織田信長に気に入られ、その娘(冬姫)を妻に娶ったという蒲生氏郷。
高い能力と生真面目な性格は豊臣秀吉にも重宝され、小田原征伐後、氏郷は東北の監視役に任ぜられる。
出向いたのは会津、石高91万――。
数字からも秀吉の期待度が溢れ出ているが、実際、その業務はラクではなかった。
東北には、あのお騒がせな独眼竜が未だ野望を燃やしていたからである。
そしてその蒲生氏郷に付き添い、お金のお風呂に喜び浸っていたのが岡左内。
一般にはあまり知られてない尖った戦国武将と併せて見てみよう!
ある将の奇癖

◆お金が大好きで家の中にたんまり貯め込んでいたとされる岡左内さん。
裸になってお金の上で昼寝をしているのが趣味だったと『雨月物語』(著:上田秋成)に記されております。
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こんな風に描くと、いかにもドケチな吝嗇家みたいに思われますが、岡左内さんが凄いのはそれだけにとどまらなかったことでして……。
貧福論

◆蒲生氏郷さんが亡くなられた後、上杉家に仕える岡左内さん。
同家は一時120万石というスーパービッグな御家になっておりましたが、関ヶ原で西軍についた後は30万石へ減封され、一気に財政が悪化します。
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このとき、颯爽と現れたのが岡左内さん。直江兼続に自らの資産を貸し出すと、その後、借金の証文を自ら焼いてチャラに。めちゃめちゃメンタルイケメンな御方だったんすね。
もちろん外見もカッコよかったかもしれませんが……。
安達ケ原

◆蒲生氏郷さんが東北会津の地を任されたとき、「いくら石高が高くとも、都から離れすぎている」と嘆いたのは有名な話です。
政治の中心、経済の中心から遠く離され、大名としての先の展望がなくなった――というワケですが、個人的には文化の中心から離れたことも相当辛かったんだろうなぁ思います。
蒲生さんは、当時、文化人として最先端と称された利休七哲の筆頭とされていたのです。
やはり信長さんに気に入られるほどだったのですから、合戦だけじゃなく文化面でも才能に長けていたんすねぇ。
創作料理

◆伊達政宗と蒲生氏郷は犬猿の仲でした。
政宗にとって黒川城(若松城・会津城・鶴ケ城とも)は、必死の思いで蘆名から奪いとったシンボル。
そこに氏郷が入ってきて城を近代的に建て替え、城下町も発展させたのですから面白いワケがありません。
天下人というより「会津の支配者」になりたかったんすね。
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この2人は後に、大きな騒動を引き起こしていくのでした……。
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著者:アニィたかはし
文:五十嵐利休
書籍版『戦国ブギウギ』です!






