新田義貞の騎馬像

鎌倉・室町

武蔵野合戦「小手指原の戦い」とは? 尊氏よ、父・義貞の恨みを受けよ!

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小手指原の戦い
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ヤケクソになって鎌倉へ これが功を奏し……

義宗は尊氏へ追撃をかけ、日が暮れてきたため断念。はぐれた一族と合流すべく、笛吹峠(現・埼玉県比企郡)に布陣して待つことにしました。

この後、起きたのが笛吹峠の戦いです。

笛吹峠の戦い~新田・上杉を撃破したノリノリモードの尊氏が関東王になる

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一方、兄の義興は300ほどの小勢になっていたものの、尊氏方の仁木頼章・義長と戦闘を繰り広げていました。ニーチャン無謀すぎ。

しかも「このまま帰るのも難しそうだし、いっそ鎌倉を攻めてやれ!」と半ばヤケクソになって鎌倉へ向かっています。

これが功を奏しました。
他の新田方の軍と合流し、まとまった数になったことで、鎌倉を攻め取ることができたのです。義貞が草葉の陰で感涙してそうですね。

ちなみに、このとき鎌倉公方(室町幕府の鎌倉出張所みたいなものの長官)は尊氏の四男・基氏でした。新田方にとっては、二重にも三重にも爽快な出来事だったでしょうね。

当コーナーでは新田家をひいきしておりますので、新田方がこのまま勝ち続けた歴史も見てみたかったな、と思います。

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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
武蔵野合戦/wikipedia
観応の擾乱/wikipedia

 



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