煎餅(せんべい)や讃岐うどんのルーツは、あの空海にある――。
そんな話を聞いたことはありませんか?
空海は大同元年(806年)10月22日付で朝廷に『御請来目録(ごしょうらいもくろく)』を提出。
唐から持ち帰ったものとして、経典や仏画だけでなく瑠璃(るり)の箸や琥珀の器、白い巻貝といった品まで報告しました。
さらには筆の作り方や、日曜・月曜といった曜日の知識など、現代にも影響を与える意外なものまで持ち込んでいたのです。
では、具体的にはどのようなものだったのか?

空海イメージイラスト
一番身近な食べ物から振り返ってみましょう。
煎餅やうどんは空海が伝えた?
まずは空海との言い伝えがある食べ物に注目します。
一つ目は煎餅です。
唐の順宗皇帝に招かれ、振る舞われた料理の中に「亀の形の煎餅」があり、空海が作り方を習ったとされます。
帰国後、その製法を山城国小倉の里の和三郎という人物に伝え、和三郎が葛(くず)と米の粉に果物の汁をつけて焼き上げたのが「亀の子煎餅」の始まり――そんな伝承です。
現在のような硬い醤油味ではなく、柔らかく湿ったものだったそうですので、“ぬれ煎餅”みたいなものですかね。
伝承どおりなら、現在のようなバリッとした煎餅ではなかったのでしょう。
もう一つが、讃岐うどんです。
香川県綾川町の滝宮(たきのみや)には、空海が唐で学んだうどんの作り方を弟子の智泉(ちせん)に教え、智泉が滝宮に住む父に振る舞った、という言い伝えがあります。
そのため綾川町は、さぬきうどん発祥の地と言われるほど。

讃岐うどん
今の讃岐うどんがそのまま806年に伝わったわけではありませんが、空海の故郷・讃岐でこうした話が語り継がれてきたこと自体、身近で重要な存在だったことを物語っているでしょう。
では、言い伝えではなく、記録にはっきり残る「持ち帰り品」には、どんなものがあったのか?
筆の作り方まで伝えたのか
まずは、今も私たちの身近にある筆です。
大河ドラマ『豊臣兄弟』の第38回で、間宮祥太朗さん演じる奈良の筆屋・才蔵が、狩野永徳も気に入る筆を作り上げる場面がありました。

筆屋の才蔵イメージイラスト
その「奈良筆」の由緒をたどると、空海に行き着きます。
奈良市によれば、空海は唐で筆の作り方を修め、帰国後に大和国今井の清川という人物に作らせ、嵯峨天皇と皇太子に献上したとされます。
奈良筆に伝わる由緒ではありますが、筆作りを教えたこと自体は確実なようです。
なんせ空海本人の文章にも書かれていて、嵯峨天皇に狸(たぬき)の毛の筆を献上したときの上表文「狸毛筆奉献表」に見られます。
【意訳】毛の選び方、紙の巻き方、墨の染ませ方やしまい方まで、すべて伝え終えました
【原文】簡毛之法、纏紙之法、染墨蔵用、並皆伝授訖
出典:「狸毛筆奉献表」
現在一般的な、穂を毛だけで作る筆とは構造が違います。
芯になる毛の根元を紙でしっかり巻き固め、そのまわりに薄く毛をかぶせて穂を作る「巻筆(まきふで)」と呼ばれる作り方でした。
なお、筆そのものは空海より前から日本にもありました。
伝えたのは、唐で使われていた新しい作り方です。
ただ、空海が嵯峨天皇に贈ったのは、筆だけではありません。

嵯峨天皇/wikipediaより引用
研究者の松長有慶氏は著書『空海』の中で、空海が中国の名高い書家の書跡や、手に入りにくい中国の詩や文章を次々に献上していたと述べています。
嵯峨天皇も空海も、のちに「三筆」に数えられる書の名手。
唐の最新の書や文学は、何よりの贈り物だったでしょう。
また、空海は帰国直前の越州(浙江省)でも、漢詩や碑文、さらには占いや医学の書物まで探し求めていました。
二度と来られないかもしれない唐で、空海は時間を惜しむように書物を集めていたのです。
では、筆と並んで今の私たちの暮らしに残っているものとは、いったい何なのか?
経典に「日曜日」が書かれていた?
答えは、曜日です。
空海が持ち帰った経典のひとつに『宿曜経(すくようきょう)』があります。
目録には「文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経」として載っている二巻の経典。
インドの占星術の初歩をまとめたもので、生まれた日の曜日によって、その人の性格や運勢を占う方法が書かれていました。
こうして日・月・火・水・木・金・土という一週間の曜日が、日本に入ってきたのです。
京都大学花山天文台のサイトで公開されている白井正氏の解説によれば、藤原道長の日記『御堂関白記』の長保六年(1004年)2月19日の欄に「日」と記されています。

『紫式部日記絵巻』の藤原道長/wikipediaより引用
ユリウス暦に直すと3月12日で、確かに日曜日。
つまり平安時代から現在まで、千年以上もズレることなく曜日が続いてきたことになります。
もっとも、当時の日曜日は休日ではありません。
曜日は、今でいう大安や仏滅のような、吉凶を占う目安の一つにすぎませんでした。
この『宿曜経』をもとにした占星術は「宿曜道(すくようどう)」と呼ばれ、平安貴族のあいだで盛んに行われます。
『源氏物語』にも、宿曜の占いが光源氏の子どもたちの将来を言い当てる場面が出てきますね。
ただし、空海自身が星の位置を計算して運勢を占った形跡はありません。
『宿曜経』は占星術の初歩を記しただけのもので、本格的な計算方法は、空海のあとに伝わった別の書物によってもたらされました。
インドから来た知識は、星占いだけではありません。
目録には梵字(ぼんじ)、つまりインドの文字で書かれた真言などの資料「四十二部四十四巻」が並んでいます。
空海は長安で密教を学ぶかたわら、梵字や梵語の讃歌(さんか)も身につけていたんですね。
これは個人的な妄想ですが、空海は現代であればギフテッドと呼ばれるような特殊な頭脳の持ち主で、だからこそあらゆることを習得できたのではないでしょうか。
次に書物以外の荷物を見て参りましょう。
空海の荷物にはこんな品が
ここからは、いよいよ品物の話。
『御請来目録』の後半には、空海が師の恵果(けいか)から託された品々が「阿闍梨付嘱物(あじゃりふぞくもつ)」として記されています。

『御請来目録』阿闍梨付嘱物の部分(京都大学貴重資料デジタルアーカイブ)
まずは、恵果から直接授かった5種類の品をご覧ください。
◆恵果から授かった5種類の品
・健陀穀子袈裟(けんだこくしのけさ)一領
→僧侶が身にまとう袈裟
・碧瑠璃供養鋺(へきるりくようわん)二口
→仏前の供え物を盛る青い瑠璃の器(2つ)
・虎珀供養鋺(こはくくようわん)一口
→琥珀で作った供え物の器
・白瑠璃供養椀(はくるりくようわん)一口
→白い瑠璃の供え物の器
・紺瑠璃箸(こんるりのはし)一具
→紺色の瑠璃でできた箸(1膳)
当時の「瑠璃」は、青い宝玉やガラスを指す言葉です。
仏前に供え物をするための器と箸が、色も素材も違う形でそろっていました。
しかも、これは単なる土産物ではなく、恵果から法を受け継いだ証として託された品ですから尊いですね〜!

こちらは正倉院の白瑠璃碗です/wikimedia commons
さらに驚かされるのが、もう一つのグループです。
仏舎利や白螺貝まで
もう一つのグループとは、インドからと伝わるものでした。
◆インドから伝わってきた主な品
・仏舎利(ぶっしゃり)八十粒
→お釈迦様の遺骨として信仰される粒でうち1粒は金色
・刻白檀仏菩薩金剛等像(こくびゃくだんぶつぼさつこんごうとうぞう)一龕
→香木の白檀(びゃくだん)に仏や菩薩を彫り込んだ像
・白緤の曼荼羅(はくせつのまんだら)二種
→白い布に描いた仏の世界の図
・白螺貝(しろらがい)一口
→インドの海にすむ白い巻貝
目録によれば、これらを含む8種類の品は、もともと金剛智(こんごうち)という僧が南インドから唐へ持ってきたものです。
それが不空、恵果と受け継がれ、最後に空海の手に渡りました。
なんだか世界規模での歴史の流れを感じさせます。
このうち白檀の像は、高野山金剛峯寺に伝わる国宝「諸尊仏龕(しょそんぶつがん)」にあたるとされ、空海が身近に置いた「枕本尊」と呼ばれてきました。

諸尊仏龕(金剛峯寺)/wikimedia commons
目録の由来どおりならインドで作られたことになりますが、今日では、唐で7〜8世紀ごろに作られたものとみられています。
最後に白い巻貝に注目です。
京都の東寺に伝わる白螺貝は、研究によってインド西岸やスリランカに生息する巻貝「シャンクガイ」であることが判明し、目録に記された品そのものだと指摘されています。
長さ11.4センチほどの小さな貝でした。
シャンクガイはインド神話でヴィシュヌ神の持ち物とされ、今もインドや東南アジアの法要で使われています。
南インドから唐へ、唐から日本へ――貝までが、海を渡ってきたのです。
曼荼羅や祖師の肖像画
師から託された品のほかに、空海が唐で新しく作ってもらったものもあります。
恵果は、宮廷に仕える絵師の李真(りしん)ら十余人を呼び、胎蔵(たいぞう)と金剛界(こんごうかい)の曼荼羅などを描かせて空海に与えました。

胎蔵界曼荼羅(伝真言院曼荼羅・東寺)/wikimedia commons
目録の中で空海は、密教の教えは奥深く、言葉や文字では伝えにくいが、図画にすれば人々にもわかってもらえる、と書いています。
曼荼羅とは、仏の悟りの世界を一枚の絵に描いたものだったわけです。
目録には、密教を伝えてきた5人の祖師の肖像画も並んでいます。
◆空海が持ち帰った祖師5人の肖像
・金剛智(こんごうち)
・善無畏(ぜんむい)
・不空(ふくう)
・恵果(けいか)
・一行(いちぎょう)
教えだけでなく、それを伝えてきた人々の姿まで、空海は日本に運んできたのです。
恵果は鋳物の職人を呼び、儀式に使う道具も新しく造らせました。

恵果像(真言七祖像・東寺)/wikimedia commons
目録の「道具」の項には、先が五つに分かれた五鈷杵(ごこしょ)、同じ形の取っ手がついた五鈷鈴(ごこれい)、両端がとがった独鈷杵(とっこしょ)など、9種18点が並んでいます。
武器のような形をしていますが、どれも密教の儀式に使う法具。
空海が唐から持ち帰った東寺の国宝「金銅密教法具」(五鈷鈴・五鈷杵・金剛盤)は、今も真言宗で最も重要な法会とされる「後七日御修法(ごしちにちみしほ)」で使われています。
漫画『孔雀王』の世界観ですね!

五鈷鈴(東京国立博物館・重文)/photo by Kakidai wikimedia commons
◆参照:文化遺産オンライン「密教法具〈伝弘法大師将来〉」(文化庁)
筆の作り方や曜日の知識は今の暮らしに生き、白い巻貝や密教法具の一部は、今も寺に伝えられています。
その一方で、冒頭の煎餅やうどんのように、後世の人々が空海の名とともに語り継いできた話も……。
1200年前に唐から帰ってきた一人の僧は、持ち帰った品々と、語り継がれる伝承の両方で、今も私たちのそばにいるのかもしれません。
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参考文献
- 松長有慶『空海 岩波新書』(2022年6月 岩波書店)
- 『歴史読本 2015年2月号 特集「空海と高野山の謎」』(2015年 KADOKAWA)
- 宮崎正勝『知っておきたい「食」の日本史 角川ソフィア文庫』(2009年8月 角川学芸出版)
- 『平安遺文 4327 僧空海請来目録』(専修大学公開)
- 白井正「京都の天文学(2)空海とホロスコープ占星術」(『あすとろん』第2号 2008年)
- 日野楠雄ほか「正倉院宝物特別調査 筆調査報告」(『正倉院紀要』第43号 宮内庁正倉院事務所)
- 『奈良国立博物館だより 第129号』(2024年4月 奈良国立博物館)
- 奈良市「奈良筆」
- 香川県観光協会「滝宮天満宮の魅力に迫る」

