源平合戦の水上戦闘

元寇時の水上戦を描いた日本と元の将兵たち/wikipediaより引用

源平・鎌倉・室町

義経が海戦で活躍できたのは三浦がいたからこそ~水上戦に長けた一族の真骨頂とは

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は“弓”に重きを置いた表現がよく用いられました。

義経が富士山の麓で野武士と競い、最終的に騙し射ちしたり。

頼朝と義経、あるいは義円も含めた兄弟たちが、仲睦まじく弓を引くシーンが幾度かあったり。

当時の武士にとっては「弓馬の道」と称されるほど重要ですので当たり前と言えば当たり前なのですが、実は源平合戦では弓と同様、あるいはそれ以上にポイントとなる存在があります。

船です。

ドラマのオープニングを思い出してください。

本編の殺伐とした世界観を表現するかのように、無表情の武士像たちが刀を構え、尼姿の像が両手を広げ――そんなシーンの中で突如現れる、海一面を覆い尽くすかのような船と、飛び交う弓矢。

おそらく壇ノ浦の戦いを表したもので、いわゆる源平合戦の締めくくりとなりますが、そもそも初戦となった【石橋山の戦い】で敗れた頼朝が安房へ逃げたときに用いられたのも船でした。

そのクライマックスとなるのが源義経の八艘飛び伝説!なワケですが……実は水上戦においては、義経も頼りにせざるを得ない一族がいました。

三浦義澄(佐藤B作さん)と三浦義村(山本耕史さん)が率いていた三浦一族です。

いくら義経が軍略に優れていても、その意を受けて動ける将兵がいなければ意味がなく、その点、三浦一族は船の扱いに長けていました。

では当時の水上戦はどのようにして行われていたのか?

義経や三浦一族と共に当時を振り返ってみましょう。

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船がなければ戦はできぬ

『鎌倉殿の13人』では、序盤から印象的な船のシーンが登場します。

【石橋山の戦い】で大敗した源頼朝が、土肥実平の用意した船で真鶴(現神奈川県)から相模湾へ漕ぎ出し、安房の鋸南町(現千葉県)へ逃れるのです。

現代の真鶴町と鋸南町の直線距離が約63km/GoogleMapより

現在は東京湾フェリーで横断できる海も、当時はおそろしい難所。

劇中ではまるで木の葉のように小舟が波に揺らされ、見ているだけで緊迫感がありました。

よろめきながら頼朝一行が浜辺に到着する様子は、手漕ぎの船で海を渡る苦労を感じさせたものです。

ともかく平家方に敗れた頼朝らが無事に逃げおおせたのも、すべては船があってのこと。

ここで注目したいのが相模に根付いていた三浦一族です。

頼朝らとは別の船で、三浦義澄と和田義盛も安房へ渡っていました。

彼らの祖父となる老将・三浦義明が【衣笠城合戦】において敵(これまた孫の畠山重忠)をひきつける中、栗浜(現・久里浜)にあった船で、三浦一族は落ち延びたのです。

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なぜ彼らに言及するのか?

と申しますと、後の源義経の活躍も、三浦一族あってのことと言えるから。

源平合戦において天才軍略家である源義経も、奥州育ちで水上戦闘には不慣れです。

そのため、船を用いるともなれば、三浦義澄を指名したほどでした。

 


源平合戦における船は小さい

振り返ってみますと、2012年大河『平清盛』でも“宋船”がドラマの見どころとして紹介されておりました。

兎丸という海賊が大きな宋船を乗り、清盛たちが捕らえられてしまい、怒涛の展開が待ち受けてるのです。

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ただ、あの船のイメージは源平合戦においては不要といえるでしょう。

中国大陸との貿易に用いる船は、ジャンク船の構造を取り入れた特殊なものであり、建造費も非常に高くつく。いわば高級船です。

日宋貿易を重視していたあの作品ならではの存在感があり、『おんな城主 直虎』でも再利用されるほどでした。

しかし、あれほど高級でシッカリした作りの船は、日本の水上戦闘ではお目にかかれません。

鎌倉幕府三代将軍・源実朝は、宋へ渡ることが悲願でした。

そのため実際に船も作らせたのですが、計画はうまくいかず、願いが叶うことがないまま暗殺されてしまいます。

よって『鎌倉殿の13人』では、中国大陸を目指すほどの大型船が登場する可能性は低い。

兎丸のような海賊にしても、あれほど大きな船は所有していなかったと考えた方が妥当。

大型船は、あくまで貿易目的だからです。

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では、戦闘用の船はどんなスペックだったのか?

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