青天を衝け感想あらすじ

青天を衝け総評&最終回 感想あらすじレビュー「青春はつづく」

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青天を衝け総評&最終回感想あらすじレビュー
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そもそも幕末が青春シンドローム

なぜ、青春なのか?

『麒麟がくる』にせよ『鎌倉殿の13人』にせよ。そういうノリにはならないでしょう、

光秀と信長は、別に「俺ら青春だよね!」なんて盛り上がっていなかったし、北条義時と政子が「青春は続くよね〜」と、あの殺伐とした世を生きていたらおそろしすぎる。

これも幕末ならではと言えましょう。

明治維新は若者が成し遂げた!スゴイ!というのはお約束のフレーズです。

世界史的にみても、揃いも揃って同年代の若者だけで革命を成し遂げたとなると、あまり例は多くはないと思います。

が、しかし、実はそこが問題です。

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と言いたくなることは山ほどある。

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小栗忠順など、知識豊かな幕臣出身者を殺すなり、職業を奪ったりした結果、明治初期は国そのものが停滞しかけました。

外交は特に悲惨です。

江戸幕府は、西洋列強との対峙でタジタジしただの何だの言われますが、実際は、岩瀬忠震川路聖謨栗本鋤雲といった人物たちが、諸外国と大人のお付き合いをしていました。

イギリスは、日本の倒幕勢力がイケイケお兄ちゃんたちだと気づき、ゴリ押しで本国からも賛否両論であるパークスを使い、オラオラ外交を展開した。

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結果、明治政府はイギリスから「おいコラ、文明国のやり口を理解してんのか? アァ?」と怯えさせられるほどの恫喝外交をかまされる。

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それ以外にも、イケイケ時代の感覚が抜けない政治家が、色々ひどいことをやらかします。

組織的性犯罪をする大学生サークルのようなノリで、ゆるすぎる下半身暴走を展開。福沢諭吉は激怒し、津田梅子は眉をしかめ、プロテスタント教徒はため息をつく。

そんな下半身が永遠の青春組には渋沢栄一も代表格として入っております。

女に汚い。

女遊びで金を浪費するから、汚い資金繰りでなんとかしようとする。

暴力癖が抜けない。

世直しと暗殺をイコールで結びつける気風が暴走し、民衆暴力へ繋がっていく。

ウェイウェイ系のどうしようもない時代が到来していた。それが明治時代です。

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そこで真っ当な分析なり反省をすればいいものの、フィクションやリップサービスを信じ込んだ結果

「明治維新はスゴイ! そんな日本にいる俺もスゴイ!」

とドツボにハマって抜け出せなくなった。それが現状です。

我々は青春の呪いに縛られています。こんな呪いがつづかれたらたまったもんじゃない。

ゆえに私はこんな世界観は御免です。

明治維新はまっとうに検証しましょう。

いつまで青春コメディでお茶を濁しているのか?

大量に犠牲者が出て、差別と不正の温床となった暴力革命にはしゃいでいる……今はもう21世紀ですが。

過去や歴史を自慢するのは、現在に自慢できることがない、進歩が止まったということです。

 

仁の欠如――先憂後楽

さて、最終回です。

このドラマに何が欠如していたのか?

渋沢栄一も大好きな儒教観点から真面目に考えたいと思います。

後楽園とは水戸藩邸の庭です。

この「後楽」の由来でも。

(仁人は)天下の憂えに先んじて憂え、天下の楽しみに後(おく)れて楽しむ。
范仲淹『岳陽楼記』

人の上に立つべき者は、皆が楽しんだ後でそうするくらいがよい。

それを水戸藩でも心がけていました。

が、しかし。徳川斉昭と慶喜父子を無理矢理持ち上げてきた本作の製作陣は、この水戸藩の教えなど眼中になかったようです。

公式SNSでは、いかに作り手が楽しそうにしてきたか、その投稿ばかりでした。

インタビューでもそう。自分たちがいかに楽しんだかばかりを強調します。

それは「快なり!」という愚かしい決め台詞からも明らか。

思えばこのセリフは、同盟者である島津久光を追い落としたあと、慶喜がうれしそうに言っておりましたね。

あの久光を貶めた史実は、いくらなんでも愚かであり、慶喜も過労でやらかしたのかと言われております。

そんな大失敗のあとで「快なり!」とは愚かの極みに他なりません。

仁人とは、自分の快感は一番あとにして、民衆が笑顔になっていることを確認してからやっと胸を撫で下ろしつつ、微笑む。それが当然とされたからこその水戸藩邸の「小石川後楽園」です。

そんなことはどーでもいいや♪ おかしれぇ! 胸がぐるぐるする! 快なり!

作った側はそうして、えへらえへらしていられるのでしょうが、水戸藩を徹底的に貶めたことに対して、反省すべきではないでしょうか。

なんて私みたいな小者が提言したところで、制作陣は苦い薬は大嫌い、耳に逆らう意見なんて一切聞かず、自分たちを褒める意見だけをエゴサーチしているのでしょう。

私はよく、作り手に失礼だのなんだの絡まれますけど、完全防備で褒める意見しか届かない相手なら、そんな心配は不要ではありませんか。

本作の製作者は褒める甘ったるい意見ばかりを集めているでしょう。

そうでなければ、あんなに脇が甘いわけがありませんからね。

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義の欠如――渇すれども盗泉の水を飲まず

渋沢栄一顕彰は花盛りですね。

渋沢栄一を褒める歌をレコーディングし、売り出すという男性を見ていて、私はため息をついてしまいました。

渋沢栄一の悪を知らずに顕彰しているのであれば不誠実であるし、知った上で顕彰しているのであれば不義である。

今、若い世代は色々悩んでいます。

その中に、親世代の嫌韓がある。

韓国に旅行したいといえば脅される。韓流ドラマや歌を聴いているだけで罵倒される。一体なんなんだよ……そう疲れ果ててしまうのです。

『青天を衝け』とは、そんな憂鬱な嫌韓コンテンツのエースになり得ます。

既に韓国では渋沢栄一の紙幣登用に抗議の声があった。それをああだこうだと理屈をつけて、ネットだの会社の部下に向けて語るのならば好きにすればよいと思います。

しかし、実際に韓国と交流したい、そんな若い世代にとってはただただ迷惑な話です。

渋沢栄一顕彰とは、国際交流を図る若い世代にとって迷惑になることは認識してよいのではないでしょうか。

韓国抜きにしたって、環境破壊や女性への酷い扱いを踏まえたら、顕彰すべきとも思えない人物です。

それなのに褒めちぎるとすれば、不義を見逃してしていることになります。

渇すれども盗泉の水を飲まず
陸機『猛虎行』

孔子が旅をしていたとき、「盗泉」という泉の前を通った。喉は乾いていたけれど、名前を嫌って飲まなかった。

渋沢栄一も好きだったという孔子はこうですが、渋沢栄一顕彰に関わる者はどうなのか。

「盗泉の水はマイナスイオンが出ていて健康に最高ですよ!」とSNSで宣伝して飲みそうな恐ろしさを感じる。

盗泉は名前の問題だからまだマシかもしれない。

毒の泉だったらどうでしょう?

それでもみんなが褒めているから、SNSでフォロワーが褒めているから、ハッシュタグで褒めているから、「感動した!完璧!」と勧めますか?

問題はそこです。

そんな泉から水を飲まない若い世代は当然いる。

『週刊金曜日』では、大学生が渋沢栄一が朝鮮半島で何をしたのか検証する連載をしています。

希望とは、こういうことをいう。彼らの知性こそが澄んだ泉の水です。この水は是非とも飲んでいただきたい。

 

礼の欠如――和して同ぜず

君子は和して同ぜず。
『論語』「子路」

まっとうな人間は穏やかな交際をするものの、自分の意見は保つ。

SNSが何かと話題の一年でしたので、原点に戻って考えたい。

SNSとは一体何でしょうか?

フォローし合っているだけで友達同志認定して、その意見に引きずられ、自主性を失ってゆく。

悪ふざけをノリノリでしていくうちに、差別や侮蔑すら笑いながらしてしまう。陰謀論に加担してゆく。

そんな負の側面が注目されつつありますが、SNSのゆる〜い悪いノリに引きずられたかにような、そんな制作チームの甘さも見えてしまった。それが今年の大河です。

今まで大河を見てきて、今年ほど制作側が脇の甘いことをしゃべってしまう年はありませんでした。

主演俳優が「セリフは難しくてちんぷんかんぷん」と言ってしまう。算盤は練習をしていなくて、それっぽい手つきならばOKが出ると明かしてしまう。

準主演が「乗馬撮影は時間がかかるのに、数分しか流れない」と笑いながら話す。

脚本家は、史料よりも役者の雰囲気に当て書きしているといいきる。

「おかしれぇ」「ぐるぐるする」といった当時の知識人が言いそうにもない言葉を思い浮かべながら書いていたという。

なぜこんな事態が起きてしまうのか?

身も蓋もない言い方ながら、弛緩しきっていたからとしか言いようがありません。

おまけに平気で嘘をついていませんか?

ずっと渋沢栄一を大河にしたくて、お札の顔になったのは偶然だとか。

徳川家康を語り手として出すアイデアは、出演者が出たいというから増やしたと言っておきながら、後付けのようにあれには深い意味があったと言い出すとか。

嘘をつくなとは言いません。そこはドラマです。フィクションですから当然嘘はありで、史実を再現するものではない。

とはいえ、嘘にもやり方はありましょう。

ゴミを棚の下に掃いて「掃除した」と言いはるダメな子どものような、杜撰な嘘を吐かれ続けて今年は本当に疲れ果てました。

集団が堕落したことはもうどうしようもない。来年以降持ち越さないよう願うばかりです。

 

智の欠如――学びて思わざれば則ち罔(くら)し

学びて思わざれば則ち罔(くら)し、思いて学ばざれば則ち殆(あやう)し。
『論語』「為政」

知識を学んでも自分で考え直さなければダメだし、考えてもちゃんと勉強しないとあやふやになるよね。

私は今まで思い違いをしていたのかもしれない。そう思わされた一年間でした。

大河は歴史の入り口だけど、そこから学んで知識を蓄えるのであればよいのかもしれない。

たとえば彼女が好例です。

◆ 新潟の小6がつくった真田丸の模型、専門家が絶賛「すごい力作」(→link

彼女が代表の子供世代からは未来を感じます。

しかし……大人は本当に大河から学んでいるのでしょうか。そんな疑念が湧いて止まりません。

『青天を衝け』の幕末描写は、ここ十年以内の幕末ものと比較しても間違いが多発していました。

それなのに、それを指摘する声がさほど出てこない。

おまけに史実との差異を指摘する研究者の記事に対し、こんな投稿もありました。

「こういうことはどうでもよくて、私は青天の慶喜様の方が好きだし信じたい!」

歴史知識をフィクションが上書きする――とんでもないことが起きました。

孔子が指摘するように、大河で歴史を学んだとしても(そう言えるかどうかはさておき)、そのあと自分の頭で考えるなり、調べないと身につかないのだと。

そうため息をついていたところ、SNSにこんな投稿がありました。

「NHK大河ドラマに「韓国」という言葉が出ている! 明治時代に韓国があったはずがない、歴史ドラマで嘘をつくな!」

大韓帝国は1897年から1910年まで存在し、かつ略称は韓国であり、そこは間違いではありません。

ゆえに難癖をつける側が無知……と、おさめてもよいところですが、致し方ないとも思いました。

今年の大河はあまりにおふざけが過ぎました。

トイレで心臓発作を起こし急死し彦根藩士による暗殺の噂すら流れた徳川斉昭。それがドラマでは、情感たっぷりに妻に対して感謝のキスをしてから亡くなる。こんなデタラメな描写をしていたら、信頼性が落ちるのは当然のことです。

ちなみに『麒麟がくる』はこの点良心的です。

あの作品で散々叩かれた駒ですが、ああいう架空の人物を出すことで、フィクションとの切り分けがかえってしやすくなります。

しまいには

「渋沢栄一が日本初の紙幣を作ったんだね!」

という偽知識がネットニュースでも取り上げられる始末です。

大河は嘘つきだというイメージを本作が強化してしまった。

世間からすれば「あの大河で歴史議論? 五十歩百歩だな」となっても不思議はないでしょう。

大河枠そのものが嘘まみれとは言い切れないものの、2021年については嘘まみれかつ侮辱的な描写がともかく多かった。

そのうえ、それに対して疑念を呈されるどころか、史実よりこちらがいいとファンもメディアも後押しするのですから、もう末期的です。

なまじ『青天を衝け』は、SNSでの発信にせよ、これが史実だとうたっておいてデタラメを毎週のように流すから悪質です。

「チャカポンは本当なんですよ〜」

とかなんとかトリビアを発信して、これぞ史実のような顔をしておいて、やらかすことはデタラメまみれ。

極め付けは、脚本家にせよスタッフにせよ「きっと実物の慶喜はこうだったんだよ、今までの慶喜像はきっとウソだったんだよ!」と歴史修正じみた陰謀論を流すから悪質。

見る側もうっとりと、自分たちだけが誰も知らない世界の神秘に触れたかのような投稿を繰り返します。

ネットニュースのコタツ記事も陶酔しきっている……今年の大河ネットニュースやレビューはいちいち酩酊感があって読むだけで頭がしびれました。

誰も知らない真実――そんなものを受信料で作られるNHKの大河で得られるわけがないでしょ。リテラシーを鍛えてください。

「誰も知らない歴史を知ってしまった……」

大河ファンがそうやってうっとりと投稿していたら、大河ファン以外からすれば不気味でしかありません。

ちょっとは大河ファン以外の言葉を聞くことも大事かもしれない。

「今年の大河? なんかやたらとうるさくてすぐテレビ消した」

「わざとらしい。無茶苦茶わざとらしい……VODと比較するともうさぁ」

「『アンという名の少女』はやりすぎかな、って思うけど。大河の空虚さを見ているとああしなくちゃいけないって思えるよね」

「なんかの再現ドラマかと思った」

歴史だけでなくて、『スマホ脳』でも読んで頭を覚ますことも大事ではないでしょうか。

 

信の欠如――崔杼弑君

歴史書は真実を記さねばならない。記録の改竄などもってのほか。

そんな教訓として伝えられる故事があります。

斉に仕える崔杼は、主君である荘公を殺した。

斉の歴史記録係は「崔杼弑君(崔杼が君主を殺した)」と記す。

すると崔杼は怒り、記録係の兄弟二人を殺した。

それでも三人目の弟はまたしても「崔杼弑君」と記す。

ついに崔杼は歴史修正を諦めた。

『春秋左氏伝』

この故事は、なんとしても史実を記録すると決めた名もなき記録係の信念が光ります。

そんな記録係がいるかどうか?

実は大河ドラマでもある程度わかることです。

近年の幕末大河で最も時代考証が盤石であったのが『八重の桜』です。

会津藩の歴史といえばこの先生だといえる、そんな方が考証についていました。

後半は同志社大学のプロテスタント関連チェックが入ります。

たとえば、新島襄が酒を飲む場面があるとお茶に変更する。

そんな細やかな配慮があったのです。

迷走していたのが『花燃ゆ』。

幕末長州ならばあの先生と思いつく研究者が、ブログでツッコミを入れる。そんな恐ろしい事態に陥っていました。

集まった担当者も、例年とは肩書きの時点で異なる人ばかりで、幕末史の先生が逃げたのではないかと私は推察しました。

さて、今年ですが。

実はNHK幕末ものでは定番のあの先生がいない。

代わりに誰がいたのか?

◆「青天を衝け」いよいよ最終回…時代考証者が語る渋沢栄一、徳川慶喜、そして旧幕臣たちの実像 : 今につながる日本史(→link

まず、こちらのお二方ですが。

渋沢史料館(東京都北区)の井上潤館長、徳川慶喜の実弟、昭武の旧私邸にある 戸定(とじょう)歴史館(千葉県松戸市)の齊藤洋一名誉館長

これは非常にまずい。

利害関係があったり、直系子孫にあたる人の証言をそのまま信じることは危険です。

日本ではそのあたりの意識が低い傾向がありますが、これは基礎です。

「私のご先祖が悪いことするわけないでしょ! おじいちゃんは優しかったって伝わっているんだから!」

こういうバイアスがかかったら台無しです。ただでさえ渋沢栄一の証言や『徳川慶喜公伝』には誇張や嘘が多い。清廉潔白な新島襄および同志社大学とはわけがちがいます。

渋沢栄一顕彰団体勤務の方やご先祖の方が、SNSで『青天を衝け』を絶賛していることはしばしば見かけましたが、それを信じてよいものやら。もうなんとも言えません。

ちなみに『八重の桜』では、会津松平家現当主が関連講演会を行い、感想を口にするようなことはありました。

しかし、彼がドラマそのものに口出しすることはない。それが良識ある態度でしょう。

それに名前の並びを見ていくと、専門的な研究者ほど「資料提供」にとどまっている。そこまできっちり睨みを効かせる立場ではないと推察できます。

そしてどうやら朝ドラからの流れがある模様だったのですが、その朝ドラというのが

『あさが来た』
『わろてんか』

という近年でも時代考証がお粗末だった作品です。

『わろてんか』の場合、日本の芸能史における時系列が決定的におかしく、数十年単位でずれていました。

そんな杜撰な姿勢でよくドラマを作れたと絶望的な気持ちになった。特に、関西の芸能史を扱い、小林一三を出しておきながら、宝塚をカットするというのはあまりに酷かった。

本作が、そういう反面教師にすべき朝ドラからの流れを引きずっているとしたら、やはり杜撰にならざるを得ない。

細かく見ていくと、考証の時点で疑念を感じられていたような箇所もチラホラ浮かんできます。

旧幕臣で登場したのは、渋沢とともに大蔵省の「 改正掛(かいせいがかり) 」で活躍した人が中心で、旧幕臣では榎本武揚(1836~1908)、勝海舟(1823~99)が登場していません。

勝や榎本を取り上げると話が広がりすぎてまとまらないと判断されたようです。

榎本は渋沢成一郎喜作)とともに箱館戦争で新政府軍と戦った後、政府に迎えられて逓信大臣にも就いています。

登場してほしかったのですが、主人公の渋沢栄一とのつながりが薄く、全体のバランスを考慮したのでしょう。

話が広がりすぎると言いながら、なぜ土方歳三のことはダラダラとやったのか。

勝海舟抜きの無血開城もあり得ない。

維新三傑から不自然に削るなんて、おかしい。

長州藩出身者では伊藤博文井上馨がしっかり登場するのに木戸が登場しないのは不自然だ、と何回か会議で申し上げたのですが、登場人物が多くなりすぎて視聴者がドラマについてこられなくなるという「幕末維新の大河の通弊」を避けるためには、やむを得なかったかもしれません。

ただ、円四郎とともに渋沢を盛り立てた妻のやすは創作上の人物です。

円四郎の妻は元芸者ではないし、三味線の師匠もしていないので、岩崎弥太郎に料亭に呼び出され、手を組めと迫られた渋沢を逃がした話もドラマ上の創作です。

これも何か言いたくなるでしょうね。

結果的にやすは「女衒」になってしまった。どういう感覚なのかと散々突っ込みましたが、時代考証担当者に一切の罪はないとわかりました。

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ちなみにドラマでは屋敷に戻った慶喜が、「薩摩にひと泡吹かせてやった。快なり!」と父の徳川斉昭をまねて祝杯をあげますが、この「快なり!」も斉昭のキャラクターを立たせるための大森さんの創作で、実際には水戸藩独自の乾杯の音頭はありません。

やはり「快なり!」という恥ずかしい乾杯音頭は創作でしたね。安心しました。

このドラマでもワースト候補の平岡円四郎の妻が女衒にされたこと。先憂後楽を忘れて「快なり!」と叫ぶこと。

それが脚本家の杜撰な意識から作られたと知り、納得感はあります。

来年の三谷幸喜さんや、『八重の桜』の山本むつみさん、そして漢籍マスター『麒麟がくる』池端俊策先生なら、そんな侮辱的な創作はしない。経験、知識、良心があります。

しっかりした裏付けもなく、自分の範囲内から捻り出すと、こうなってしまう。今年の脚本家は時代劇を描く上での知識が圧倒的に不足していると感じました。

最低限の知識があれば、主人公恩人の妻を女衒のような働き方をさせないものですよ。

少年漫画『鬼滅の刃』の方が時代考証が綿密に思えるって、どういうことでしょうか?

任命責任を問いかけたい。

そもそも『あさが来た』の時点で時代物としては禁じ手ともいえる捏造をしておりました。

それが大河に起用されるというのはどういうことなのか。

疑問は尽きません。

スタッフロールの通り、本当に脚本家は一名で作られていたのか?

せめて『麒麟がくる』のようにチームにして、かつ脚本協力者を入れるべきだったのではありませんか。

最終盤は時間を持て余したのか、あまりに不自然な場面だらけでした。

誰かが死ぬロス戦術でしか盛り上げられない、人の生死をネタにしているような不快感があった。

だいたい、自分が大好きな役者の顔を見て「実際にもこういうステキな人だったにちがいない」と思いながら歴史劇を書いているなんて、インタビューで得々と語っていいとも思えません。

国旗を逆さまに出したことに対して考証の先生が抗議し、謝罪したこともありました。

今年ほど考証チームが苛立っているとわかる大河もありません。

そしてまた考証の不備を指摘しますと。

『論語』を前面的に押し出しつつ、中国思想や古典の考証すらいないというのは一体何事でしょう。

このドラマでは後期水戸学を扱っています。

取扱注意の危険な思想なのに、随分と杜撰に扱われたものです。

ここは小島毅先生の大河本に期待するしかありません。

そういう気配を察知したのか。

今年はネットや紙媒体でも、ニュースが何か妙でした。褒める記事のコメントで、どこか歯切れが悪かったり、そもそも何も語っていなかったり。

もちろん、誰も彼もがそうとも言い切れず、こんな解説もあります。

◆渋沢栄一の最晩年、昭和天皇が「単独御陪食」で話されたこととは 渋沢栄一と時代を生きた人々(27)「渋沢栄一と昭和天皇」(→link

こんな不誠実なことばかりが続くと、大河考証が鬼門になりかねない。

ひいては、鬼門を避けた先生がVOD側につき、満洲国や大韓帝国を描くドラマが作られ、世界で放映される日もそう遠くないのではありませんか。

そうなったら、もう近現代大河は終わります。

このインタビューを読んで、もう大河は“信”を破壊し尽くしたのだと感じました。

時代考証担当者が「おかしい」と言っても却下する。

その言い訳として「幕末史は人物が多くてわかりにくいから」と、視聴者に責任転嫁するようなことを言う。

時代考証担当者だけでなく、視聴者のことも、バカにしているとしか思えない。

私は、そんな姿勢に耐えられません。こんな不良品は指摘されて当然でしょう。

たとえ大島優子さんが値千金の美しさを見せていたとしても、ドラマとしては駄作です。

◆ 青天を衝け:「偉人伝」ではなく「人間ドラマ」を 脚本・大森美香の思い 吉沢亮“栄一”に「人生を駆け抜けてほしい」と(→link

◆ 『青天を衝け』脚本家・大森美香氏「ディーンさんありがとう!」 2度目の五代で“見たかった”姿が(→link

二回も五代友厚を扱っておいて、黒田清隆をかすりもしないなんて、もうこれは乙女ゲーと大差ありません。

偉人伝をあえて避けたように言いますが、要するにまっとうな伝記を描くだけの力量がないと自ら告白してしまっているも同然。

歴史人物とラブラブしたい!そんな趣味を大河で堂々とやられて、とても黙っていられません。

 

汝に之を知ることを誨えんか

さて、最後に。

渋沢栄一も大好きな孔子から、大事なポイントでも教えてもらいましょう。

子曰く、由よ、汝に之を知ることを誨えんか。これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らずと為す。是れ知るなり。
『論語』「為政」

あのね、きみに、知るってどういうことか教えるね。

自分が知っていることを、「知っている」と認知する。自分の知らないことは、「知らないこと」として認知する。これが知るということなんだよ。

ハッシュタグで感想を漁っても。気に入ったネットニュースをつぶやいても。大河で見たことだけを史実として信じても。それは「知る」ということではない。

そんな指摘です。

最後に、秀逸なデータ解析であるこの記事の興味深い部分を引用しつつ、再掲します。

◆『青天を衝け』視聴率半減の真相~大河で見たいのは“偉人伝”でなく“人間ドラマ”(→link

視聴率の推移から、読者の傾向などを分析した記事。

ところが3月末には15%を切り、秋には12%台が普通になった。

コロナ禍や東京五輪で放送が中断されるなど、不運が重なったことは否めない。それにしても、最終回の11.2%は『八重の桜』の3分の2、以後の大河では史上最低だった『いだてん』を除くと最悪だった。

大河ドラマとして好条件が揃いながら、『青天を衝け』はなぜ最終回までに視聴者のほぼ半分が消えたのか。

SNSやウェブメディアでは名作ともされがちな本作を、数字から以下のように暴いています。

・大河ドラマは今では唯一の時代劇だが、“歴史・伝統”関心層は当初の16%から秋以降は10%前後と3分の1以上が離反していた。

・特に女子大生に至っては、初回3.0%がラスト2回は0%だ。残念ながら、期待と大きくズレたドラマだったようだ。

・『青天を衝け』初回では、経済に関心のある人や、企業の部課長がたくさん見に来ていた。

ところが多くが途中で脱落した。ビジネス上での生々しい場面がもっとあれば、最後まで見続けた人はもっと多かったのではないだろうか。

1年付き合うだけの価値があるか否か、眼鏡にかなわなかったとしたら残念でならない。

半減とはひどい。『麒麟がくる』の恩恵は即座に消えていました。

脚本家さんは盛んに「偉人伝ではなく、人間ドラマにしたことが成功だ」と語っておりました。

しかし、その言い訳すらデータは潰します。天地不仁もとい、データ不仁(=容赦ない)です。

それにしても、本作を成功しているとイケイケドンドンだった媒体は、どのデータを見てそう分析していたのでしょうか。

むしろ“失敗の本質”を分析すべきだったのでは?

おそらく編集サイドから「『青天を衝け』は成功しているという切り口で書いてください」という依頼があったのでしょう。

例えばこんな記事。

◆吉沢亮『青天を衝け』、成功のカギは大河ドラマの「朝ドラ化」にあった(→link

主役の抜擢を、少し落としてから上げる手法で褒め称えています。

しかし、数字からそんなことが無かった可能性が高いことは上記の記事でも示されていました。

歴史劇としてもつまらない。若い女性も見ていない。経済やビジネスに関心がある層も脱落。

残った層は、40代前後、若くもなければ成熟してもいない。経済や歴史に興味がない層で、ドラマや芸能が好き。

私が想定していたファン層ですね。

つよポンコスプレドラマ。

イケメンが脱ぐドラマ。

SNSで書き込んで仲間内だけで盛り上がるドラマ。

それが『青天を衝け』の受容でした。

こうした層に刺さるメディア戦略をすれば、盛り上がった空気は醸成できる。いわば【ステマ(ステルスマーケティング)】ですね。

ですので、例年の大河とはちょっと切り口の違う、こんな記事も作られます。

◆【吉沢 亮のGathering in the Light no.10】MIKA OHMORI/大森美香(→link

自信たっぷりですね。

脚本は手直しだらけでギリギリまで遅れ、そのせいで現場はいつも大慌てだったそうです。

ガイドで事前公開されているシナリオがかなり変わっていましたもんね。

幕末の基礎的な知識、歴史への興味関心がないからそうなるのでしょう。

中身がないのに空気だけを演出する。そんな戦術は【エコーチェンバー】を形成します。

それゆえ【エコーチェンバー】の宿痾もつきまとった大河でした。

チェンバーの外にいる者、こと私のように口が悪いものは、執拗に、攻撃的に、尊大な態度で絡まれる。

今年は色々ありました。自業自得の部分もあるとはいえ、どうしたものでしょう。

確かにハッシュタグをつけて盛り上がるのは楽しいかもしれませんが、人の思考に自分の思考を過剰に沿わせてしまう危険性はあります。

スマホをおいて、ハッシュタグを使わず、純粋にドラマを楽しむことも必要ではありませんか?

胸がぐるぐるする、そんなおかしれぇ時間も終わりました。

来年はもっと地に足がついた年が過ごせるよう願ってなりません。

この大河で学んだ歴史が危険だということだけは老婆心ながら申し上げておきたい。

そして最後に、来年の『鎌倉殿の13人』はますます盤石だとわかりました。

◆ 小栗旬主演の次期大河 徹底したハラスメント対策で良好な撮影現場に(→link

ハラスメント対策は、要するに“仁”。つまりは思いやりです。

仁がある現場ということは、きっと士気も高く、よいものを作れることでしょう。

天晴!

私は何の心配もしておりません。やっとこう言える。『麒麟がくる』以来だ。

私たちも大河を見習うべきかもしれない。くだらない誹謗中傷をしている場合じゃない。来年が本当に楽しみです。

私も何もネチネチ言いたいだけではない。

墨子も言っておりました。

桃や李(すもも)をくれる相手がいたら、あなたもかぐわしい果実を返しなさいと。

来年は、ずっと芳しい果実を投げる日曜でありたい!

その願いは叶うと信じています。

※著者の関連noteはこちらから!(→link

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文:武者震之助note
絵:小久ヒロ

【参考】
青天を衝け/公式サイト

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