藤原道長が甥の藤原伊周を超え、ついに内覧できる右大臣となりました。
公卿の頂点に立った道長に、帝は、関白になりたいのかと尋ねます。
「なりたくはございません」
道長が断言するその理由は次のものでした。
関白は陣定に出ることができない。道長としては公卿の意見を知りたい。ゆえに関白にはなりたくない――。
たとえ関白になっても、陣定の内容は後から聞くことができるではないか。そう帝が指摘しても、道長としては公卿の思いを直接聞いて、共に考えながらでなければ補佐役は務まらないとのこと。
これまでの関白とはずいぶん異なると驚く帝に対し、道長は今までとは異なる道を歩みたいと決意を述べます。
こう見てくると、道長は清新な政治を行いたいように思えます。
兄・道隆の政治が「独裁」とされたのは、道長との対比のための前振りだったのでしょう。
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茫洋たる大器
道長の政治スタイルは、当人にとっての特技をふまえたものでもあったのでしょう。
人間の性格には向き不向きがあります。
例えば藤原公任や藤原実資ならば、余計な意見は聞かず、過去の事例やら漢籍でも紐解いて決められるかもしれない。
道隆はそういう特技はないのに、独裁を進めてしまいました。
一方、道長はコミュニケーションが得意であり、自分の思う通りに空気を作りやすい。
ただ流されているだけかもしれないのに、道長と同じ場にいたものは「まぁ、俺も賛成したっけな……」と自分の意思があったかのように思ってしまう。
そうなれば独裁体制より、話は進めやすくなるでしょう。
中国文学ですと、『三国志演義』の劉備、『水滸伝』の宋江、『西遊記』の玄奘がこの手のタイプとされます。
突出して能力があるわけではない人間が上に立つと、下にいる者たちは動きやすくなる。一種の理想的なタイプとされます。
この道長は、能力値において何か突出しているものはなく、上に立つにはちょうどよいゆるさがあります。
どこまで善良なのか。政治的な美学があるのか。これもちょっと未知数。柄本佑さんだからこの茫洋とした器が出せるのだと思います。
彼は、善悪正邪、どこへに転ぶのかがわかりません。
白居易『新楽府』に政の喜びを見出す
まひろは漢籍を写しております。
念願の白居易『新楽府』を手にしたのだとかで、どことなく嬉しそうにしいている。
と、いとが「そんなに楽しいのか」とつっこむ。
政のことが書かれている点がよいそうです。
これはまひろの読解力でしょう。
白居易の人気は平易かつ甘い作風にあったとされます。そんなスイートな魅力でなく、政を見出しているまひろの視点が渋い。
いとにとっては、そうした姿がもどかしいようで、政のことなど若様(惟規)に任せて婿を取ることを勧めてくる。清水寺に参拝したらどうかとまで付け加えてきた。
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すると、肥前のさわから文が届きました。
彼女は婿を取ったそうで、それを喜ぶまひろ、また出遅れたとため息をつくいと。
それにしても、道長にもあてはまることですが、この作品は紫式部の性格のおける欠点をどうするのか気になってしまいます。
『源氏物語』にせよ『紫式部日記』にせよ、本作のさわや清少納言がそれらを読んだら、怒りそうな描写があると思えます。
さわの選択肢は極めて現実的でまっとうです。しかし、『源氏物語』には大夫監(たゆうのげん)という、肥後のオラつき脂ぎった男が出てくるんですよね。
さわは肥後ではなく肥前ですが、そんな田舎男ってどうなのか?と思いかねないのでは……と心配になってしまいます。特に清少納言はどうなるのやら。
民を救うことこそ上に立つ者の使命
藤原道長のもとに、義兄の源俊賢が帝の意向を伝えにきました。
なんでも「伯耆と石見の租税を4分の1免除せよ」とのことで、道長はさすがだと感心しています。
藤原斉信がどうするのか?と問うと、無論同意すると道長。
帝は民を思う心があってこそ、帝たり得るとのことですが、斉信は不安がっています。税収が減るわけで、陣定が大荒れになるとぼやくのです。
さて、その陣定では、公卿たちが流されてゆく様が見えます。
ずらりと並んだ公卿のうち、政策として「よい!」と確信を持って賛同しているのは、実資と公任ぐらいのように思えます。
短い場面で、これだけで聡明さが際立つこの二人はやはりものが違う。
実資の目に光がキラッと輝く。公任は白い顔そのものがふっと浮き上がるように見える。知性の光があります。
隆家はむすっとして反対しているのだけれども、理由を滔々と語れません。
伊周は論陣を貼ります。
二カ国を認めてしまえば、それだけにはおさまらない。他の国も減税を申し出るであろう。税収を減らすことは朝廷のためにならぬとして、民に施しは不要だと断言しています。
この展開は、現在にまで通じる税の話になって興味深いですね。
コロナ禍などの苦難に際してどこまで支援するか、減税するか。そんな議論も思い出します。
道長がこのあと、疫病に苦しむ民を救うのは上に立つものの使命だと返します。
実資も、公任も、これには納得。道長は皆の意見を伝えると言い、他の意見がなければこれまでとすると締めます。
道長は、実資と公任ほど、自分の理論に自信がないのかもしれません。
自分の意見を披露して、この二人が納得していればよしとする。そう反応を見たいからこそ、関白になりたくないのかもしれません。
その謙虚さがいつまで続くのか。気になるところではありますが。
すると、退出しようとする道長を止め、藤原伊周が突っかかってきました。
「道隆を呪詛したのは右大臣か」
「ありえぬ」と即座に否定する道長に対し、伊周は「まて!」と呼び止め、さらに続けます。
自分の姉である女院(藤原詮子)を動かし、帝をたぶらかし、中宮を邪魔するのはやめろ――と、道長は身をかわし、伊周を倒して去ってゆく。
隆家が駆け寄り、公任は驚いた顔でこの騒ぎを見ているのでした。
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