青天を衝け感想あらすじ

青天を衝け第39回 感想あらすじレビュー「栄一と戦争」

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青天を衝け第39回感想あらすじレビュー
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「講和しないと破滅する」

日露戦争がハキハキとしたセリフで説明されます。

バルチック艦隊撃破もセリフ処理。

外国人がわざとらしく日本人のことをウダウダと話し、ルーズベルトも日本人形相手に話しています。

この人形もあざとい伏線ですね。来週、日米で送り合うところを流すのでしょう。

そして小村寿太郎が出てきました。

岩瀬忠震川路聖謨栗本鋤雲たち、幕臣たちだけでなく陸奥宗光の外交努力も消されましたが、さすがに小村までは消しきれなかったようです。

伊藤博文がかっこつけた口調で「講和しないと破滅する」と言います。

真実味ゼロ。本当に破滅を恐れた人間が、こんな乙女ゲーのPR動画のような口調で、明るくかっこよく言えるワケないでしょ。

言葉自体が悲惨な内容でも、態度が余裕綽々じゃん!

そしてポーツマス条約が調印され、暴動が起きたと描かれます。

国家予算の六倍を使ったのに、賠償が取れず、みんな怒り出した。

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これを契機に日本は厳しい言論統制が敷かれます。

それにしても、渋沢栄一がとてつもないマヌケに見えてきました。

投げ文されたと嘆いていますが、渋沢栄一が戦争を煽っていたことは確か。

この場面で腕組みをしながら階段を登っており、これも相当おかしい。若い仕草なんですよ。

腕組みしているとよろめいたとき、咄嗟に手をつけない。ゆえに危険です。歳を取ったらこういうカッコつけた歩き方はしなくなります。

ましてや階段ならば、手すりを使ってもおかしくありません。

そういう加齢動作の演技指導がまるでされていないのでしょう。渋沢栄一が外見だけでなく、動きすら歳相応に見えません。

馬車が襲撃されたって「どうせ無事に帰れるんでしょ」としか思えません。何一つ切迫感がない。

おそらく本作の登場人物たちが、ピンチに陥ったという動作をしないのが影響しているのでしょう。言葉だけで取り繕い、動きが伴っていないから怖くない。

 


心のないハリボテだ

面倒なこと(特に朝鮮半島)は全てすっ飛ばし、徳川慶喜伝の執筆へ。

明治村ロケだから限界はあるのでしょうが、家具が色褪せていませんか。明治の財産家にはとても見えません。

そして慶喜の言い分を丸呑みにする伝記執筆の様子が、色褪せた家具や大仰な演出と共に進んでいく。

やっぱりこの徳川慶喜はしょうもないなぁと情けなくなってきます。

遺品から孝明天皇の御宸翰が出てきた松平容保と比較すると、本当にろくでもない。

明治以降の慶喜は、どこを切り取っても褒められたもんじゃない。

それゆえ、彼が主役の作品は、幕末までで切り上げることが多いものです。

なのに本作では渋沢栄一を主役に据えたもんだから、とにかく美化してごまかしながら慶喜を登場させてしまう。

この後「今の日本は心のないハリボテだ、そうしてしまったのは私だ」と栄一が語りますが、たまにはいいこと言いますね。止まった時計でも一日二回は正しいようなものでしょう。

そして引退宣言をするのですが……なーんで、シワ一本なく、肌もそれほど老いが感じられず、むしろ若々しい姿。

要は、文化祭の終了宣言ということでしょうか。

 


総評

歴史修正の美化が平気でまかり通る――そんな大河ドラマもいよいよ最終回に近づいて参りました。

・鳥羽伏見の戦いは幕臣たちが騒いだから仕方なく

江戸城無血開城で戦争回避して明治維新をスムーズにした

そんな風に描かれていますが、何を言っているのでしょう。

おとなしく反省しているというなら、言い訳すること自体がおかしい。自伝など頑なに断っておけばいいだけ。

例えば松平容保は一切していません。会津藩士たちは名誉回復運動をしましたが。

思い起こせば、松平容保が病気になった時、孝明天皇皇后であった英照皇太后から牛乳が届けられました。

亡き夫(孝明天皇)が、どれほど容保を信愛していたか。それを踏まえた上での贈り物です。

そういう実在した信頼と愛と比べると、本作の虚飾に塗れた描写はいかがなものでしょうか。

徳川慶喜の自分語り(徳川慶喜公伝)ではなく、史実から見えてくること。

それは保身です。

八重の桜』で描かれた通り、神保修理に逃亡の責任を押し付けました。神保はそのせいで切腹し、神保の出身地である会津藩は地獄に陥ります。

このあまりに偏った慶喜の言い分は、山川健次郎はじめさんざん「嘘をつけ!」と暴かれています。

何と言っても彼は将軍です。家臣が騒いだから戦争しちゃった……テヘペロじゃないでしょ。

武士の棟梁であれば、指揮系統をきっちり把握できなかったことが無責任で恥ずかしい話。

それが慶喜がついた嘘の中でも屈指の恥ずかしいモノを、感動的に演出するなんて……共感性羞恥心を刺激され、うめきながら床を転げ回りたいほど苦しくなりました。もう、本当に許してください……。

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鳥羽・伏見の戦いとか大坂→江戸の逃亡話とか戊辰戦争とか、一連の出来事を語った慶喜の話を、史実認定する真っ当な書籍なんてありません。

調べればすぐわかるウソ。

それをNHKが受信料で流すのですから絶望的です。

大河ドラマがついに一線を越えてしまったと言いましょうか。

もしも後世『大河はいつからこんなことになったのか?』と問われたら、2021年12月12日だと明確に答えられるほどです。

期せずして、栄一は「今の日本は心のないハリボテだ、そうしてしまったのは私だ」と言いました。

今の大河は心のないハリボテだ、そうしてしまったのは『青天を衝け』だ――私なら本作をそう締めくくります。

何度でも言いたい。

大河から幕末史を学んではいけません。

 

華夷変態――水戸学を学んではいけない理由

本作は「水戸学」という単語すら使わず、朱子学は出てきても「陽明学」とは言いません。

それなのに「心即理」という掛け軸は飾っていた。

栄一の水戸学は危険です。

笑顔の背後に「華夷変態」という思想がある。

満洲族の清が建国されたからには、漢族の中華が夷狄に変わってしまった。本来の中華はどこへ? そんな考え方です。

朝鮮でも、日本でも、そのことを意識しないわけでもない。

で、日本は徐々に「こっちこそ、むしろ中華じゃないか!」と拗らせ始める。

決定打となったのが日清戦争の勝利で、自分達こそ正統な中華だと思い始めたのです。

中華思想って、中国の漢族が唱えているように思えますが、そういう単純な話でもなくて。

日本も中華思想を振り回していた時代がありました。

そうなってしまうと、もう日本人の方が中国思想、儒教を使いこなせると思い出す。

尊王攘夷だって、元は中国由来です。自分たちこそ中華だから好きにしてよいし、外国人を見下してもよいと。

困ったことにこの考え方は現在でもあり、

「陽明学を使いこなして明治維新を成し遂げたから、もう陽明学は日本のお家芸、思想!」

という主張の本を読みました。何を言っているのでしょう。

日清戦争勝利とは、華夷変態の完成だと水戸学の徒は考えました。国のトップがこれだから、日本そのものがそういう思想にどっぷり浸かる。

大東亜という新秩序を築き上げ、自分達が盟主になる!

そう掲げ、アジア・太平洋戦争に至る道を歩んでゆくわけです。

ゆえに、この時期の日本は、くだけだ言い方をすれば東アジア単位でジャイアニズムを振り回すようになった。

「お前(中国)のものは俺のもの! 俺のものは俺のもの!」

源義経がチンギス・カンになっただの、原田左之助が馬賊になっただの、そんなワケわからん大陸ファンタジー妄想もそうして育まれていったのです。

日中戦争時に連載された小説に、吉川英治『三国志』があります。

あれは掲載時期があの時代なのに、中国への悪い感情がないとされます。

それも当然。当時の日本人からすればこうなる。

「中国の英雄であるこいつらは俺のもの!『三国志』は大東亜盟主である俺らのもの!」

実際、諸葛亮を讃える『秋風落五丈原』が明治時代には軍歌として大流行し、諸葛亮が日本人が愛する英雄にされているわけです。

しかもありのままの諸葛亮でなく、日本人好みにカスタマイズされて、奪ったような扱いでした。

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そういうことを考えると、渋沢栄一こそ『論語』マスターであるかのように扱われる昨今は非常に危うい。

中国人よりも渋沢栄一を讃える日本人こそ儒教マスター!

そんな妄想じみた歴史を繰り返すのは危険そのもの。水戸学混じりの渋沢経由『論語』理解なんて、むしろ有害なのです。

韓流や華流を見ていると、しみじみと痛感させられることがあります。

儒教文化圏では、儒教が何かを理解し、その弊害を描く。

しかし『麒麟がくる』はともかく、『青天を衝け』は儒教をゆる〜く、ノリでしか考えていない。

だから毒となる思想を平然と撒き散らすんですね。免許を持たない人間がフグを調理しているようなものです。

小島毅先生に大河本をお願いしたい。

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