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【斎村政広】
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「城下町をなぜ焼いた? よし切腹だ!」
というわけで斎村政広さんと亀井茲矩(かめいこれのり)も焼き討ちを実行!
作戦は功を奏し、ほどなくして鳥取城は落城します。
当初は西軍として田辺城を攻めたものの、東軍に寝返って鳥取城を攻め落とした斎村政広さん。
『これで何とか御家存続だな!』なんて風に思っていたことでしょう。
そのタイミングで家康から目を疑う一報が届きます。
「城下町をなぜ焼いたのだ……。よし、切腹だ!」
攻撃のために行った城下町焼き討ち作戦に関して、徳川家康が大激怒し、切腹が命じられてしまいました。
しかし、これは変な話です。
斎村政広さんはあくまで援軍であり、作戦自体の責任を問われるならば総大将の亀井茲矩となるところでしょう。
そんな亀井茲矩に対しては、なんとお咎めなし――どころか、この後2万4,200石を加増され、3万8,000石の鹿野藩初代藩主となるのです。
ちょっと理不尽すぎではありません?
結局、斎村政広さんは焼き討ちの責任を一人で取らされて、真教寺(鳥取市)で切腹をします。
享年39でした。
亀井の讒言にハメられた!?
このきな臭い一件、実は亀井茲矩の讒言があったとも言われています。
焼き討ち作戦を発案したのは亀井茲矩だったのですが、自分の身を守るため、全責任を斎村政広さんになすりつけた。
つまり、斎村政広さんは亀井茲矩にハメられたのです!
ずるい、ずるいぞ亀井!!!
また、この時、西軍の主力だった宇喜多秀家が関ヶ原から落ち延びて行方不明でした。
義兄弟だったため、宇喜多秀家を匿っているという疑惑も掛けられたことも原因の一つともされています。
こうして不運に見舞われた斎村政広さんは切腹で果て、居城の竹田城も徳川家康によって没収され、間も無く廃城となったのです。
そんな斎村政広さんですが、学者肌の文人武将だったことで当時から有名でした。
儒学者の大物である「藤原惺窩(豊臣秀吉や徳川家康にも講義を行う)」や、【文禄の役】で日本軍の捕虜となった朝鮮の役人で儒学者でもあった「姜沆(きょうこう)」と交流を持ち、江戸時代には上杉謙信や直江兼続、小早川隆景などと並び称されたほどです。
姜沆には、自分が携帯して読むことができる『四書五経』(中国で重要な9つの儒教の経典)など、書籍の書き写しを依頼。
自分の勉強のためだけでなく、そのギャラを姜沆など捕虜となった人々の帰国資金に充てさせたといいます。
めちゃくちゃ良い人!
そんな斎村政広さんの人柄は、姜沆が日本で体験したことをまとめた『看羊録』にも次のように書かれています。
「『六経』(儒教の6つの経典)に非常に打ち込み、雨風の日でも、馬上でも、本を手から話したことがなかった。
しかし、その性格が鈍魯(まぬけ)なので、訳(漢文の訓点)が無ければ一行も読むことはできなかったらしい」
漢文を訓点がない状態で読むのは難易度が高いので、性格がまぬけというのはやや言い過ぎ感があります(笑)。
「(藤原惺窩が語るには)日本の将官(武将は)全て盗賊であるが、ただ赤松広通(斎村政広さんの別名)だけは、人間らしい心を持っています」
姜沆のスポンサーだったという背景はあるものの、斎村政広さんは穏やかで人徳溢れる知識人だったようです。
名刀として名高い「獅子王」
切腹後、斎村政広さんのお墓は竹田城・城下町の法樹寺に建立されました。
最期の地である鳥取市には斎村政広さんを祀った赤松八幡宮(明治時代に赤松霊社、次いで赤松神社に改称)の跡地が残されています。
この神社、実は斎村政広さんのファンだった鳥取藩二代目藩主の池田長幸(姫路城主・池田輝政の孫)が建立したとのこと。
また、斎村政広さんの愛刀として知られる名刀「獅子王」があります。
平安時代末期の武士・源頼政が、京都を騒がせた鵺(サルの顔、タヌキの胴、トラの手足、ヘビの尾を持った妖怪)を退治した褒美として、天皇から賜ったと伝わる刀です。
その後、赤松家に代々継承され、斎村政広さんも所有していたといいます。
斎村政広さんの死後は、家康に没収されて源頼政の末裔とされる土岐家に伝来。明治時代に皇室へと献上されました。
現在は東京国立博物館が所蔵していて、国の重要文化財に指定されています。
獅子王は人気ゲーム『刀剣乱舞』にも登場していますね。肩に鵺を乗せた金髪のイケメンです。
なお、この獅子王の写し刀を作るプロジェクトがクラウドファンディングされ、最終的に381万円が集まり2018年(平成30年)に完成しています。
プロジェクトの中心団体は、その名も「赤松広秀を弔う実行委員会」!
斎村政広さんの供養や竹田城の保護などを行う団体で、獅子王の写しの作刀を通じ、鳥取城下町焼き討ちの汚名を着させられた斎村政広さんの名誉回復をしようとプロジェクトを企画したそうです。
◆竹田城城主 赤松広秀の名誉回復へ!天空の城に宝刀 獅子王の写し刀を奉納したい!(→link)
持っていたお城も刀も有名なのに、なぜかそこまで知られていない斎村政広さん。
放って置けないですよね(笑)。
まだまだご当地武将はたくさんいます! 次回もお楽しみに!
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文:れきしクン(長谷川ヨシテル)
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元お笑い芸人。解散後は歴史タレント・作家として数々の番組やイベントで活躍している。
作家名は長谷川ヨシテルとして柏書房やベストセラーズから書籍を販売中。
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