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安達ケ原
◆蒲生氏郷さんが東北会津の地を任されたとき、「いくら石高が高くとも、都から離れすぎている」と嘆いたのは有名な話です。
政治の中心、経済の中心から遠く離され、大名としての先の展望がなくなった――というワケですが、個人的には文化の中心から離れたことも相当辛かったんだろうなぁ思います。
蒲生さんは、当時、文化人として最先端と称された利休七哲の筆頭とされていたのです。
やはり信長さんに気に入られるほどだったのですから、合戦だけじゃなく文化面でも才能に長けていたんすねぇ。
創作料理
◆伊達政宗と蒲生氏郷は犬猿の仲でした。
政宗にとって黒川城(若松城・会津城・鶴ケ城とも)は、必死の思いで蘆名から奪いとったシンボル。
そこに氏郷が入ってきて城を近代的に建て替え、城下町も発展させたのですから面白いワケがありません。
天下人というより「会津の支配者」になりたかったんすね。
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この2人は後に、大きな騒動を引き起こしていくのでした……。
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著者:アニィたかはし
文:五十嵐利休
書籍版『戦国ブギウギ』です!