松江藩

松江城と松平直政像

江戸時代

ここがヘンだよ松江藩~それでも幕末まで存続できた不思議な藩の歴史

歴史とは、勝者のものであり、軍人や政治家などお偉いさんのもの……というのがセオリー。

しかし同時に、我々庶民たちが作り上げてきたものであります。

たとえどんな国でも「酷い暴君が出現した! そして国が丸ごとなくなった!」なんて話にはなりません。指導者は次々に変わりますが、民はずっとそこにいるワケです。

文政五年(1822年)3月21日は、松江藩主・松平斉恒(なりつね)が亡くなった日です。

松江藩は堀尾家(二代)→京極家(一代)→越前松平家(十代)と藩主が変遷しており、斉恒は越前松平家としては八代目、藩全体でいえば十一代目となります。

もっとも、後者のような数え方はあまりしません。

松江藩の藩庁・松江城は、最初の藩主だった堀尾吉晴・忠氏親子でひと悶着あったところでもあります。

簡単にいうと「本人の承諾なしに人柱を立てたら、藩主が祟り(?)で亡くなってしまった」という感じです。

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こうした状況を加味せずとも、元々が地盤の弱いところに城を建ててしまったため、松江城は百年も経たないうちに傾きはじめたといわれています。

そして奇しくも、松江藩主の家もそのような経緯をたどりました。

本日は斉恒を含めた松江藩の歴史を、ざっくりと見ていきましょう。

松江城

 

本能寺の変を逃れた森蘭丸の弟が一時藩主候補になる

堀尾家が無嗣断絶のため改易されると、次の藩主候補になったのが、近所の津山藩主・森忠政でした。

あの森蘭丸の弟(森可成の末っ子)なのですが、本能寺の変の際は事前にちょっとしたトラブルを起こして国元に帰されていたために織田信長の側におらず、結果として森家唯一の生き残りとなった人です。

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しかし、内々で話が決まりかけたところで忠政が急死。代わって小浜藩から京極忠高が入ることになります。

京極家にとって松江を含む出雲の地は旧領であり、念願かなって……のはずだったのですが、忠高もまた、入封してたった3年で急死してしまいました。

次に入ってきたのが結城秀康の三男・松平直政に始まる越前松平家です。

徳川家康の孫にあたりますね。

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立て続けに藩主が亡くなっていては、イヤ~な噂も立っていそうですが……そんな土地に、幕府から警戒されていた越前松平家が入るとは、何やらアヤシイかほりがします。

確かに越前松平家になってからも、藩主の急死や財政悪化などの災難はつきものでした。

が、実際は無嗣断絶等にはならず幕末まで続いています。よかったよかった。

 

「美女の背中に花の入れ墨を彫らせ」……って、おい

松平斉恒の曽祖父である五代・松平宣維(のぶずみ)の治世からは、財政再建のために色々とやり始めました。

具体的には漆や茶などの商品作物栽培や、たたら製鉄、ろうそく製造などを行って、藩が率先して商売をやろうとしたのです。

目のつけどころは悪くありません。

が、さすがに一代でカタがつくほど財政改善は容易なものではありません。

六代・松平宗衍(むねのぶ)の時代になると、家老たちもヤケっぱちなのかガチなのか、ただでさえイナゴの害で苦しんでいる農民に重税を強いて、一揆を起こされてしまいます。

当時、宗衍はまだ元服前でした。

ただ、家老たちがあまりにアレなので「だめだこいつら……はやく何とかしないと」(※イメージです)と思い、18歳から親政を開始します。

そして一時は財政再建が成功したかに見えながら、途中で天災が相次いだ上、空気を読まない幕府が「比叡山の修繕よろしく☆」(超訳)と命じてきたため、せっかくのお金が吹き飛んでしまいます。

一般人の中には、「雲州様(=出雲のお殿様)滅亡」とまで言う人もいたそうですから、当時の松江藩の暗い雰囲気がうかがえます。

宗衍自身もすっかり気落ちし、まだ39歳だったにもかかわらず、息子・松平治郷(はるさと)に藩主を譲って隠居してしまいました。

隠居した後の松平宗衍は結構ヤバめの隠居生活を楽しんでいます。

「美女の背中に花の入れ墨を彫らせ、白い着物を着せて、透けて見えるのを楽しむ」というアレな趣味にふけったり。

夏には「四方の壁に妖怪をたくさん描かせた部屋を作り、それを怖がる客や侍女を眺めて涼をとる」など、独創……というか奇行が目立ったようです。

これだけオリジナリティがあれば、財政再建のための奇策も思いつきそうなものですが……ふっきれてたんですかね。

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