石山詣

石山寺縁起絵巻/国立国会図書館蔵

飛鳥・奈良・平安 光る君へ

『光る君へ』石山寺でまひろと道長が偶然再会するなんて実際あり得るのか?

こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
平安貴族の神仏お参り
をクリックお願いします。

 


藤原道綱母の場合

平安時代の貴族女性といえば、一定以上の身分になるとほぼ外出しないのが常……かと思いきや、あながちそうとも限りません。

参詣のため色々と出かけているのが、前述の通り『蜻蛉日記』の著者・藤原道綱母です。

彼女は「いつも行っている」と記している”鳴滝の山寺”の他、伏見稲荷大社や初瀬の観音様こと長谷寺など、多くの寺社へ参詣していました。

出先が記されておらず「人に誘われてお参りに行った」というだけの記述も多々あり、他のお寺や神社にもよく行っていたようです。

比較的若い頃、夫の藤原兼家と大ゲンカをした後に「幾年来の願い事があって」と初瀬のことを記しているため、夫婦円満や子授けを願っていたと思われます。

「あちらこちらへお参りしてお祈りしたが、もう子供が生まれる見込みのない歳になってしまった」なんて記述もあります。

なお、この初瀬詣のときは、兼家が「大嘗会が終わったら一緒に行こう」と誘っていたのにもかかわらず、道綱母はそれを待たず、一人で行ってしまっています。そういうとこですね。

 


参詣への道中や寺社の様子も

藤原道綱母が他の女性たちと異なるのは、やはり日記を記していたことが大きいでしょう。

その中で、参詣への道中や寺社の様子も比較的多く記していて、現代の我々も楽しむことができます。

実際にどんなことが書かれていたのか?

いくつか例を挙げてみましょう。

◆初瀬へ向かう道中の宇治で

「木々の間に水面がきらきらと光ってうっとりするような景色」

「川に向かって簾を巻き上げると、川の中に網が張ってある。行き違う舟も多く、今まで見たこともない風景をみんなで眺めた」

「後ろを見ると、従者たちが柚子や梨を嬉しそうに食べていて、旅の面白さを感じた」

◆唐崎へ祓えに行く途中

「山道になると、京都はすっかり違った景色で面白かった」

「関所の道も趣深く、なんとなく先を目で追っていくと、はるか彼方まで見渡せた」

こういった表現は、話の流れや人物同士の心境を重んじる物語より、著者の感覚がそのままにじみ出る日記文学のほうが面白いかもしれませんね。

家族に関するご利益はなかったかもしれませんが、この筆力と和歌の才能をもって、道綱母の名が現代にまで伝わったことは何ともありがたいことです。

「神頼み」は現代ではあまり重視されなくなっていますが、そうするしかないときもありますよね。

科学的な解決方法がない時代は、必然的にその機会が増えるだけのこと。

頭から「非科学的」と謗るのではなく、当時の人の心情を想像して史料や文学に触れてみると、より味わいが増すのではないでしょうか。


あわせて読みたい関連記事

◆ドラマや平安時代など全ての関連記事はこちら→(光る君へ

◆以下、名前をクリックすると各人物伝の記事へ飛びます

紫式部
まひろ
藤原為時
まひろ父
藤原惟規
まひろ弟
藤原宣孝
まひろ夫
藤原道長
兼家三男
藤原兼家
道長の父
藤原道兼
道長の兄
藤原道隆
道長の兄
藤原時姫
道長の母
藤原寧子
道綱の母
藤原道綱
道長の兄
高階貴子
道隆の妻
藤原詮子
道長の姉
一条天皇
66代天皇
藤原定子
道隆の娘
藤原彰子
道長の娘
源倫子
道長の妻
源雅信
倫子の父
藤原穆子
倫子の母
赤染衛門
女流歌人
藤原公任
道長の友
藤原斉信
道長の友
藤原行成
道長の友
藤原実資
ロバート
藤原伊周
道隆嫡男
藤原隆家
道隆四男
清少納言
ききょう
清原元輔
藤原頼忠
公任の父
安倍晴明
陰陽師
源明子
道長の妻
円融天皇
64代天皇
花山天皇
65代天皇
藤原忯子藤原義懐
朱仁聡
宋の商人
周明
宋の医師
三条天皇
67代天皇
藤原顕光
兼家の甥
藤原頼通
道長嫡男
藤原為光
忯子の父

◆配役はこちら→光る君へキャスト

◆視聴率はこちらから→光る君へ全視聴率

◆ドラマレビューはこちらから→光る君へ感想

コメントはFacebookへ

長月 七紀・記

【参考】
服藤早苗『藤原彰子(人物叢書)』(→amazon

TOPページへ


 



-飛鳥・奈良・平安, 光る君へ
-

×