青天を衝け感想あらすじ

青天を衝け第15回 感想あらすじレビュー「篤太夫、薩摩潜入」

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青天を衝け第15回感想あらすじレビュー
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水戸藩の大砲 その哀しきスペック

水戸藩は攘夷をアピールし、斉昭肝いりで大砲をこさえました。

しかし、ヘロヘロと砲弾がとび、ボトリと落ちて使い物にならない。

要するにパフォーマンスですね。

大砲の材料にすると廃仏毀釈を先んじて実行し、梵鐘やら仏像で大砲をつくったと。

アピールばかり考え、アンチを潰すために大義を利用する。そういうことをすると失敗する。なんだかワクチン予約システムを彷彿とさせます。

 

栄一と攘夷フレンズのおかしれぇ暗殺ライフ

このドラマはガイドブックの宣伝等でも「攘夷志士になる!」と持ち上げています。

「京都で攘夷をするぞぉ!」

そう元気な栄一ですが、活動内容がわかりませんよね。

「きっと栄一は理論よりも体を動かしたり、みんなを幸せにすることが好きなんだね!」

「これも青春だよね!」

そういう現代学園もの感覚で鑑賞しちゃっている方も多そうです。

当たり前ですが、現代人と志士のメンタリティはまるで違います。私は志士に憧れる気持ちなんかこれっぽっちもありゃしません。

文久2年から3年(1863年)にかけて、鈴木重胤と塙忠宝という人物が暗殺されました。

なんでも廃位の事例を調べていたことが原因らしい。孝明天皇を廃位するつもりか!といきりたった攘夷志士の犯行とみなされております。

実はこのミステリについて、栄一が重大証言をしておりWikipediaにも掲載されています。ちょっと見てみますと……。

塙忠宝
暗殺

忠宝を暗殺した襲撃者については、伊藤博文と山尾庸三であると言われる。

渋沢栄一が大正10年(1921年)、忠宝六十年祭に出席した際にそのことを明らかにしており、田中光顕が伊藤本人から聞いた暗殺時の話も記録されている。

初代伊藤痴遊がこの暗殺事件について伊藤博文本人に問いただしたところ、「我輩は、よく知らんよ」と博文は返したものの、痴遊は「然しその態度や口振りから考えて言外の意味は読むことが出来た」としている。

シーボルトの長男アレクサンダーは1882年3月21日の日記に、当時ドイツのベルリン滞在中であった伊藤博文本人から聞いた、文久2年に「H」という学者を暗殺した際の述懐を記している。

実はこの時、別の標的もおりました。

中村正直です。

命令者:藤田小四郎

実行者:薄井龍之

薄井が乗り込んだところ、その母親が「そのようなことがあれば私が我が子を成敗します! 殺されるほどのことをしたのかどうかお調べください!」と言い返します。

それを聞いた薄井は「まぁそれもそうかも……」と襲撃を断念したのでした。

中村は明治まで生き延び、さまざまな功績を残しています。

殺されてしまった人だって、生きていればきっといろいろなことができたでしょう。

そのことを藤田に報告すると、彼は笑い飛ばしました。

「天誅を施すのにその場で判断できねえとは、それでも志士かテメエはよォ〜」

これを漫画のセリフでいくと、こんなところです。

「ブッ殺す」と心の中で思ったならッ!その時スデに行動は終わっているんだッ!」

そんなプロシュート兄貴『ジョジョ』5部なら主人公でなく暗殺者チーム側を持ち上げているわけです。

栄一と小四郎は友達です。

それに、なぜ塙忠宝について栄一が知っているのか。

栄一の顔グラがよかろうと、そういう性格の人物だということでしょう。

薄井は、北海道一の歓楽街「薄野(すすきの)」という地名の元にもなった人です。

どうせなら伊藤博文と渋沢栄一をもっと絡めて出せば話題騒然だったでしょうね。なんせ伊藤は「売淫国の棟梁」だの「マントヒヒ侯」だの呼ばれたほどで、世間も明治天皇も呆れたほどです。

現代であれば「武州のドン・ファン」と呼びたくなるほど遊び好きの渋沢栄一とは、さぞかし馬が合うでしょう。

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さて、ここで問いかけたい。

あなたはプロシュート兄貴みたいな人物、要はギャングスターに憧れませんよね?

それで正解ですし、ならば本作の栄一に共感したらまずい。

「ぐるぐるする!」だの「おかしれぇって感じだ!」だの「ゾッととする」だの。笑顔で殺人謀議しているようなものです。

『麒麟がくる』の信長がサイコパス扱いをされていましたが、私は栄一の方が恐ろしい。

 

兵農分離が崩れる幕末

今回、ノリノリでスカウトに旅立った栄一と喜作。

渋沢栄一とは何者か?を語るうえで重要な行動と言えます。

幕末関東では武士と農民の壁が薄くなっていた。その象徴として語られる人物が栄一なのです。

へぇ〜かっこいい!……と思えるかどうかは要注意です。

泰平の世に慣れ切った旗本や御家人は、刀の握り方もわかっちゃいない。

福沢諭吉がそう皮肉った通り、将軍様のお膝元が戦力として注視していたのが農兵でした。

江戸城無血開城前、勝海舟が幻の江戸決戦切り札として声をかけていたのは、新門辰五郎親分のもとで息巻く火消し、侠客の類でした。

こうした新門親分と仲間達をルーツにもつ組織が現在も東京都浅草に……これから先は各自お調べください。

新門辰五郎
偉大なる親分・新門辰五郎~慶喜に愛された火消しと娘・芳の生涯

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幕末に、兵農分離は終わっていました。

あの玉木宏さんが演じた高島秋帆も、農兵を鍛錬していた経歴があります。

幕末関東は治安が悪化しており、農兵をどう組織するかがポイント。

これは幕末でありがちな誤解なのですが……

奇兵隊みたいに農民でも兵士にした長州藩スゴイ!」

ですね。

長州藩以外でも、奇兵隊のような農兵組織はあります。長州藩が身分差別をしなかったとは到底言えません。

これまた松下村塾生がクローズアップされますが、維新元勲だって明倫館のこともルーツとして誇っていました。

話を長州から戻します。

幕末の農兵は、広範囲にわたった。

会津藩は武士と農民が連携していなかったような誇張もありますが、そう単純なことでもない。

奇兵隊ばかりが注目されがちなのは、誇張と彼らが維新の勝利者であるから。

維新の原動力は薩長の斬新な考え方である――という見方はもう古い神話じみたもので、実際はもっと複雑です。

農兵をスカウトした栄一スゴイ!ともならないでしょう。

ご存知の通り、関東の農兵は勝利に貢献しません。

それどころか天狗党の乱では、天狗党の襲撃に対して反撃し、事態を泥沼化させています。

戊辰戦争は武士階級だけの戦争であったか?

そうではありません。武士以外が無視されたに過ぎません。

これを踏まえると、栄一のような農兵スカウトは、死神のようなものであった。ましてや栄一は攘夷を忘れないと誓っている。

関東からスカウトして、目的は攘夷というヘイト由来のテロリズムを目指していた――身も蓋もない言い方をすればそういうことです。

それに栄一が戊辰戦争を戦えばまだよいのですが……喜作と違って彼はそうしない。

やはり大河にはそもそも不向きなのです。

武士としての生き様なら土方歳三ら新選組に遠く及ばない。

栄一の物語なんて、かつての日本人にとってはシラケきる、つまらないものでしかなかったから大河化されなかった。

例えば初期には『三姉妹』という作品がありました。

栄一みたいな「武州のドン・ファン」より、敗者側だった姉妹の生き方の方が当時は受けいれやすかったのでしょう。

 

松平容保にとっての慶喜は理想の上司か?

「慶喜が認める会津藩も留任だ! やったね!」

そうなりそうですが、会津藩がどんだけ苦労したか、ご存知ない方も多そうです。

本来、京都守護は彦根藩が担っておりました。

それが水戸藩士らが自分たちの言い分を強行するようにして井伊直弼を暗殺し、空白が生じた。そこで慶喜と松平春嶽は、律儀な会津藩に対して強引に押し付けたのです。

会津藩は地理的に遠い。裕福でもない。とてつもない負担でした。あまりに長期間男手が欠けたせいで、国元も大変な苦労を味わいます。

家臣たちもあまりに孝明天皇に接近しすぎること、重すぎる負担を懸念するものの、真面目な容保は断れません。

そういう忠義心でガチガチに縛っておいて、鳥羽・伏見の戦いで負けると、さっさと逃げ出した慶喜。

その行為に当時の会津藩士は絶望しました。

負傷して江戸城に運び込まれた会津藩士は、公方様のために戦ってきたのにどうしてこんな目にあったのかと慶喜を問い詰めた話があります。

このときはさしもの慶喜も無言、周囲は胸が潰れそうな思いで見守っていたのです。

利用できるときはさんざん利用し、いざとなったら捨てる。事実だけを見れば、それが慶喜のやったことであり、大久保利通は「アホかよ」と呆れ返っていたと伝わります。

いや、それ以外も大勢がそうでした。いくらドラマでイケメンだろうがなんだろうが、慶喜はそういう日本史上屈指の無責任男です。

松平容保の政治判断の甘さは指摘されるところです。

しかし、彼は幼い頃から体が弱く、京都でも何度も体調を崩しています。激務でますます悪化してゆく。

そんなストレスの溜まった状態かつ生真面目な性格では、判断力も落ちるでしょう。

会津藩の旧弊だのなんだの指摘されるところではあります。そういう反省点を『八重の桜』では取り上げてもいる。

でも……根本的なことも考えてほしい。

真面目で病弱な会津藩に、激務を押し付けたパワハラ無責任慶喜のことを。

身体頑丈で無神経な栄一にとっては理想の上司でも、容保からすれば最低最悪です。

容保がそう言わないのは彼の生真面目さゆえ。

そんな主君にかわって、家老・山川浩(と弟・健次郎)が『京都守護職始末』で批判しました。

山川浩&山川健次郎&捨松たちの覚悟を見よ!賊軍会津が文武でリベンジ

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『青天を衝け』は佐幕派大河か?

本作が佐幕派なのかどうか。

今さら何いってんの? 最後の将軍とその家臣だからそうでしょ!

と思われるかもしれませんが、これがなかなか歴史学の上でもホットな話題です。

明治維新を成し遂げたのは、薩長土肥。けれども、イデオロギー的な根源は水戸藩にあった。

その水戸藩が、維新の際に誰も人材を送り込めなかったのは、内戦で疲弊しまくったからです。

ゆえに、会津藩の立場に同情的な方でも慶喜のことは褒めない。むしろ斉昭、東湖、そして慶喜は【なんてことしてくれたんだ枠】です。

斉昭と東湖コンビがガソリンを撒いて、慶喜がマッチを投げ込んで去ってゆく構図ですね。

この手の【味方のフリをして背中を刺す枠】は、歴史的に見て最も嫌われます。

古今東西当たり前でしょう。

小早川秀秋石田三成を同列に並べて「西軍同士だね!」というようなもの。

ひるがえって本作は無茶苦茶です。

栄一と慶喜を持ち上げたいあまり、

「負ける側だけど、心情的には維新に近いから♪」

とやらかす。

だから栄一が西郷どんとも仲良しになる。ひどい裏切りではないでしょうか。

栄一は賢いと言いたいのかもしれませんが、忠誠心も何もあったものじゃなく、流されてホイホイと動き回る人間性が浮かび上がる。

彼がヘラヘラした顔でしれっと嘘をつく様も散々出てきますが、ノリだけで生きるゲスい姿を見せられている印象です。

栄一と慶喜って、現代ならば特権でワクチンを接種して「俺らまじパネェ!」と高級寿司店で会食しているようなものですよ。そういう人間に同調などできないでしょう。

史実でそういう人がいた。幕末ならば多くの混乱があった。それはそれでよい。

しかし、そういうヘラヘラと時流に乗っかったような人間を、かつての日本人はおいそれとは褒めなかった。

そういう先祖の記憶を忘れてしまい、出てきた結果が今年の大河のように見えてなりません。

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