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【魏無羨と藍忘機のルーツ】
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アイツと親しいあの人が気に入らない……
郭芙は楊過と深い信頼と愛で結ばれている小龍女に、つんけんした態度を取ります。
江澄も、藍忘機とすんなり仲良くできません。
弟妹のような存在がいて、年代ジャンプ後に重要な役割を果たす
郭芙には郭襄という歳の離れた妹がいます。『神鵰侠侶』は十六年の年代ジャンプがあるのですが、ジャンプした後はこの郭襄が楊過と交流し、共に困難と戦います。
年代ジャンプしたあと、江澄の甥にあたる金凌が重要な役目を果たします。
ツンデレだが、デレは微量
郭芙は物語の最終盤、自分の気持ちに気づきます。
「私が楊過をいたぶったり、酷いことをしたのは、愛していたからだった! 私のバカバカ! 小龍女より早く彼と恋に落ちていたら……私の方が先に出会っていたのに、どうしてえーッ!」
遅いよ。なんなんだよ。だからといって許されんぞ。読者がそうツッコミを入れたくなる。
愛していたにせよ、ツンデレでも、やっていいことと悪いことがあるだろう。だからお前はダメなんだ。そんな展開です。
この郭芙の気づきは、そのまま江澄にも適用できるといえる。悲しいツンデレなんですよ。
ちなみにここではわかりやすさのためににツンデレとしておりますが、デレはほとんどありません。虫眼鏡でやっとみえるか見えないか程度です。
どうしてなの? ずっとそばにいて、家族のように育ってきて。一緒にいられると思ったのに、どうして!
そんな悲しい愛が根底にあるとすれば、なんとも切ない。字のように、晩になってからぶつくさと己の気持ちを嘆いている。それが江澄だと思うと、なんとも悲しいではありませんか。
それでも江澄は、郭芙ほど性格が悪いわけではありません。うまく魅力的な人物像に変えたと思います。
江澄は素直になれなくて、怒りっぽいだけで、悪人ではありませんよ。本当の悪人は他にいます。
郭芙は気の強そうな美形とされています。日本の女優ならば橋本愛さんのイメージです。そんなツンデレヒロインの男性版が江澄だと思っていただければご納得いただけるかと思います。
※郭芙、あまりに遅すぎる微量のデレ
金光瑤――究極の悪にして悲劇の存在
金光瑤――作中でも屈指のきらびやかな名前です。
金に、光り輝く美しい玉。黄金に象嵌されたキラキラと輝く宝石を思い浮かべてください。
実に美しい名なのです。ここまで華麗な名前はそうそうありませんよ!
号の「斂芳尊(れんほうそん)」も美しい。芳しさと尊さを集める。うっとりするほど綺麗な呼び方です。
そんな彼は、名前のような美しい才知の裏におそるべき陰謀を秘めています。
表向きは君子なのに、実はその裏はどす黒い。そんな人物像はこう定義されます。
偽君子――そんな定型が武侠にはあります。あいつは偽君子だ。そういえばファンは納得する。そんな造形です。
君子とされるくらいですから、笑顔が素敵で、教養に溢れ、それは素晴らしい人柄なのです。それゆえ信頼を集め、大したものだと思われるのですが、腹黒く虎視眈々とさまざまな悪事の糸を張り巡らせている。
正体が判明したとき、作中の皆が「貴様だけはゆるさんぞ!」そう噴き上がる。究極の悪と言えます。
武侠ものでも屈指の偽君子といえば、『笑傲江湖』の岳不群です。
主人公である令狐冲の師匠であり、名門・崋山派総帥でありながら、下劣極まりない策を弄していた。君子剣と呼ばれていたのに、どういうことなんだ!
日本の俳優であれば、君子である表と狂気あふれた裏を演じ分けられる、長谷川博己さんがふさわしいと思えます。
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※中年の最低最悪闇堕ち例として解説される、それが岳不群……
ただし、江澄と郭芙以上に、この比較は危険かもしれない。いくらなんででもあそこまで下劣ではないという反発は当然湧いてきます。
彼にはもう一人、『笑傲江湖』の人物像が反映されていると思えます。林平之です。
両親を惨殺され、仇討ちのために剣士となる悲運の美少年。素直で心優しかったはずが、復讐に取り憑かれていわゆる“闇堕ち”をしてしまいます。
その堕落後の印象が強いため、どうにもどぎつい印象が上書きされてしまいますが、本来心優しい少年であったはず。
日本の俳優ならば、さわやかな美形である吉沢亮さんのようなイメージです。
金光瑤は悪役としての陰謀の巨大さでは岳不群、悲劇的な背景では林平之を思わせるのです。
彼らは全員、悪事のために彼に寄り添ってきた最愛の妻を失います。
犠牲となった妻のことを思うとあまりにやりきれない。最愛の人を犠牲にしてまで、達成したい野望や復讐とは何なのか?
※政治闘争による悲劇の人物として解説される林平之
『笑傲江湖』は怒涛の展開を見せることや、東方不敗が目立ちすぎる弊害もあってか、こうした悲劇を噛み締めることはなかなかできにくい。
それが『陳情令』と『魔道祖師』の世界観では、悩ましい同情すべき点や、深みがでていて興味深いと言えるのです。
もともと金庸の作品では、根っからの悪党というよりも、愛情不足や満たされぬ思いゆえに悪へ染まる者も多いもの。
薛洋にせよ、金光瑤にせよ、この作品の悪役はより一層掘り下げられているのです。
ちなみに『笑傲江湖』で大人気でありながら、『陳情令』と『魔道祖師』には該当者がいない悪役もいます。
『笑傲江湖』では途中で対峙する東方不敗の人気が高まり過ぎました。
原作ではそこまででもなかったものの、1992年映画版における林青霞(ブリジット・リン)が大好評で人気が高くなったのです。
そのためか、本来は中ボスなのにいつの間にかラスボス扱いされるようになりました。日本の『魔界転生』における天草四郎のような現象と言えます。
そんな東方不敗のように目立ちすぎる中ボスを排除したのは、よい判断に思えます。
※林青霞版東方不敗
魅惑の同工異曲
日中戦争終結後、香港で武侠小説が大流行した背景には、民衆の関心がありました。
武術家たちが果たし合いをするニュースを報道するうちに、新聞社は「これを小説にしたら受けるだろう」と閃いたのです。
中国本土や台湾では規制がかかる中、香港の新聞では武侠小説が紙面を飾り続けます。
荒唐無稽な世界のようで、その作品には発表当時の世相も反映されてきました。
『神鵰侠侶』の前日譚にあたる『射雕英雄伝』は、ビルドゥングスロマンの典型です。漢民族として南宋に忠誠を誓い、英雄にのぼりつめる主人公・郭靖の姿はまさしく理想的な好青年でした。
それが次の『神鵰侠侶』は、愛国心よりも個人の愛情に焦点があたります。
武侠では禁断とされる、武芸の師弟同士の愛を貫く主人公・楊過の姿に、大袈裟でもなく全中国語圏が泣いたのです。
そして『笑傲江湖』は、発表時期が文化大革命と重なります。
作者の金庸にせよ、香港の読者にせよ。あの作品の心理的背景には、深い絶望感がありました。
戦争も終わり、新たな国が生まれ、中国はきっとこれから発展してゆくのだ! そんな上向きの心境や愛国心がそれまでの作品にはあったもの。
それが身内同士で争い、無茶苦茶残酷なことに陥っている。なんだこれは……もう武侠でその憂さ晴らしをするしかない。そうした背景はどうしたってあります。
そうした作品を読んできた世代が2010年代以降、どう発展させてゆくのか?
『神鵰侠侶』で描かれた型破りとされるカップルは、男同士、ブロマンスという形で再定義されます。
藍忘機にせよ江澄にせよ、かつてならばヒロインとされていたことでしょう。
『笑傲江湖』は厳しい世間に嫌気がさし、「浮世を笑ってやる!(傲慢に江湖=世界を笑い飛ばす)」と言うしかない世界観です。
あの作品の時代背景である明代は、科挙選抜の理不尽さや宦官と官僚の競争が激しさに嫌気がさし、ドロップアウトした才人が大勢いた時代でもあります。
激しい競争社会に嫌気がさし。自分らしくありのままに生きる「寝そべり族」が増えている現在の中国と類似点を見出せなくもありません。
金庸はじめ武侠小説は、刊行後から半世紀経たものもあり、流石に古くなってきてはいます。
2004年には王蓉が『我不是黃蓉』(私は黄蓉=射雕英雄伝のヒロインじゃない)という歌を発表しヒットしています。
武功はないし、美人じゃないし、愛情に溢れていないし! 名前が同じゆえのひっかけもあるとはいえ、旧世代の理想的なヒロインへの反発もあるようで興味深いものがあります。
武侠はいくら面白くても、祖父母や親世代のものじゃない!
そう若い世代が見捨ててしまったら、ジャンルとしては下火になりかねません。金庸のドラマ版にせよ、原作を改変しすぎて失敗することもしばしば。前述の通り、「隣のお姉さんのような小龍女」には需要がさっぱりなかったのです。
そんな武侠もまだまだ大丈夫だと思えるのが『陳情令』と『魔道祖師』のヒットです。
原典にあった要素をうまくアップデートし、現代の若者も熱狂するように仕上げてしまう。
まさしく本来の意味での同工異曲がそこにはあります。
武侠要素がある作品が盛り上がり、武侠MMO『新笑傲江湖M』が作られる。
そのイメージキャラクターに肖戦が起用され、原点回帰したドラマを望む声があがってくる。
まさしくアップデートしながら発展する好循環に突入しています。
これはなんとも羨ましいことです。
かつて日本でも、若者たちが時代劇に熱中していた時代がありました。
それがだんだんと古臭くなり、時代ものはおじいちゃんおばあちゃんの好きなものとされていきました。そして2020年代現在、悲しいことに衰退期にあります。
そんな時代に、若者たちは韓流や華流時代劇にハマってしまう。極めて不幸な状況が生まれているといえるのです。
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武侠の伝統を引き継ぎ、大成功し、楽しむ機会が増えている中国語圏。今からでも彼らから学び、時代劇を存続できないのかとどうしても考えてしまいます。
『陳情令』と『魔道祖師』の大成功は、ボーイズラブだからとか、美形が揃っているとか、それだけではありません。
伝統を引き継ぎ、さらに発展させてゆく。そんな眩しいほどの成功例としてそこにあります。
パクリだのなんだの言わずに、同工異曲で高めてゆく。そんな成功例から学べることは多々あるはずです。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
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【参考文献】
佐藤信弥『戦乱中国の英雄たち』(→amazon)
岡崎由美『漂泊のヒーロー: 中国武侠小説への道』(→amazon)
岡崎由美/浦川留『武侠映画の快楽』(→amazon)
他