燃え盛る本能寺で自害へ追い込まれる織田信長。
大河ドラマ『豊臣兄弟』の第28回放送は本能寺の変後が舞台です。
明智光秀や、羽柴秀長、さらには秀吉や細川藤孝はどんな動きをするのか?
史実と照らし合わせながら、さっそく振り返ってみましょう!
そりゃ信長の首は見つからんて
本能寺の焼け跡で、明智軍が懸命に信長の首を探しております。
首が見つからない、ということは信長の死は確定されない。
「もしかして生き延びたのでは?」
そんな疑問が少しでも残っている限り、光秀に味方する諸将は現れにくく、明智軍は窮地に立たされることでしょう。
斎藤利三が「思ったよりも火の回りが早く……」と嘆いておりますが、

そりゃアナタ、自ら火矢を放っていたからではありませんか?
史実における本能寺の炎は、乱戦の中で明智軍が火を放ったという説と、信長自らが火をつけたという説があり、映像作品にする場合、どちらで描くかは作り手のお好み次第。
だからこそ、信長に火を付けさせたほうが、信長も利三も賢く見えたと思います。
なんせ劇中で信長の首は、明智軍にとって生命線として描かれている。
火矢などぶっ放すことなく、できるだけ信長の身柄(遺体)を確保するような作戦を考える必要があったはず。こういうことを事前に光秀に語らせて欲しいんですよねー。
「さすが光秀、こんなときでも冷静!」となって知力も上がるじゃないですか。
今は正直、62ぐらいに見えています(100点満点中)。
やっぱり光秀の動機がわからない
それにしても、です。
なぜ光秀は本能寺の変を強行したのか?
足利義昭から「もう関わらんでくれ」と見放されたことでブチ切れ、「敵は本能寺にあり!」とイキんでおられましたが、どうにも繋がらないのです。

先週は、所用で第27回レビューをお休みしてスミマセンでした。
時間もありましたので、一週間、光秀の動機を考えました。
でも、やっぱりわからない!!!
最終的には、足利義昭の「もう関わらんでくれ」という言葉が直接的なキッカケに見えました。
しかし、なぜ、あの台詞で信長を討とうと思うに至るのか。それが本当に意味不明。
仮に、義昭の言葉で光秀の心が動かされるとしたら、以下のような台詞のほうがシックリきません?
「ワシには、光秀しかおらんと思っていた。今もお前のことを心から信頼しておる。きっと信長を倒してくれると信じている」
まず大前提として……足利義昭はずっと信長を憎んでいるはずです。
京都を追い出されて備後の鞆(とも)に落ち着いた後も、全国の諸勢力へ「打倒信長」の書状を送りまくっていた。
本気で信長を殺したい。
だとしたら、その身近にいる光秀に討ってもらうのが確実なようにも見えません?

なのになぜか「もう関わらんでくれ」とか言ってくる。そこが意味不明。
その義昭からの書状を偽っていた織田信澄も、急速に萎んでしまいましたしね。
挙兵したかと思ったら、ソッコーで敗北。
一体なんなんだ!
どうせ史実無視で進む物語ならば、信澄も安土城入りさせて、山崎の戦いに参加させればよかったのになぁ。
こりゃもう私には理解できない案件ということで、次へ進みましょう!
家康の伊賀越えではない“神君船旅”
ドラマの中で、本能寺の変が勃発したとき、堺にいたのが徳川家康です。
安土城で信長に接待を受け、その後、堺を見物するため、本多忠勝などわずかな手勢だけを引き連れて来ていたのです。
信長討たれる――その凶報を聞いた家康は、気だるそうな表情で言います。

「あの信長が討たれるとはね~。伊賀から帰ろう」
家康は、津田宗及から砂金を受け取るとそう告げながら、宗及の部屋を出るやいなや石川数正と本多忠勝にはこう伝えます。
「船を使うぞ」
宗及のことを全く信用していない。
わざと「伊賀から帰る」と嘘をつきました。
実際、家康の警戒感は正しく、宗及は家康の動向を明智軍に密告するよう手下の者に伝えています。
結果、“神君伊賀越え”がまさかの“神君船旅”に……すごい展開だなぁ。
確かに、不思議ではあります。
なぜ史実の家康は、堺から船で三河を目指さなかったのか?
必死の思いで陸路で伊賀を越え、伊勢に入ってからは船を使って岡崎城まで戻っています。
だったら「最初から船を使えよ!」となりますよね。
しかし、ここに小さな勘違いがある。
船は、使いたくても使えない状況でした。
なぜなら家康が、本能寺の変の一報を聞いたのは堺見物を終え、再び京都を目指している途中のことだったからです。
その場所は飯盛山(あるいは守口)辺りだったと目され、
堺のように、すぐ船に乗れる場所ではない。
なんなら東方面の伊賀山中へ入ったほうが安全ではなかろうか? というわけで東へ進んだのだと思われます。
伊賀には「天正伊賀の乱」で家康が助けた者も数多くいて、今こそ頼るタイミングと考えたのでしょう。
しかし、このときの家康一行は、従者なども含めると数百名単位にのぼり、実際、何度も落ち武者狩りの土豪や百姓に襲撃され、200名ほど殺されたともされます。
そもそも当時は、普段から道中の移動は非常に危険で、賊に襲撃されることも珍しくありません。
ましてや明智軍がクーデターを起こした直後の織田領内など、どこを歩くにしたって危険で仕方ない状況。
明智軍なんかより畿内一帯の百姓のほうが恐ろしいという現実がありました。
中国大返しのリアル
信長が討たれた――。
備中高松城を包囲していた秀吉のもとに、信長横死の一報が届けられます。
ドラマの秀吉は頑なに信じようとせず、やがて「上様は生きておられる!」と独自の解釈で立ち上がり、毛利方・安国寺恵瓊との和睦をまとめました。
このときの秀吉は、良かったですねー。
今まで、大声を張り上げるたびに陳腐だなぁと思っていたのですが、今回は急にトーンと落とした声で、和睦を結ばないと自分が罰せられると淡々と説き、最終的には毛利軍の旗指物まで入手しました。
小六や官兵衛のフォローもあってお見事。
「走って走って走りつづけよ!」
その後の、乗馬シーンの不慣れ感は……もう仕方ないっすね。

彼らの乗馬シーンは、今回が初めてでは? いわゆる「中国大返し」として知られる羽柴軍の有名エピソードの始まりです。
備中高松城から畿内(山崎合戦の地)まで。
約200km以上の距離を凄まじい速さで進軍したため、明智光秀や諸勢力も驚き、秀吉快勝!というものです。
しかし、この進軍の速さをめぐっては、近年は「従来言われたほど無理な進軍ではない」という見方が有力です。
天正十年(1582年)6月4日に清水宗治が自害。
それを自分の目で確認した秀吉が同日から京都を目指し、明智軍と山崎で戦ったのが9日後の天正十年(1582年)6月13日です。
仮に5~11日までを移動日に当てても7日間で200kmですから、それほど大きな無理はありません。
一番の驚きは、秀長(小一郎)が隠れている遊郭に細川藤孝がやってきたことでしょう。
細川藤孝が都入り?
明智光秀の娘である明智たまは、細川忠興の妻(細川ガラシャ)となっていました
そして細川忠興の父である細川藤孝が、今回、秀長のもとを訪問します。
文武両道の名門武家が、こんな非常時に京都の遊郭までやって来るのかなぁ……。
当時の藤孝は、ドラマの中でも「丹後宮津城主」と記されていたように、都から110kmほど離れた宮津城にいたのです。
徒歩なら3~4日、馬なら1~2日という距離感でしょう。
ただし、それは落ち武者狩りなどに襲われず、非常に速い移動ができたという前提の話で、今の時期にわざわざやってくるには相当な理由が必要となりましょう。
そんな状況の細川藤孝に向かって「光秀を救うすべはないか?」と、素っ頓狂なことを真顔で語る小一郎。
頭、ぶっ壊れてんのか!
私は一瞬、本気でそう思ってしまいましたが、さすが藤孝さんは名門武家のお育ちだけあって、冷静に淡々と答えます。

「明智殿は、いっときの情で謀反を起こすような男ではない。強靭な覚悟と確かな勝算があってのこと」
すごく説得力あるように聞こえます。
しかし、実際どうなのか?
光秀の勝算というのは、この細川藤孝に味方になってもらうことが前提のようにも見え、かなり見積もりが甘いようにも感じます。
そもそも、こんなことを言っている藤孝本人が明智光秀に対して、シレッと
「出家するから協力できません」
とか言っちゃうんですよ!
光秀の確かな勝算はどこ行ったんですか!!!
結果、光秀は窮地へ追い込まれていきます。
その背後には「秀長の藤孝説得」があり、「秀長スゲー!」という構図があったんですね。
兄弟の再会
孤立した明智光秀は勝龍寺城で羽柴軍の迎撃を宣言。
一方、秀吉と秀長は、尼崎城で再会します。
織田信長の死という衝撃は、そう簡単には受け止めきれないのでしょう。
2人が号泣するのはいいのですが、さすがに殴り合いは止めて欲しいかなぁ。
もう、秀吉は48才で秀長は45才ぐらいで、間もなく自然死を迎えてもおかしくない年齢です。
今でいえば65才とか70才を超えた者たちの殴り合いとなりましょう。
大声!
泣いて鼻水!
殴り合う!
本作の演技は基本このフォーマットですが、今回、秀吉が毛利との和睦交渉で見せたスン!とした表情は非常に良かった。

できれば知力の高い秀吉が見たいのです。
知力こそ秀吉最大の個性なわけで、それを望むことすら史実厨と批判されると、さすがにこれは困ったものであります。
なお、史実の明智光秀が本能寺の変を起こしてから死を迎えるまで、どんな展開だったのか?
それは以下の記事をご覧いただければ幸いです。
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光秀最期の11日間|本能寺の変を起こし秀吉に敗れるまで何をしていた?
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参考文献
- 柴裕之編著『図説 豊臣秀吉』(2020年 戎光祥出版)
- 藤井讓治『織豊期主要人物居所集成』(2016年 思文閣出版)
- 福島克彦『明智光秀―織田政権の司令塔』(2020年 中央公論新社)
