ベルギーのレオポルド2世/wikipediaより引用

欧州 アフリカ

コンゴ自由国は自由どころかガチ地獄~天然ゴムのため虐待殺戮される住民たち

「名は体を表す」

そんな言葉がある一方、世の中には実態とかけ離れたものがたくさんあります。

本当はゴリゴリの独裁国家なのに、“民主ナンチャラ”とか“人民ナンチャラ”など聞こえの良い国名にしてしまうとか、そういうパターンですね。

かような例の中でも、世界史的にぶっちぎって「名と実」のかけ離れた国がこちら。

コンゴ自由国

そこにあるのは自由どころか、切断された手足だらけという、恐るべき歴史が残されていたのでした。

 

スタンリーのアフリカ探険が全ての始まりだった

時は19世紀――ヨーロッパは探険ブームに沸いていました。

未踏の地(といってもあくまでヨーロッパ人にとってですが)を旅して、見聞を広め、あわよくば植民地なり交易品なりを獲得できればラッキー、というわけです。

1841年、ウェールズ出身のヘンリー・モートン・スタンリーもそうした野心を抱いた探検家の一人でした。

貧しい家庭に生まれ、一時期は救貧院で過ごしたこともある苦労人です。

文才と好奇心を生かしてジャーナリスト、そして探検家となったスタンリーは、1870年アフリカ奥地で消息をたっていたデイビッド・リビングストン博士捜索隊に参加し、見事発見に成功しました。

ヘンリー・スタンリーとアフリカ先住民の少年

一役、時の人となったスタンリーは、さらに野心を燃やします。

アフリカ大陸こそ、俺の栄光の土地なんだ、というわけですね。

探検で留守にしたせいで、婚約者が別の男と結婚してしまったという、悲しいニュースも彼の野心をさらにあおったのかもしれません。

スタンリーはザイール川流域を探険し、その紀行文を発表。

彼は、このザイール川流域・コンゴ盆地を探険し大興奮でした。

「資源と可能性を秘めた広大な土地だ! ここを我が祖国イギリスの植民地にすればいいじゃないか!」

 

「植民地も場所を選ぶ時代なのよ」

しかし、待っていたのは祖国の無情でそっけない対応でした。

「コンゴねぇ……。あのね、スタンリーさん、アフリカ黄金時代なんてもうとっくに終わっているんですよ。しかも大陸ど真ん中、一年中暑いじゃあないですか。植民地に向いているのは海沿いで気候が温暖なところなんですよ」

植民地というのはともかく取ればいい――そんな時代は終わっておりました。

維持管理して確実に黒字が出るようにしなければならない。

なかなかシビアなもので、イギリス政府は、気候が比較的温暖な南アフリカや、到達が楽な海岸部に興味が集中していたのです。

それがアフリカのど真ん中だなんて……。探険する以外、用はない!

と、少し砕けた言い方にしすぎましたが、他国も含めたヨーロッパでは「アフリカは別にいいや」という態度でした。

スタンリーはイギリス政府の冷たい反応に納得がいかず、新聞に社説を発表する等、コンゴ獲得キャンペーンを行います。

しかしイギリスの中産階級を中心とした人々は「維持するのに赤字になるような土地取って、どーすんねん」と冷たい反応ばかり。

うぐぐ……と悔しがるスタンリー。どうにかしてコンゴに関心を向けるため、だんだんと言うことも大げさになってきます。

と、そこへ興味を示すある人物が現れます。

「アフリカのど真ん中に植民地? いいねえ、ビッグなドリームだねえ」

ベルギー国王レオポルド二世。

コンゴの悪夢は、この二人の出会いから始まりました……。
※続きは【次のページへ】をclick!

次のページへ >



-欧州, アフリカ

Copyright© BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) , 2020 All Rights Reserved.