フン族アッティラ

アッティラの復元像/photo by A.Berger wikipediaより引用

世界史

歴史上最も凶悪な男フン族のアッティラが欧州人に恐れられるのはなぜ?

フン族のアッティラ――。

その名は、ヨーロッパの人々にとってのトラウマです。

「歴史上最も凶悪な男」と評価する者もいるほどで、凶暴で強引な人物を形容するとき、苦々しげに舌打ちしつつ、

「あいつはアッティラだ!」

なんて形容することもあります。

当時の人々は、アッティラは神が堕落した人に下した罰だと信じました。

「神による災い」「神の鞭」というのは、そうした考えから生まれた呼び名です。

※BBC『ウォリアーズ 歴史を動かした男たち』アッティラ予告編→link

しかし奇妙なことに、それほど恐ろしい一族とその王が何者であったのか? それすらハッキリとしていません。

5世紀の欧州を震え上がらせたアッティラとは何者か?

どれほどの災厄をもたらしたのでしょう。

 

人ではない何かが襲来する

当時のローマ人はじめヨーロッパの人々は、恐怖のあまり彼らをまるでゾンビのように形容しました。

・馬に乗るためガニ股になった脚

・小柄で筋肉質の肉体

・細い目

・幅の広い鼻

・ボサボサした黒い髪の毛

身につけた衣服は、小動物の皮から出来ていました。

この毛皮製の粗末な服を、ボロボロになって朽ち果てるまで、彼らは身につけているのです。

アッティラの復元像、アジア系として作成された例/photo by Peter d'Aprix wikipediaより引用

清潔なトーガや美しい甲冑を身につけるローマ人からすれば、恐ろしい格好にほかなりません。

さらに彼らはスカリフィケーションを顔面に施していました。顔の皮膚を赤ん坊のうちに傷つけ、模様にする技法です。

彼らの馬は痩せて、馬の屍が走っているようでした。

その馬と一体になったフン族は、ケンタウルスのようにも見えるのです。

ローマ人にとってフン族は、ただの異民族ではなく、現代人にとってのゾンビのような、得体の知れぬ集団がわさわさと襲ってくるような恐怖感がありました。

4世紀、ローマ人の中には、フン族が来るという噂を聞いただけで恐慌を来たし、避難する者すらいました。

しかし彼らの恐慌は杞憂でした。

フン族はローマに到達することはなかったからです。

そう、アッティラの登場までは……。

 

ブレダとアッティラ

434年、フン族の首長ルアが死去し、後継者として二人の甥が指名されました。

44才前後のブレダと、28才前後のアッティラ。

二人は対立することなく協力して部族を従えていました。

アッティラとブレダのイメージ/illust by Tulipán Tamás wikipediaより引用

ブレダはさして功績を残すこともなく、445年頃に事故死しております。

兄弟が真っ先にしたことは、ローマを脅しつけて和議の金を引き出すことでした。

彼らはマルゴス(現ポジャレヴァツ)で帝国使節団と交渉。多大な要求をつきつけたのです。

・およそ260キログラムの黄金(以前の要求から倍増)

・フン族脱走兵の引き渡し

・フン族の捕虜となってその後脱走したローマ兵の返還あるいは買い戻し

・フン族と敵対する部族とローマ帝国間の同盟禁止

・フン族とローマ帝国の交易における規制撤廃

高圧的で屈辱的な条件を、東ローマ皇帝テオドシウス2世は受け入れます。

ローマ側から返還されたフン族の少年2名は、即座に十字架に磔とされました。

彼らは反抗的な一族出身の王子だったのです。

 

崩れゆくローマ帝国

ローマ帝国の決断は、果たして正しかったのでしょうか?

フン族は、その後も撤退しようとはせず、ヨーロッパ大陸をうろつき回りました。

一度条件に屈したからには、また搾り取れると思ってしまったのです。

「貢ぎ物が足りないだろ」

「まだ脱走兵を帰していないだろ」

「お前ら、俺たちの先祖の墓を荒しただろ」

いくつもの難癖をしつこくつけ続け、441年まで脅迫は続きます。

武装した者が誰もいない修道院は格好の餌食。

多くの修道士と修道女が惨殺されました。

その悪辣さが「神による災い」「神の鞭」と呼ばれたのです。

広く豊かなローマ帝国は、危機に瀕していました。

穀倉地帯である他の属州でも反乱が起こり、その対処のために兵を動員せねばならなかったのです。

この時期はローマ帝国の各地で、綻びるように反乱が続発。

帝国弱体化の表れとも言えるでしょう。

フン族はオーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ロシア南部まで進出し、勢力拡大を続けていきます。

年と共に欧州を制していくフン族の侵攻/map by Stw wikipediaより引用

はじめの協定から2年間で、ローマの差しだす黄金は400キログラムに増加。

これに賠償金を加算すると、さらに2000キロの追加が必要でした。

それだけあれば黄金を身につけ、金銀の皿で食事をしてもおかしくない。

しかし、ローマの使者が見たアッティラは、いたって質素な木の食器で食事をしました。定住しようとする気もありませんでした。

彼らはライフスタイルを変えることなく、ただ嵐のように略奪と殺戮をするだけ。

それだけに、付け入る隙もなかったのです。

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