気候変動と源平合戦

和田合戦を描いた浮世絵(二代豊国作)/国立国会図書館蔵

源平・鎌倉・室町

平家を驕らせ源平合戦を激化させた「気候変動」腹が減っても戦はする!

過去に起きた事実は不変でも、振り返る時代によって大きく見方が変わるのが歴史。

近年、注目されているのが「気候変動」です。

今年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも、重要な要素の一つになっていて、劇中で主人公たちが「日照り」の話題に触れ、「米が獲れなくなったらどうしよう?」と不安を口にしていました。

そしてそのことが、当時の生活に影響を与えていたことが描かれます。例えば……。

北条義時は木簡の記述から米の収穫量を把握しようとする

・弟の義時から米不足の可能性を聞いた政子は、妹の実衣に「食べる量を減らした方がよい」と告げる

とまぁ、ここまでは日常的な話で済みますが、話題はどんどん物騒になっていく。

・怪しげな僧侶の文覚は髑髏を片手に餓死者が出ると煽る

・米が不足するのは平家のせいだ!と兄の北条宗時が憤る

ドラマをご覧になられていた方は「ハハハッ、お兄ちゃん(宗時)も大げさだなぁw」と思われたでしょうか?

実際、その言葉を聞いた三浦義村は「天候不順と平家の行いは関係ない」と冷静に指摘しています。

しかし、本当にそう言い切れるのか?

確かに、天候不順そのものは人の力でどうにもなりませんが、米が人々の生活基盤である以上、稲作の出来不出来が為政者への不満になるのはむしろ自然なことです。

では、それがどのように影響していったか?

本稿では、源平合戦の背景にあった気候変動を考察してみたいと思います。

 

気候変動は乱世を生み出す

源平合戦の話に入る前に、先例としてお隣・中国を振り返らせていただきます。

例えば『三国志』でおなじみ後漢から魏晋時代は、気候変動の影響を大いに受けていたと考えられます。

秦の始皇帝による中国統一があり、漢が成立、人口は瞬く間に増える。

しかし気候が寒冷化すると収穫量が減り、食料不足に……結果、慢性的な政治不安が生じ、世が乱れていった。

中国での王朝交代には、気候変動が影響を及ぼしていると考えられます。

極寒の三国志 あまりの寒さに曹操が詠んだ詩が凍えるほどに面白い

続きを見る

もちろんこうした傾向は日本にも当てはまります。

平将門藤原純友が反乱を起こした【承平天慶の乱】の時代、平安中期にあたる10世紀半ばもそうです。

平将門の乱
平将門の乱はいつどこでナゼ起きた?首塚伝説を含めてスッキリまとめ

続きを見る

藤原純友の乱
海賊と共に暴れ回った藤原純友の乱~なぜ貴族が瀬戸内海で略奪行為を?

続きを見る

およそ千年ぶりの温暖化と大干ばつが勃発。

穀物の不作による社会変動が生じて、耕作を放棄した土地が生まれました。

こうした土地管理のためにも荘園制度がさらに発達し、新たな社会秩序が進んでいくと、中央では【保元の乱】や【平治の乱】が起こります。

二度の戦いで勝利を収めた武士の代表が平清盛です。

平清盛
史実の平清盛は権力坊主ではなく有能な政治家?鎌倉殿の13人松平健

続きを見る

この頃の清盛は運にも恵まれていたのでしょう。

平家が頂点へ上り詰めてゆく1160年代、日本の気候は稲作にとって有利な温暖化を迎え、【豊作】とそれに伴う好景気という状況が生み出されてゆきます。

温暖な気候により、田畑の収穫が増大。

人々の暮らしは向上し、平家にも財産が蓄えられていったのです。

具体的には

・皇族との婚姻関係締結

・寺社仏閣の造営

福原遷都

日宋貿易の活発化

といった事績があり、後世に「驕る平家は久しからず」という言葉が生まれました。

まるで日本の80年代、いわゆるバブル経済ですが、『平家物語』等の描写でも、平家の人々がいかに尊大で驕り高ぶっていたかわかります。

しかし、調子に乗っていたのは平家だけだったのでしょうか?

 

驕っていたのは平家だけ?

温暖化で好景気の時代。

恩恵を受けたのは平家だけでなく、庶民も同様です。

食料が豊富で、金銭に余裕があれば、ささやかな贅沢を楽しむようになります。

別に高価なものを買い漁るワケでもありません。

庶民の最も身近な贅沢といえば、子供を増やすこと。

貧しいから諦めていた子供を産んでもよいのではないか。よし、そのためには結婚しよう。再婚しよう。どうせなら若い妻をもらってしまおう!

人々がそう考えることにより、人口は増大してゆきます。しかし……。

そんな思い知ったこっちゃないというのが気候であり自然の怖さ。

1170年代になると温暖化の時代に終わりを告げ、再び寒冷化に襲われ始めたのです。

生活レベルを上げていたのに、持続できなくなっていく――現代で言えば無理して購入したマンションの住宅ローンを払えなくなっていくような層も出てきました。

問題は、その段階で平家が対策を打てなかったことでしょう。

現代のように広く統計を取れるワケでもないので仕方ありませんが、平家は、状況に応じた政権運営プランの変更ができませんでした。

例えば貿易促進のための大輪田泊整備も続けるしかない。

1175年――大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は、そんな時代から話が始まっています。

注意深く見ていくと、驕っているのは平家だけでなく、坂東武者もそうだったという姿が見えてきます。

北条時政は第1話の時点で、若妻であるりく(牧の方)を娶っていました。

彼女との再婚話を子供たちに打ち明けたとき、政子などの反応から、すでに十分な数の子供がいるにも関わらず、再婚したことがわかります。

しかも相手は若い!

まだまだ子を増やすつもりである時政からは、好景気が見て取れます。

しかも、りくは京育ちであり、政子のように働くつもりはなく、美しく、子を産むだけの妻。

当時の坂東武者にとっては、非常に贅沢な存在でした。

りく(牧の方)
史実のりく牧の方(時政の後妻)は悪女か否か?鎌倉殿の13人宮沢りえ

続きを見る

 

平家は女や馬を奪う

再び兄の北条宗時にも注目。

彼は平家の横暴に怒っていましたが、その理由が「やつらは女や馬を奪う」というものでした。

女にせよ、馬にせよ、武士として保有するとなれば維持費がかかります。

生活に余裕がなければ、いくら極悪非道な連中だとしても攫ったりはしません。

つまり、平家に味方する連中がリッチな暮らしを手に入れていた。

宗時の怒りはそこへ向いていた。

一方で、弟の北条義時は、主人公らしく平家の横暴に憤るかと思えば、実際はそうでもなく「割と穏やかに暮らせているんだけどな」と考えています。

米の収穫計算を楽しむような義時の性格が表れていますよね。

木簡
義時が手にした木簡が想像以上に重要な理由とは?鎌倉殿の13人考察

続きを見る

当時の人々は気候変動の科学など知りません。

ゆえに、平家が政権を取って、暮らしが上向きになったなぁ……と考えていても全くおかしくはないのです。

そういう意識の差や温度差が、『鎌倉殿の13人』序盤には流れていました。

「別にいいじゃねえか。そこそこいい暮らしできてるし。不満はねえなぁ」

そう思ってしまう人もいる。その一方で、

「けしからん、平家の連中ばかりがうまい汁を吸っているんだ!」

と不公平を感じてしまう層もいる。

平家は平家で、政権をより盤石にするため、皇族との結婚や貿易整備を進めます。

しかし、そこへキッカケとなる一撃が入ります。

以仁王の令旨です。

気候変動によって生活水準の衰えが見え、不満という燃料が静かに溜まってきた時代。

令旨という火種が社会に投げ込まれ、平家滅亡への道が始まるのです。

※続きは【次のページへ】をclick!

次のページへ >



-源平・鎌倉・室町
-

×