青天を衝け感想あらすじ

青天を衝け総評&最終回 感想あらすじレビュー「青春はつづく」

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青天を衝け総評&最終回感想あらすじレビュー
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思想と経済

渋沢栄一と近代日本の暴力の関係とは?

まずは思想。後期水戸学をみっちりと習得する姿が出てきました。水戸藩こそ幕末一猛悪であったと当時の経験者から回想されています。

天狗党の乱では、栃木宿での放火殺人をはじめ、無秩序な暴力が発生しました。

武田耕雲斎と天狗党の乱
夫の塩漬け首を抱えて斬首された武田耕雲斎の妻 天狗党の乱がむごい

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そしてこの後期水戸学は、明治政府上層部のバックボーンとしてもあったものです。

渋沢栄一が政府に顔が利いた理由だって、こうした思想で結びついているのです。

娘婿の穂積陳重とは優生学で一致。優生学とは実に恐ろしい学問で、科学的という建前で人々を組織的な強制不妊、隔離、虐殺にまで導いたものです。

渋沢栄一の思想体系は暴力的です。

そして次に経済格差。組織暴力の背景には、しばしば経済格差があります。

関東大震災のあとの組織暴力の背景には、外国人労働者に仕事を取られているという不満がありました。

経済格差を是正するどころか、搾取するのが資本主義です。暴力の発生装置となっておいて、搾取した金をばら撒き、君子然としてふるまう。いつまでそんな渋沢栄一に振り回されなければいけないのでしょうか。

 

天譴論

本作では案の定描きませんが、渋沢栄一は天譴論(てんけんろん)を大々的に主張していました。

天譴論は儒教由来と説明され、それゆえ儒教が悪いという流れにされますので、明確にしておきますと。

渋沢栄一は空気を読み、卑劣な改悪をした、日本式天譴論を展開しています。

もともと中国における天譴論とは「君子や為政者の悪徳に天が下す」というものでした。

しかし、日本ではこれより5年前の大正7年、白虹事件があった。

「白虹貫日」という故事成語があります。為政者が悪政を行っていると、不吉な天体現象が発生するという意味です。

この故事成語を大阪朝日新聞が使ったものだから、「不敬だ!」と右翼が襲撃をする事件になった。

関東大震災後に渋沢栄一が、この本来の天譴論を展開すれば、天皇を批判することになり危険。

ゆえに彼は卑劣なすり替えをした。

◆関東大震災後における渋沢栄一の復興支援 / 守屋淳(→link

この天譴論の論拠が、なんともくだらないんですよ。

「有島事件」も堕落の根拠にしている。

「有島事件」というのは、作家の有島武郎が、婦人公論記者である波多野秋子と心中した事件です。

そんなんで関東大震災が起きるなら、渋沢栄一、伊藤博文井上馨の下半身事情を天が知ったら隕石が落下してきそうですが、そこについては棚上げそのもの。

もうNHKは関東大震災を取り扱ってほしくないものです。とりあえず大河ではあと半世紀くらい封印してもよいかもしれない。

『いだてん』でも、強引に震災復興とオリンピックを結びつけた経緯があり、今度は渋沢でこんな調子ですから。

NHKがしおらしく反省する間に、VODが東アジア近代史を忖度なしで扱うドラマでも作れば全て解決することでしょう。

関東大震災描写なら映画『金子文子と朴烈』をお勧めします。

そうそう、関東大震災の支援物資ですが、あることが判明するとトーンダウンします。

英語版Wikipediaに“Kantō Massacre”として掲載されている事件。こんな国に支援できるか!という怒りが湧き上がった。

こうした史実を踏まえると、

「お互いに分かり合えたら差別しないよ!」

という、このドラマの渋沢栄一の戯言がなんとも虚しく聞こえてきます。全部特大ブーメランになって自分自身の額に直撃しています。

本当は怖い渋沢栄一 友を見捨て労働者に厳しくも人当たりの良さは抜群

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春は“情欲”を意味する

春という言葉は単に季節だけではなく、情欲も意味しています。

春画、春本、回春……。

本作最終回のサブタイトルを見て、ハッと気付かされたことが色々あります。

「青春はつづく」というサブタイトル、しかも渋沢栄一が主人公ということを踏まえると、この大河は“見る回春”ではないか?ということ。

回春の意味は各自調べていただくとして、その根拠を見ていきましょう。

・ターゲット視聴者層

→序盤の時点で40代以上と分析されていました

・褒めている媒体の読者層

→この大河をやたらと褒めている媒体の読者層は年齢層が高い

・やたらと褒められる慶喜役

→主役を食っていると散々報道されています。彼のファン層は若くはない。

あえて言いますが、私は慶喜役はミスキャストだと感じました。

ほんの三十前後で政界から引退したことが慶喜の特性なのに、あの年齢では流石におかしい。栄一との年齢差も大きすぎる。

かつて大河はベテランを当てるために、織田信長が高齢化しすぎるドツボに陥りました。

信長は五十で散ったのに、ベテランの花道にするからやたらと貫禄のある信長が本能寺で槍を振り回す……そのドツボを刷新した『麒麟がくる』の染谷将太さんは画期的でした。

岡田准一さんがキャスティングされても「若すぎるのでは?」という声が出なくなったのですから、素晴らしいことです!

……と思っていたら、慶喜がコレですよ。

映画『燃えよ剣』の山田裕貴さんの方が適切に思える。

しかし、なかなかそんなことは言えない(言っちゃったけど)。

そして自分なりに考えたんですよ。なぜファンの皆さんは、嬉しそうに慶喜を褒めるのか?

回春ではありませんか?

今から30年前、デビューから見守っていたファンからすれば、彼がもてはやされているだけで、まるで自分が青春時代に戻ったような気分になれる!

これぞ回春の喜びです。

つよポンを絶賛する心理って、そういうものもあると思えるのです。

慶喜を褒め、つよポンを褒め、自分の審美眼を褒める。今まで彼を見守ってきた自分の人生そのものを肯定する。

麗しい……とは言い切れません。

こんな記事が出るようでは、あまりに吉沢亮さんが気の毒だ。コンビと書いているけれど、ついでに褒めているようにしか思えません。

『麒麟がくる』の長谷川博己さんと染谷翔太さんとはどうにも違うんですよね。

◆ NHK大河『青天を衝け』草なぎ剛・徳川慶喜に「ラストで全部持ってく」「吉沢亮とのコンビ最強」「ウラ主役」絶賛の声!「NHK推しまくり」でわかる「圧巻実力」(→link

「前半の主役と言われてましたが、シメも草なぎでしたね。ファンの間では、慶喜が逝去したことで、最終回は特別にストーリーテラーのご先祖様・徳川家康(北大路欣也)との対面を果たすのではないか、という期待の声もありますね(笑)」(前同)

世界は彼と同年代、『イカゲーム』主演のイ・ジョンジェで話題沸騰しているのに、これって現実逃避ではないの?なんて指摘してはいけません。

◆ 実は『イカゲーム』は新境地 “韓国トップ俳優”イ・ジョンジェってどんな人?(→link

 

大河とエロス

公然の秘密ながら今まで突っ込めなかったところへ向かいます。

大河とエロス――大河のニュースでは時折、妙なものが混じってきます。

『麒麟がくる』において遊女が出てきた際が顕著でした。

「うおーっ大河! やっぱり大河といえばエロ!」

わけがわからない。本物の若者からすれば理解できない感覚でしょう。

出るか出ないかわからないエロを求めるより、エロならVODでHBOでも見ればよくね? そもそもスマホで動画を見ればいいし……と、そうなりますよね。そのほうがずっと効率的です。

しかし、ある程度上の世代からすると、それは甘酸っぱい記憶なんですね。

昭和の昔、大河ドラマは歴史の勉強になるから、と親も許可するコンテンツでした。

そんな大河で美人女優の肌が瞬間的でも顕になる。凍りつくお茶の間の空気、咳払いする父、台所に立つ母、そしてドキドキした俺……そんな青春の一ページが大河にはあるんですね。

特に昭和は、時代小説とエロの境界が薄かった。

当時、時代小説とは難しいから、男しか読まないという偏見がありました。そうなると男性読者の心を掴むためにもエロを入れて欲しい!という要求を編集者が出す。作家もしぶしぶそれを飲んでしまう。

はなから「エロです、くノ一です、表紙からして大股開きです」と言い切る山田風太郎は良心的でした。

そうではなく、教養のカバーをつけて中身は殿と側室のエロ三昧だったりする時代ものが実にややこしい。

そして、そんな時代を生きた元青少年には、時代ものとエロを結びつけるノスタルジーが醸成されたんですね。

ゆえに、大河で少しでもエロが出てくると、ムフフとうれしくなってしまうのです。そういう需要があるからこそ、高年齢読者層のメディアは大河のエロに飛び付きます。

今は、エロいおっさんにとって受難の時代です。

森喜朗氏の発言。「オリンピッグ」なんていう洒落たジョーク。それすら言えない。

何でもかんでもセクハラになるから、もう若者とお話しもできないじゃないか!

そうお嘆きの彼らにとって、まさしく大河という教養で包んでエロトークに持ち込める『青天を衝け』は最高です。救世主です。

渋沢栄一なんて、そういう意味では最高じゃないですか。

友人は伊藤博文と井上馨。主君は徳川慶喜。みんな下半身がゆるゆるです。本人も、もちろんそう。

「エロはよくないっていうけどね、こんな偉人たちもそうだったんだよ」

そうニヤニヤしながら若い世代に説教するにはもってこい。エロとノスタルジーという意味において、2021年は黄金の題材でした。

こっちとしては、そんなこと知ったことじゃありませんけどね。

誰かの股間チャックが全開だったら咳払いする。その程度の良心はある。ゆえに、暴いてみました。

性欲とは何も本能でなく、征服欲でもあります。

自分の下劣な性欲を見せびらかすことは、権力に酔いしれることでもある。

たとえばこんな記事を示して、できる男は性欲が強いとセクハラを正当化することだってできます。

能力と性欲が正比例するなんて怪しげな説だって、渋沢栄一顕彰は正統化する。そうしてセクハラに理屈をつけてくれる渋沢栄一顕彰って最高ですよね。

◆ 「NHK大河ドラマではやはり描きづらい」20人の婚外子をもうけた渋沢栄一の”婦人ぐるい” その倫理観には妻も心底あきれた(→link

◆大河ドラマで封印された、渋沢栄一華麗なる男の生きざま 偉業の底翳に女あり、作った子供の数は50人(→link

人生最後に妾との間に子を成したのは御年68歳。その時、栄一はこう言った。

「いや、お恥ずかしい。若気の至りで・・・」

晩年になっても、青年のごとく、その意気、天を衝き、性においても衰えを見せることはなかった。

(中略)

愛人との子供では80代になってから成した子もいるという。

栄一が生涯につくった子は20人というが、一説では50人という話もある。

グレタ・トゥーンベリさんやMetooにイライラする大人を癒す時間でもありましたね。

 

そしてブロマンス狙い、しかしそれは禁じ手である

『青天を衝け』の傑出した部分は、男性のみならず、女性のエロスも刺激したことです。

『花燃ゆ』ではシラケきった、乙女ゲーのような幕末ドラマを本作は成功させました。

そしてさらに『西郷どん』では不発だったあの新機軸も成功させたのです。

今、ブロマンスが熱い――こんなものは公然の秘密といっていいでしょう。

BLドラマが花盛り!

それを大河でもやればいいじゃない!

そういう試みはあった。誰も覚えていないでしょうけれども、『天地人』の時点でBLコミックとのタイアップがありました。

『西郷どん』でもBLアピールをした挙句、西南戦争をBL破局のようにして失敗しました。

でも今度は成功だ。だってこれだもの。

◆【大河ドラマコラム】「青天を衝け」第四十回「栄一、海を越えて」栄一と慶喜、最後の対面が意味するもの(→link

つまり、栄一がスピーチで語ったことは、栄一と慶喜の間で起きた出来事そのものであり、2人の関係には本作が掲げてきた「生き抜く」というメッセージの全てが凝縮されていたように思える。そう考えると、「青天を衝け」は、「栄一と慶喜の関係の物語」だったともいえる。

これを読むと、どんだけ邪悪なドラマだったかわかるんですよね……。

「生き抜く」――綺麗事としか思えない。

天狗党を見捨てて、戊辰戦争戦火の原因を作っておきながら放置して、自分さえ良ければいいってことですか?

しかも、そんな維新前後の死屍累々を背景に慶喜と栄一がラブフォーエバーってこと?

どんな残酷BLなんだ……。

成功したと先ほど書きましたが、この作品は目の前の成功を追い求め、大々的な失敗をしたと私はみなします。

作品の品質では『花燃ゆ』と『西郷どん』と本作はどんぐりの背比べ、大差はない。

変わったとすれば受け止める空気です。

本作はコタツ記事を量産するといった戦術により、うまく空気を醸成しました。

『いだてん』では惜しいところまで行ったものの失速した。その失敗体験から色々と宣伝戦術を学んだのでしょう。

『花燃ゆ』と『西郷どん』を貶しておきながら、本作は「毎回神回だった!」「号泣!」「完璧!」と大仰に誉めている方がいたら注意すべきかもしれません。

その方の判断力とは、結局のところ、空気を読む力が大きい可能性がある。

では、本作の大失敗とは何か?

歴史劇とブロマンスを組み合わせるにしたって、やりようがあります。

蜀漢正統論に疑念を呈しつつ、根底に司馬懿と献帝の弟・劉平を置いた『三国志 Secret of Three Kingdoms』という華流ドラマがあります。

これはドラマとしても良心的な傑作ですし、何よりも主役が献帝ではなく、あくまで双子の弟だというところがポイント。

献帝本人が司馬懿とブロマンス展開をして、それが魏晋交替だということにしたら、中国共産党が苦言を呈しつつ訂正を求めることでしょう。

しかし、双子の弟ならば史実と誤認することがないから、認められるのです。

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歴史修正に関して中国や韓国の歴史劇は良心的かつ厳しい。

中国は党が目を光らせている。韓国は視聴者側がきっちり抗議する。

華流には仙侠。韓流にはフュージョン時代劇がある。

どちらも架空要素が強い。見る側が史実と勘違いしたり、歴史修正を避けるようにして時代劇を量産しているのです。

日本はそもそも時代劇を作らなくなったうえに、こういう歯止めがない。

ゆえに大河が正々堂々とブロマンスのために侮辱的かつ悪質な歴史修正をする。

しかもメディアもそれを指摘しない。おそろしいほどの泥沼に突っ込んでいます。

見る側の原因もあります。

『麒麟がくる』での駒叩きの悪質さには呆れ果てました。ファンタジーだの歴史劇じゃないだの……一体何を言っているのでしょう?

時代劇に架空の人物を加えることは古来よりあった定番の技法です。

それでいて『青天を衝け』において慶喜や栄一が、史実と正反対で考証的にもおかしいデタラメを演じても、「感動しました!」「完璧です!」とは、どういうリテラシーなのか。

コレも何もかも、時代劇を作ることをやめて、見る機会が減ったためでしょう。

今から作ろうにももう遅いかもしれない。

何十年かければ日本の時代劇は韓流華流に追いつけるのでしょう。そんな日はもう二度と来ないのでしょうか。

 

“春”を重んじる日本らしいドラマ

先日、ミス・ユニバース日本代表のコスチュームが炎上しました。

◆ ミス・ユニバース日本代表の着物風ドレスは悔しかった こういう時こそNOと言おう(→link

私も当初「なんだこれは」と思ったけれども、同時に「そういうものかもしれない」と納得はできました。

こんなニュースもあります。

◆日本の女性、「嫌なものは嫌」と言えないのはなぜ? 幼い頃から培われた女性観の罠(→link

先日、日本のアニメをこよなく愛するアメリカ人の12歳の男の子を診察した際、「日本の漫画の女の子は、どうしてストーリーに関係なく制服の短いスカートの斜め下から下着が見えそうな角度で描かれるの?」と聞かれました。

認めたくないかもしれないけれど、【日本文化=未成年をエロく消費する】という思い込みはあると感じます。

『四十七人目の男』という小説があります。

「スワガー・サーガ」と呼ばれる元アメリカ海兵隊狙撃手が活躍するシブいハードボイルドです。

極めて真面目なはずが、日本を舞台にしたこの作品はすごいことになっています。

ヤクザの名前が「近藤勇」。そのボスが守りたいのが着物ポルノ。教室でエロ展開をするようなポルノこその日本の誇りである――そう主張する敵のボス・ショーグンと戦うべく、妖刀村正を手にした狙撃手が奮闘するのです。

作者のスティーブン・ハンターはまっとうな人物です。お笑い小説を手がけている作家じゃない。

それでもこんなことになるほど【日本人=ブシドーと制服ポルノ】になっているんですね。

ちなみに、ミス・ユニバースのアレ、韓流と華流、韓国と中国代表は露出度が低い上にエレガントな民族衣装アレンジを展開していました。

これは時代物のドラマ、漫画、ゲームにも言えることで、日中韓を比較すると、日本だけ伝統を破壊しつつ変な露出になっていることが実に多い。

他国の人が描く着物を「侮辱だ!」と怒る前に、自分達が何を発信しているのか冷静になった方がよろしい、ということですね。

それの何が大河に関係あるのか?

昨年まではそうでなくても、不幸にして今年は大いに関係があります。

『青天を衝け』では、未成年をポルノ扱いしました。

渋沢栄一が、まだ劇中では中学生くらいの年齢だというのに、わざとらしく転ばせ、ストーリー上必要がないにも関わらず、下着一枚にする場面があったのです。

それを見た視聴者が性的に興奮したとSNSに投稿し、ネットニュースになりました。

未成年エロスはまだあります。記念すべき栄一と慶喜の出会いは、思えば並んでの立ち小便でした。

余談ですが、渋沢栄一は近年稀に見るほど排泄行為が言動に絡んできます。後半にも「しょんべんしてくる」と言い、立ち去る場面がありました。彼ほどの教養の持ち主なら、もっと他に言いようがあるのでしょうが。

こんな未成年エロを皮切りに、本作は春を求め続けます。

松平春嶽橋本左内が無意味に風呂の内部にいる場面。

栄一が久々に再会した妻・千代に「仕込むべ!」と叫ぶ場面。

いきなり女中・くにの腕を掴み「あーちと」と言いながら強引に関係を迫ったとみなせる場面などなど……。

性的な想起をさせ、かつ相手の同意を無視した時代錯誤的なセクシー演出が頻発しました。

やりすぎて平岡円四郎の妻が女衒になるという、とてつもない侮辱までしています。

それを批判するどころか、SNS投稿でもネットニュースでも、興奮したというものばかり。

海外からコレを見たら「すごく日本って感じだね」と言われそうです。

何度でも指摘しますが、エロチックな場面が多いことで有名なHBO作品『ゲーム・オブ・スローンズ』ですら、主要人物の年齢を引き上げ、未成年結婚を回避しました。

日本だけです、未成年でエロを求めること。

2021年は、未成年を性的に扱うことにより、失われたコンテンツがいくつもあった年でした。

NHKも公共放送である認識があるのであれば、そんな劣情に乗らない程度の理性を保っていただきたい。

春という言葉の意味を踏まえつつ、こんなニュースでも読み返してみてください。

◆『なかよし』2作品が原作担当者の女児わいせつで連載終了 講談社「断じて許されない卑劣かつ悪質な行為」(→link

◆ 『ギャル子ちゃん』作者、児ポ輸入で逮捕…懲役の可能性も、所有品の多さも焦点(→link

学生服を着てコスプレに励む。そんな姿が浮かんできて心底辛いものがあります。この苦痛をあなたと分かち合いたい。

◆ <青天を衝け>吉沢亮“栄一”が伝えるラストメッセージ!走り続けた栄一の青春物語がいよいよ完結(→link

 

玄冬に到達できぬ人生よ

青春はつづく――ずっと栄一くんのおつかいシリーズのようだったサブタイトルが、最終回で本作の本質に到達しました。

青春とは五行説由来の言葉です。

青春が過ぎ、朱夏が訪れ、白秋が過ぎ、玄冬に至る。それが人生。

『麒麟がくる』はそこを衣装でも、演技でも、そして脚本でも描いていました。

明智光秀の衣装は、若い頃は春に芽吹く緑のような色合い。それが最終盤は黒い。

彼は青春から玄冬へ至ったのです。

『麒麟がくる』のド派手衣装! 込められた意図は「五行相剋」で見えてくる?

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それが今年は……。

青春はつづくと90を過ぎても言っている奴。

それを堂々と掲げる奴。

そんなもん、いくつになっても「オレは一生、幼稚である!」と宣言したようなものです。

一生青春だの、若さでイキイキだの。いかにも素晴らしいことであるかのように語るとすれば、漢籍理解が足りない。

「老」という言葉には、歳をとって疲れたというマイナスのみならず、経験豊富で熟達しているという意味もあります。

老を否定するというのは、要するに、経験や成熟を無視するということ。

人間はそれこそ鬼舞辻無惨ではないので、肉体は老いてゆく。

それなのに気持ちばかり若くて経験と成熟を否定するのって、醜悪の極みなんです。

でも、なまじ社会的地位が高かったりするから、周囲はニコニコと「ですよね〜」と合わせてくれちゃったりする。

結果、本人は無自覚で「俺もまだまだ若いじゃん!」と勘違いしてしまう。

本作が延々と続く文化祭気分であるのも納得できました。

もう数十年前の若者感覚、ナウなヤングにバカうけ感覚なのでしょう。

本作を褒める記事に「キターーーーッ!」とあった時には色々納得するとともに、悲しさの極みに陥ったものです。

繰り返しますが、若者が老いてゆくのは悪くありません。

問題なのは、老いているのに知識も経験も身につけず、成熟しないこと。

本作が受ける理由はわかります。

このドラマって、ありのままに肯定してくれますから。

ドラマそのものも、コタツ記事も、ファンダムも。成熟しないで一生青春!

文化祭続行気分で「ちょwww」とか浮かれている気分を全肯定してくれる。

そりゃあ気持ちいいでしょう。

努力しないで褒め言葉だけ貰えるんですから。

しかし、その虚しさくらいは自覚していただきたい。

「玄」とはただ、黒いという意味ではない。奥深い境地という意味もある。老いることで若い頃にはなかった境地に至るのであれば、それは幸せなこと。

「青春はつづく!」とかなんとか幼稚なことを言ってヘラヘラしていると、そんな境地に至ることなく人生が終わります。

なんと悲しいことでしょうか。

そんなことでは、「快なり!」つまりは気持ちいいか気持ち悪いかでしか、ものごとの良し悪しが判断できなくなります。

おむつが乾いているか、濡れているか。

原始的な感覚なんて、赤ん坊だってわかる。

そんな感慨を最期まで叫んでいる人生なんて、どうなのでしょう?

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