら紹運も「え、この子うちの嫡男なんですけど。弟もいるんで婿にするならそっちにしてほしいんですけど」(※イメージです)とやんわり断りました。
道雪は一度断られたくらいで退くような人ではありません。
再三にわたって「息子さんを(娘に)ください!!」とお願いを繰り返し、結局、紹運も折れるしかなく、嫡男を他家へ婿入りさせることになります。
それが立花宗茂です。
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秀吉に“西の戦国最強(東は本多忠勝)”と認定されただけでなく、仁義にも厚く、同時代の戦国武将たちから崇敬されていた人物です。
そこで最大の問題となったのが、誾千代と宗茂の相性でした。
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