前九年の役

『前九年合戦絵巻』鎮守府将軍の源頼義と、その息子・源義家が共に参戦/国立国会図書館蔵

源平・鎌倉・室町

前九年の役で台頭する源氏! 源頼義と源義家の親子が東北で足場を固める

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戦術に優れていても人間関係が

いざ戦いが始まってからの頼義は、武士らしさとトンチンカンなところが併存していて、優秀なのかダメダメなのかよくわからん感じです……。

「アナタの娘婿の平永衡さん、ハデな兜を使ってますよね? アレ、敵と通じてる証拠ですよ^^」

そんな讒言を鵜呑みにして永衡を斬ってしまったり、そのせいで同じ娘婿だった藤原経清が安倍氏に寝返ってしまったり。

このようにグダグダしているかと思えば、「戦況が良くないから、ここは敵の一部を寝返らせよう」と策を講じ、見事に成功させていたり。

”戦術は得意なのに人間関係がドタバタ”っていうのは、ある意味、源氏のお家芸なんですかね。

一方、味方に裏切られた安倍氏は大慌て。

頼時は裏切った人々を何とかして引き戻そうとしましたが、伏兵に深手を負わされ、本拠に戻る直前に亡くなりました。

ちなみに、このころ頼時が本拠としていたのは衣川近辺だったといわれています。

後々、源義経が最期を迎える戦いが起こるところの近所ですね。

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この辺を本拠にすると源氏の本筋に負けるんでしょうか。

ただの偶然といえば偶然ですけれども、こういう一致って面白いですよね。

 


長男・義家は部下五人を引き連れ命からがら

さて、総大将があっけなく亡くなってしまった安倍氏側は、貞任を旗頭にして戦いを続けます。

前述の通り、頼義部下の妹と結婚しようとしてフラれた人です。

安倍軍4000と頼義軍2500。

両軍は、黄海(きのみ・岩手県一関市藤沢町黄海)付近でぶつかり合いました。

安倍軍のほうが数で勝る上、既に季節は冬に入っていたため、頼義軍は圧倒的に不利。

ものの見事に負け、頼義と長男・義家は部下五人を引き連れ、命からがら逃げたといわれています。

先の系図通り、源義家は、源頼朝などの直接の祖先として有名な人ですが。

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伊豆に流された頼朝といい、九州へ敗走した尊氏といい、伊賀越をした家康(一応源氏設定)といい、やっぱり源氏の棟梁は一度は死にものぐるいで逃げないといけないんでしょうか。

こうしてトップの代替わりという危機を乗り越えた安倍氏は、勢力を拡大し、独自の税を徴収するなどして、再び独立色を強めました。

地元で兵を補いたい頼義にとっては「ぐぬぬ」どころではありません。

 


いつしか築き上げられた棟梁イメージ

頼義は関東・東海・近畿という超広範囲の武士に呼びかけ、兵をかき集めます。

発想の転換がスゴイですね。

そのヤル気が買われたのか。

頼義の代わりの陸奥守として高階経重(たかしなのつねしげ)という公家がやってきても、兵たちは「いや、俺らの頭は頼義サンなんで」と従わなかったそうです。

ついでにいうと、朝廷でも「そんな事情なら仕方ないね」とあっさり受け入れ、頼義を再度陸奥守に任じています。

わざわざ現地へ下っていった経重が可哀想すぎやしませんかね……。その後どうしたのかも不明ですし。

頼義はさらに、出羽(現・秋田県)の豪族である清原氏を味方につけ、兵を送ってもらうことに成功します。

頼義の兵が3000、朝廷軍としては1万ほどだったそうですから、おおよそ7000ほどは清原氏の力で集めたことに……。

こうして朝廷軍が圧倒的有利になると、各所の戦いで勝利を収め、貞任も捕まって頼義のもとへ連れてこられました。

が、かなりの深手を負っており、頼義を一瞥して息絶えたといわれています。なんだか呪われそうだわ……。

これが【前九年の役】です。

源頼義はその後、陸奥守を続けることはできず、各地を転々とすることになりますが、この一連の活躍により武士としての信頼を大いに獲得。

後に、源氏の後継者たちが「ウチのご先祖様は東国を平らげたんだぞ!」と威張ることのできる礎を築いたのでありました。

「アレ? 最後に勝てたのって清原氏のおかげじゃね?」

という気もしますが、まぁ、いつの世も一番大切なのはやっぱりリーダーですしね。

武士の棟梁は源氏――。

そんなイメージ戦略を最初から意識して作り上げたんだとしたら電通もビックリな策士ですな。


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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
関幸彦『東北の争乱と奥州合戦―「日本国」の成立 (戦争の日本史)』(→amazon
福田豊彦/関幸彦『源平合戦事典』(→amazon
前九年の役/Wikipedia

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