吉原の恋愛

吉原を描いた喜多川歌麿の作品/国立国会図書館蔵

江戸時代 べらぼう

『べらぼう』吉原女郎が本気で男に惚れたらおしめえよ「真があっての運の尽き」

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髪切り・指切り・爪剥ぎ・◯◯サマ命

そんな激しい恋の駆け引きが、吉原にも洗練された上で導入されます。

以下に例を見てまいりましょう。

◆「髪切り」

女郎が客に切らせ、そのまま渡します。

髪という女の命で男を縛る――そんな意味があります。

◆「指切り」

血や髪を捧げるのは、まだ理解できるかもしれません。

しかし、指を切って相手に贈るなんてことがあるのか?と思いきや、実行する女郎もいました。

ただし、この手法が定番化していくと“偽の指”が出回るようになります。死体から切り取ったものや、精巧な“しんこ細工(うるち米の粉で作る人形等)”の指が売られるようになったとか。

指を受け取った側が「偽モンじゃねえか!」と騒ぐのは野暮というもの。

舌打ちしながら苦笑して「吉原にまことがあってたまるかぃ、ふてぇアマだな」とでも言うのが粋な反応でしょう。

この風習は日本文化に根付きました。

例えば裏社会の構成員がケジメを取らされるときに指を詰めるのはよく知られていますよね。

あるいは「指切りげんまん」と言い合いながら小指を絡ませる約束の誓いも残されていると言えそうです。

吉原を描いた喜多川歌麿の作品/国立国会図書館蔵

◆「爪剥ぎ」

指の切断までには至らぬも「生爪を剥いで送る」こともありました。

指切りや爪剥ぎのあとは、手元にわざとらしく布を巻いて、誠意を見せるわけです。

といっても送られてきた方も「中身が本物かどうか調べる」ような真似もそうそうできません。

騙されるのも吉原遊びのうちに入る。それぐらいの余裕が必要とされるのです。

◆「起請文」を書く

年季が明けたら一緒になろうと常連を捕まえておく。

この際に熊野神社の護符「熊野牛王」を用います。ただ書くだけでなく、血判を押します。

◆「起請彫り」

起請文どころか、相手の名前を刺青に入れる。これも取り返しのつかない大変重い誓いでしょう。

文言の典型はこうなります。

「◯◯サマ命」

刺青は入れないにしても、推しの名前に「命」とつけることはいまだに名残があります。もっともこうして真面目に彫るわけではなく、膠(にかわ)を用いた偽刺青も当時からありました。

刺青を消すこともあります。新しい馴染みができたら、灸を据えて消してしまうのです。本物の刺青師が彫るわけでもないことから、消えたそうです。

ただし火傷の跡は残る。

火を用いて消すことから「火葬」と呼びました。「火葬のあと」というのは、女郎が刺青に入れた名前を消した跡のことであり、そういう「火葬跡」を見ても「ふてぇあまだな」と苦笑しなて済ます。それが江戸の粋です。

このように、営業テクニックとしての騙し、「手練手管」も女郎の技でした。

しっとりとした文で呼び出し、甘ったるい「口説」(くぜつ)で愛を誓う。おまけに髪だの爪だの指まで送ってくる。

騙し騙されつつ、遊ぶ場所が吉原でした。

そんな嘘まみれの場所に、真があったらどうなるのか?

ハッピーエンドならば落語の『紺屋高尾』のような話として愛されます。

その反対に位置するバッドエンドの男女は?

ドラマに限らず、現実に何組も存在しました。

 


嘘まみれの吉原は真があっての運の尽き

女郎がうまく生きてゆくには、運を天に任せるような要素が多分に影響します。

まず体が丈夫でなければ、壊れてしまう。

機転が利き、美貌に恵まれなければ、落ちぶれてしまう。

その上で、寛大な太客を見つけ、身請けを狙う見る目と幸運が必要――28とされる年季明けまでに、そんな僥倖に恵まれるなんて滅多にないことです。

たとえ身請けされるにせよ、相手のことを誠心誠意好きになれるかどうか、割り切るか。

『べらぼう』で小芝風花さんが演じる瀬川は、実に1400両という大金で鳥山検校に身請けされました。

しかし、身請けされるまでしか確たる話はなく、その後は不明。

ドラマで今後どうなるか……。

そんな瀬川と蔦屋重三郎よりも、劇中で一足先に足抜けに挑戦して失敗したのがうつせみと新之助です。

吉原の女郎が貧乏侍を好きになってしまった。

 

 

初々しい彼女の魅力に新之助も夢中ですが、しがない浪人の身では吉原に足繁く通うことはできない。

そこでうつせみは、女郎としての一線を超え、「身揚(あが)り」で新之助を迎え入れておりました。

要は、カネの支払いを女郎側が負担することです。

客はタダで女郎と過ごせるわけですが、そのぶん女郎の背負う負債は増えてしまう。

ただでさえ衣装や寝具、食費まで負担せねばならない女郎にとって、「身揚り」は大変な重荷です。そんなことを続けていては年季明けも伸びてゆくばかり。

そのぶんを補うにはどうするか?

倍働くか。無茶な客の要求でも引き受けるか。

図太さとは無縁で、繊細で可憐なうつせみがそんなことをしたら、どうなってしまうのか。

劇中では、腕に「長サマ命」という、前述の「起請彫り」をされていましたね。

要は、太客に遊ばれたわけです。

ただでさえ、病気になって命を落とす女郎は多い。

そんな環境で財力の無い男に惚れてしまえば、真の愛と引き換えに、破滅への道も踏み出してしまう、それが吉原という世界の現実です。

女衒に連れられて吉原へ足を踏み入れた幼い少女たち。

彼女たちが女郎となったら、そこを出るには三つしか道はないとされました。

一つは年季明けです。

吉原に残って「遣り手」(女郎と客の手引きをする)になる者もいましたが、あの門を堂々と出ていく者もいました。

もう一つは身請け。

幸運に恵まれた道です。しかしその先もまた現実は運次第であり、瀬川は鳥山検校と無事に生涯を過ごすことができるかどうか。

そして最後は「死」です。

第1話の朝顔のように、身ぐるみを剥がされて投込寺こと浄閑寺に葬られる女郎は多かった。それが現実でした。

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