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週刊武春 災害・事故

帰雲城の下に埋蔵金がザックザク? 天正大地震で山が崩壊 一晩で消えた飛騨の城にお宝伝説

更新日:

1月3日の午後6時から、TBSでバミューダトライアングルで沈没船の埋蔵金を発見したという番組が放送されました。この手の番組でありがちな何時間も引っ張って最後はなにもでなかったというオチではなく、実際に発見されたようです。
埋蔵金伝説には日本でも、徳川埋蔵金のような有名なものを含めて数々の埋蔵金伝説というのが世の中には存在しているわけであります。

その一つとして、世界遺産の白川郷のある岐阜県の飛騨地方にいた戦国武将内ヶ島氏の帰雲城の埋蔵金伝説が存在しています。

帰雲城(白川村保木脇)は実際に、戦国時代の天正一三年(1585年)の大地震の地滑りによって完全に地中に消えた、標高1622メートルの山の上にあった城跡です。今は高さ350メートルもの土砂崩壊した地層の下に眠っています。

白川郷観光情報より

一説には5兆円規模もあるのではないかというほどの規模が眠っているといわれています。

なんとも夢のある話ではありますが、その真偽については現代でも明らかではありません。

今回は、帰雲城の埋蔵金伝説について紹介と考察していきたいと思います。

 

埋蔵金伝説の発端は白川郷の民話

この埋蔵金の伝説には、白川郷に伝わる民話がもとになっているといわれています。

その伝承とは「白山の権現様のたたり」という民話です。

重要な部分を要約すると

ある日猟師がクマを追いかけていると、猟師が昼休み中に偶然見つけた大きな岩のあたりに金の仏像があったといわれており、それを猟師が、後日近くの城主にクマの皮を献上する際に仏像の件について報告しました。

城主はさっそく家来を連れて行って金の仏像をとってきたのであります。

その仏像を入手した後、金を溶かしてしまおうとしたそうですが七日七晩かけても全く溶けなかったので、ついに怒った城主たちは腹を立てて川に投げこんでしまったところ地震が起こり山崩れが発生いたしました。

その後、溝折(みぞれ)というところにある川の底に光るものがあったので出してみると金の仏像がそこにあったので、これは白山権現様のたたりであるという風に言われ始めました。

その怒りを納めてもらうために、白山にある岩穴に安置したというものであります。

この話からすると、金の仏像があるというのは、このあたりに金山があったのではないかという話から、このような埋蔵金伝説になったのではとなっています。

また、一説によると、足利義政の命によって、15世紀後半にこの地に来た内ヶ島氏の祖先はある時期に西飛騨一帯の銀の鉱山奉行をしていたという話があります。(ただし、詳しい家系がわからないため確定はできないとのことです)

そこでとれた銀を京都の銀閣寺建立の際に献上したり、帰雲城の城門も金で造られたりしたといわれています。

 

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鉱山所有の史料はあるのか

では、実際に鉱山所有したことや金が産出していた事実あったのでしょうか?

筆者自身、郷土資料などを何件か探索させていただいたが、直接的な証拠となる資料は見つけられなかった。確かに、記録に残すと秘密が漏れてしまう危険性があり、産出量や場所は明かせないという理由はるだろうが、明確な資料がない以上、単なる期待だけと見えてしまいます。

また、あったとしても帰雲城が既に土の中でその資料もともに埋まっているということもあるかもしれません。

直接証拠がないとなると、色々な事情から推察していく必要がでてきます。

そこで、当時の飛騨の状況などを調べつつ、そのあたりについてさらに考察を加えていきます。

 

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飛騨に点在する金山や銀山は江戸時代以降?

飛騨には、かなりの数の金山や銀山が存在していたのは間違いありません。

内ヶ島氏の領内でもかつて金山や銀山があったと見られます。

たとえば、白川郷の西には横谷銀山、東には天生(あもう)金山、荘川村には落部金山、上滝金山など、かつての所領内付近に江戸時代などの鉱山があったことが記録されています。

ただし、これらの記録が確認されているのは、のちの金森長近の時代であって、内ヶ島氏が治めていた当時の記録ではありません。地震の前に金山・銀山の場所を秀吉や金森長近が教えてもらったという話もありません。

 

 小大名の内ヶ島氏に不釣り合いな豊かな白川郷

また、飛騨の山奥でほとんど領土を持っていない小大名である一族がなぜ地震まで繁栄したのかも鍵を握ります。

白川郷はコメなどの生産などに頼れるような状況にはありません。

しかし、この地域にはなんと寺院が7,8箇所も存在していたのです。さらに帰雲城や荻町城、向牧戸城と、狭い領国内に3つも城があったことが確認されています。

さらに、真宗(一向宗)の本願寺への貢物について、飛騨地方の諸勢力が金品を上納した記録があります。その中で、内ヶ島氏はかなりの金銭を上納し、回数も多かったようです。(1525年から1548年までの間に9回で、主に金銭だったという)

そのほかの勢力は、同時期に金銭ではなく、庖丁や漆で塗ってある盃などで、頻度も少なかったのです。

本願寺と内ヶ島氏とは良好な関係でした。白山をこえたすぐ北に加賀、越前の一向一揆がいました。

ただ、かつて、本願寺と争いを起こしていたこともありました。

その時、一度は本願寺に敗れながらも、相手が勝利に油断して酒盛りをしているところを逆襲して内ヶ島氏は勝利を収めていたのです。その後、和睦となりましたが、その使者として、時の浄土真宗の法王である蓮如が自ら和睦の使者として接触してきたのです。

和睦の理由には、加賀や越中から近畿の本願寺を結ぶルートとして、この地を何とか掌握したかったとされています。

当時の本願寺は北陸では独立した国(加賀は百姓の持ちたる国)でしたので、蓮如自らが出てくるほど気を使う必要もなかったかもしれません。実際、その加賀では大名の富樫氏が一向宗に滅ぼされているわけです。だが、それをせず同盟を結んで決着をつけたのです。

歴史の研究者は、どうも本願寺側のほうが妙に気を使っていたような感じだと、当時の文書類から評価しています。そして、その関係は織田信長が台頭するまでの80年ほど続いたとされています。

こうして、巨大な本願寺と対等な同盟を結べたのも、帰雲城の金銀がものを言っていた面があるというわけです。

 

秀吉に対抗して、降伏したのちの所領安堵の謎

信長の死後に、秀吉VS家康の小牧長久手の戦いが起き、各地で秀吉派と反秀吉派の争いが起きました。

飛騨でも、秀吉方の金森長近が越前から侵攻してきました。内ヶ島氏は、家康側の佐々成政と組んで対抗したのですが、成政も秀吉に降伏したり、領民や家臣の裏切りなどによって自身も降伏せざるをえなくなりました。

しかし、反抗したにもかかわらず、小大名の内ヶ島氏は、秀吉から所領のほとんどを安堵されたのです。(飛騨全体は金森の領国となりましたが)

何か特別な裏取引によって、多数の金銀が上納されたためではないかという推測が働くのです。仮に、裏で大量の金銀を上納したとしても、金銀があったとすれば相当量は城の中にまだあったことでしょう。

状況証拠では埋蔵金は「あり」。しかし掘り出すことは不可能。

このように、いろいろな資料を見渡してみると、埋蔵金があるのではないかと思ってしまいます。突然の大地震だったからこそ、城の中には相当程度の金銀があるという話も出てくるのも不思議ではありません。

ただし、この埋蔵金を発掘しようという話は、城の正確な位置すらつかめておらず、費用もばかにならない、なにより危険だということでほとんど発掘が行われていないまま放置されているのが現状です。

明確な資料が乏しいとはいえ、下手な埋蔵金伝説なんかよりは信憑性もかなり高いとの結論に私自身は至ったのです。

いつの日か、この埋蔵金伝説の解明がされる日は来るのでしょうか。

若年寄・記

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参考文献

新編 白川郷史 上巻 白川村史編纂委員会編集

消えた戦国武将 帰雲城と内ヶ島氏理  加来 耕三

帰雲城と内ヶ嶋氏に関する資料 総集編 白川郷埋没帰雲城調査会

帰雲城燃ゆ 白川郷・騎馬軍団と埋蔵金秘話 生駒 忠一郎

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