なぜ旗本御家人は総じて貧しいのか

江戸時代 べらぼう

なぜ『べらぼう』に登場する旗本や御家人は総じて貧乏なのか?武士たちの経済事情

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なぜ長谷川平蔵宣以には金があった?

同じ幕臣の家系でも、小田新之助よりもずっとよい家であるのが長谷川平蔵宣以(のぶため)です。

思えば平蔵は序盤、花魁道中の花の井に一目惚れすると、吉原に足繁く通ったものでした。

そして花の井の手練手管にひっかかり、遊ぶ金をあっという間に使い果たしたのです。

ここで疑念が湧きませんか?

彼の家は「三河以来」、つまりは名門であり俸禄もそれなりにあります。

とはいえ、吉原で花魁を相手に豪遊するほど、まとまったお金を持っていたのはなぜなのか?

『新吉原の桜』歌川広重(1835年3月頃)/wikipediaより引用

それは、偉大な父・宣雄が残しておいたものでした。

宣雄は我が子が出仕するようになった際、何かと入り用だろうからと貯蓄し、残しておいたのです。

それを吉原で使い切るとはとんでもねぇ話ですが、ドラマの脚色ではなく、史実に基づく描写ですので面白いですよね。

それにしても、なぜ父の宣雄は貯蓄ができたのでしょうか?

奉行所に勤め、江戸の治安を維持する与力、同心、そして火付盗賊改方ともなれば、町人と接する機会が増えます。

この時代は「贈収賄=悪」という意識はないどころか、治安を守る御礼を受け取る機会があったのです。

それをコツコツ貯め込めば、余裕は出てきます。

ただし、こうした役職は、出費も必要です。

田沼意次から極秘捜査を命じられた際、宣以は張り切って「頼もしき仲間がおりますゆえ!」と返していました。

その仲間とは、磯八と仙太という町人であり、「兄ィのためならタダでも働きますぜ!」なんて展開になるとは限りません。小遣いを渡せばこそ、ついてきてくれるともいえる。

そうした細々とした出費が必須となるんですね。

史実における長谷川平蔵宣以(のぶため)も、こうした気前の良さで江戸っ子の心を掴みました。

彼が慕われたのは、部下によく酒食を振る舞ったことにもあります。

部下のみならず、捜査に協力した町人には蕎麦を振る舞い、小銭を持ち歩いては協力者だけでなく物乞いにも渡す。

刑死した者の菩提も弔う。

毎朝、大釜にたっぷり飯を炊いておく――夜遊びしてすってんてんになった町人は「長谷川様のところに行けば飯があるらしいぜ」と、立ち寄ればよいわけです。

昭和の刑事ドラマでは定番だった「容疑者にカツ丼を奢る人情味あふれる刑事(デカ)」の先をゆく存在だったんですね。

こうした細かい出費を見越して、父は貯蓄をしていました。

それを使い切った宣以がどうやって補い今後活躍してゆくのか。経済的な観点からも注目されます。

劇中で宣以が、城の中よりも市中に関わりたいとぼやいている理由も、こうした事情から見えてきます。

当人からすれば「別に付け届け欲しさに言ってんじゃねえぞ」となりましょう。

とはいえ、市中には旨みがあるからこそ、その職を狙う者がいてもおかしくはありません。

だからこそ、後に宣以がこの役目に就くと、周りからの嫉妬に苦しめられることにもなるのです。

 


嫉妬で身を誤った最悪の例・佐野政言

長谷川平蔵宣以は、劇中でも屈指のタフなメンタルと言えるでしょう。

大金をスッたにも関わらず、ケロリとしている。鋼の心でも持ってんじゃねぇか?と思えてきます。

しかし宣以は、旗本でも例外中の例外です。

当時の記録や、世相を反映した作品からは、先の見えぬ生活に息苦しさを覚え、嫉妬で足を引っ張り合う者がほとんどだったことが浮かんできます。

劇中で田沼意次は、米本位の制度はもはや限界だと繰り返し訴えていますよね。

田沼意次/wikipediaより引用

流通の仕組みを知れば誰だって納得できるでしょう。

武士の俸禄は米本位です。そして米の価値は変動します。給与の総額は決まっているというのに、相場に合わせて変動するとは、たまったものではありません。

本来、米の豊作はめでたいものですが、それで米価が下がるとなれば、武士は顔色が蒼ざめてもおかしくない状況に追い込まれるのです。

田沼政治は、そうして限界に達した幕藩体制の変革に必要不可欠でした。

しかし、彼の長期的な見通しなど、そうそう理解できるものではありません。

それどころか「三河以来」の幕臣たちにしてみれば煙たい存在です。

田沼家は8代将軍・徳川吉宗が将軍になった際に江戸入りした紀州以来の家柄であり、劇中で松平武元が憎々しげに毒づくように、足軽上りでもありました。

徳川吉宗/wikipediaより引用

出世が難しい江戸時代において、上様の寵愛をよいことに順調に駆け上がる田沼意次とその嫡男である意知。

嫉妬と憎悪をその身に集めても、不思議はありません。

それが最悪の形で噴出するのが、佐野政言による田沼意知の暗殺事件でしょう。

今なおその動機は不明のままですが、当時の閉塞感を思えば、見えてくるものもあるのではないでしょうか。

 


旗本御家人株の売買が当然のこととなる

『べらぼう』の衝撃的なシーンとして

・幕臣が借金返済のため家督を売却する

というものがありました。

それを知った十代将軍・徳川家治も愕然としていましたが、さらに時代がくだるにつれ、取り締まられるどころか一つの手段として根付いていきます。

『べらぼう』の終盤に登場する曲亭馬琴は、武士である滝沢家に生まれたことを誇りとしていました。

曲亭馬琴(滝沢馬琴)/国立国会図書館蔵

しかし兄のいる彼は家を継ぐことはできない。

主家から飛びだした上に戯作者となり、履物屋へ婿養子に入ったからには、もはや武士とは到底呼べません。

馬琴はそれが嫌だったのか。婚家(こんか)の履物屋の商売には手をつけず、息子の宗伯を武士にしようとします。

実際、戯作者として自身の名が売れるようになると、藩主が馬琴ファンだという松前藩に医者として出仕させました。

ところが宗伯は病弱で、幼い子を残して夭折してしまう。

馬琴はそれでも武士として滝沢家を残したい。

そこで作家としてギャラをきっちり受け取り、さらには【書画会】という江戸時代のクラウドファウンディングイベントも開催しました。

有名人がサイン入りの書画をファンに売り、金を集めるというイベントです。

自尊心の高い馬琴はこの行為を嫌い、他者が開催すると鼻で笑っていたのに、孫に御家人株を買うため自分も仕方なく開催したのです。

御家人株には、屋敷もセットでついてきます。

馬琴はその屋敷へ移り、創作に励むのでした。

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