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【三国志 Secret of Three Kingdoms】
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曹丕が悩んでいる兄・曹昂の死とは?
197年、張繍の居城である宛城にて、戦死を遂げています。
曹丕が恨んでいる張繍と胡車児とは、このとき兄を殺した仇とされているのです。
曹丕はまだ幼く、兄が彼を庇って戦死したというのはドラマの創作です。曹操に馬を譲り戦死したとされています。
この宛城での一件は、曹操が張済の未亡人・鄒氏と密通したため、張繍が怒ったからとされていますが、これには相当無理があるといえばそうなのです。
・張繍からすれば彼女は目上の女性。未亡人となった彼女が曹操に接近しようと、どうこう思うことはおかしい。鄒氏という名前からして後世の創作の可能性が高い。
・曹操は「張繍から人質を取らなかったこと」が原因としている。恥ずかしいやらかしを隠蔽したとも、もちろん解釈できますが。
・この件で曹操の正夫人であった丁氏が離婚しているものの、理由は曹昂が死んだからとしている。曹操のやらかしについてはコメントなし。もちろん不愉快すぎて敢えてしなかった可能性はありますが。
・曹操は、実はそこまで色欲がらみでの暴走はせず、節制をしています。二喬欲しさに赤壁で大敗しただの、そういうイメージは後世の創作の結果が多いのです。
・賈詡という屈指の謀略家が、このとき張繍配下にいたわけでして。
・これほどの事件がありながら、張繍は確かに曹操から厚遇されているのです。
「曹操が女遊びしたせいで失敗したんだね!」
というのは、確かに釈然としないし、浅い解釈だとは私も思っていました。
曹操を貶めるため。あるいは曹操と鄒氏のラブシーンをエロチックに盛り上げるサービスのようで、このあたりの描写は正直不愉快でした。曹操にも失礼なんじゃないかと。
このドラマの作り手も、同じモヤモヤがあったのでしょうか。
なんともビックリなシナリオを用意しています!
ネタバレを抑えつつヒントを出しますと……曹昂の死で最も得をするのは誰でしょう?
真犯人もぶっ飛んでいます。
しかし、曹丕は当時幼すぎて現場にはおらず、おの死を目撃していない方が妥当ではあるのです。そういう逃げも用意できています。
答:不可解な死を遂げた真相をミステリ仕立てにしました。実はこれもアリ、それなりに説得力がある設定です
三国志女性列伝・鄒氏とは~そもそも曹操との間にゲスロマンスは成立しない?
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徐州と下邳で曹操は何をやらかしたの?
伏寿が嫌悪感をこめて語る徐州の事件は、193年に起きた「徐州大虐殺」とも称される出来事。
父・曹嵩が暗殺されたことに怒った曹操が、徐州を攻めてその土地の住民を大量殺戮したのです。
伏寿は徐州の出身であり、彼女にとっては痛恨の極みでした。
この徐州から避難した中には、呉や蜀に仕えた者も多く含まれています。瑾と亮の諸葛兄弟もそうであったとされております。
曹操に対する反発はこの虐殺のせいで高まりました。彼の悪事でも最大のものとみませます。
下邳での出来事とは、199年に呂布を捕らえた籠城戦のこと。呂布はじめとする騎兵に手を焼き、籠城戦に疲れ果てた曹操は撤退すら考えますが、郭嘉や荀攸が水攻めを提案し勝利を収めました。
水攻めは非戦闘員の区別もつけず、ライフラインも大破壊してしまいます。
そのため、住民にとっては悪夢なのです。
曹操にとってはやむを得ない決断だろうが、相手からすればそんなこと知ったことではありません。
答:曹操の悪事のことです
曹仁は曹操の弟でしたっけ? 従弟では?
本作の日本語の解説において、曹仁が曹操の弟設定になっているとするものがあります。
弟と呼ばれているからかとは思いますが、中国語ですと「堂弟」です。
父方の同じ姓のいとこという意味。本作は別に血縁関係は変更していません。何かの誤解があるだけかと思われます。
中国では同族の年少者男性を「弟」として呼びかけることもありますから、そうした誤解でしょう。
答:そもそも弟ではなく、劇中でも史実通りであるのに、誤解されているようです
卞夫人とは?
曹操の正室。歌妓出身。
劇中では彼女の子は三人が出てきておりませんが、四人の男子、三人の女子の母とされています。
その出自から、夜のお姉さん系のファンアートが多い女性。しかし実際は質素好みで堅実な性格でした。
曹操が派手な衣装や生活を好まないと悟り、極めて倹約をしていたのでしょう。
外戚(帝、王の母や妃の一族)専横の弊害を踏まえてか、自分と同族の者を過度に引き立てもさせておりませんし、服装も夫好みの地味なもの。まさしく賢夫人というところです。
彼女ははじめから曹操の正室であったわけではありません。
曹一族と複数の婚姻関係があり、付き合いの深い丁一族から迎えた正室がおりました。
この丁夫人自身に子はないものの、母を亡くした別の曹操の子を我が子として育てていたのです。
その一人が曹昂でした。有力者出身であり、正室である丁夫人を出し抜くには? 謀略だ! そうなったのが本作の卞氏というわけです。
曹昂の死に絶望した丁夫人は、曹操による和解の申し出をはねつけ、離婚にいたります。そうなってからも、史実の卞夫人は丁夫人を丁寧に遇したそうですよ。
ちなみに劇中初登場時40歳で、曹操の5歳下ということになります。これは史実準拠です。
曹操までイケメンでいいのでしょうか?
本作の曹操は、香港の名優・謝君豪です。
なんだ、結構イケメンじゃないの……誰でもイケメンにすればいいと思ってんのか!
そういうツッコミは想像できますが、これはこれでアリな範囲だと擁護させてください。
まず、曹操はイケていないという根拠は何でしょう?
いろいろあります。代表例はこんなところでしょうか。
『世説新語』より……
曹操は、ある時匈奴の使者を迎えます。
「俺さ、ぶっちゃけ背が低くね。ナメられたくねえし、身代わり使うわ」
そうフェイクをたてて、謁見します。この使者に、印象を聞いてきました。
「曹操様は確かにご立派ですね。でも、側にいたおつきの人の方が只者ではないっていうか、オーラが半端なかったんですよ」
曹操はこれを聞くと、刺客をはなってこの使者を殺しましたとさ……って、何がしたかったんだ、曹操!
この逸話からわかることは、曹操は威圧感や身長は欠けていても、ただ者ではない見た目でオーラがあったということです。
正史ではこう言っています。
馬超討伐の際、人が彼を見物にやってきました。そのとき、ハイテンション曹操はこう言ったとか。
「よっ! お前ら俺がなんか特別だと思ってんの? 目が4つあるとかそういうんじゃないぞ。ただ、頭の中身がちがうんだッ!」
彼自身は、自分は見た目に威圧感がなくとも、中身で勝負だと思っていたようです。
背が低いという一点では不利。謝君豪は170センチそこそこで、180センチを超える共演者と比較すると小柄です。よし!
それと、曹操がイケてないとされた理由は推察できます。
曹操は、正史の時点で落ち着きがありません。
ゲタゲタ笑い転げたり、裸足で走り回ったり、キレて相手を殴ったり、ともかくうるさい。
『曹瞞伝』によれば、ファッションセンスもおかしい。
ぴったりフィットする服を着て、ポーチになんか色々入れて持ち歩いている。それの何が悪いのかと思うのかもしれませんが、なんかカジュアルすぎるんですね。
ゆったりした服を着て動け!
実用性重視でスウェット着てばっかりでどうすんだよ!
そういう、ビリー・アイリッシュに対するツッコミのような反応が当時からあったのです。
つまり、曹操は顔の作り以前に、態度がともかくイケてないうえに、なんかイラつくタイプだったんですね。
そういう実用性重視の格好と、チンピラのようで威圧感がある風情を、初登場時に出してきています。
謝君豪の曹操はむしろ原点回帰。正史に近い、チャラけた小柄曹操なのです。
答:小柄でなんかムカつくし、威厳がないことは確かだけれども、イケメンでないとは言い切れないのです。ちなみに曹操は遺骨が発掘されたため、実は復顔されています
◆曹操の顔が復元、威風堂々たる雰囲気に驚愕(→link)
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