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【デジレ・クラリー】
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三拍子揃ったナポレオンの対抗馬、現る
一方的に別れを告げられたデジレは、悲しむ手紙を送ったものの、気持ちを切り替えるしかありません。
考えてみれば、まだギリギリ二十歳前後。また別の一歩を進めばいいだけじゃない。
そう思ったところで、再び不運に見舞われます。姉夫婦とローマに移住し、そこで縁談がまとまりかけたところで、相手が急死してしまったのです。
1798年、結局、デジレはフランスに戻り、ボナパルト家の一員のような扱いで暮らしていました。
そこにはあのジョゼフィーヌもいるわけで、内心いろいろと複雑ではあったでしょう。
この頃、ナポレオンはある男の処遇について頭を痛めていました。
ジャン=バティスト・ベルナドット将軍です。彼は出世に伴い呼び名も変わりますが、本稿ではベルナドットで統一します。
ベルナドットは革命で大出世を遂げた、典型的な叩き上げ軍人でした。
弁護士の父のもとに生まれるものの、幼くして父を失い海兵隊に入り、革命に遭遇して電撃出世。
他人の下につくことを潔しとはしない、独立精神旺盛で意志強固なガスコン(ガスコーニュ地方の人)でした。
軍事的才能、騎士道精神、そして野心。三拍子揃った彼はナポレオンの対抗馬とみなされ、反ナポレオン派から担ぎ出されそうな、潜在的脅威でもありました。
何とかうまくベルナドットを懐柔できないものか。
悩むナポレオンに、母のレティツィアは助言するのでした。
「母さんに名案があるよ。ボナパルト一家に組み込んでしまえばいい。デジレの夫にしてしまいなさい」
ボナパルト家は、コルシカ人らしい思考回路を持っていました。
身内以外は信用しない反面、家族になれば信頼できる。そう考えていたのです。
実力もあり、脚もキレイ♪「美脚軍曹」ベルナドット
一方、当時の女性としては晩婚になりつつあり、二度も婚約が破談になったデジレにとっても、悪くない話。
しかもベルナドットは実力もあり、なかなかのイケメンです。
彼は当時の美男に求められる条件である脚線美の持ち主でした。
女性が長いスカート、男性がぴったりとしたズボンを履いていた当時、脚線美を求められたのは男性だったのです。
ベルナドットの長く均整の取れた脚線美は「美脚軍曹」とあだ名され、羨望の的もありました。
肖像画を見ると、確かに脚のラインはシュッとしています。
デジレは脚線美以上に、ベルナドットの性格が気に入ったようでした。
「誰もがナポレオンの顔色をうかがっているのに、彼ははっきりノンって言うじゃない。そういう強さがいいわね」
前述の通りボナパルト家は家族主義ですので、妹を部下に嫁がせたり、部下を片っ端から縁談を紹介したりしていました。
そんな部下の一人でもあるベルナドットにしても、デジレを強く断るほどの理由はありません。断ってもどうせまた誰か紹介されるだろうし、年齢的にも悪くない、気立てのいいお嬢様のようだし……と。
ただし、この結婚にはデメリットもたっぷりありました。
結婚後もデジレは、姉ジュリーやボナパルト家の面々の元に遊びに行き、そこで世間話に花を咲かせるわけです。
要は、ベルナドットの行動は、妻デジレによって筒抜けになるワケでして。しかも彼女は、姉やボナパルト家から「あなたの夫にこう言った方がいいよ」と聞かされると、素直にそれをベルナドットに言ってきます。
まるでボナパルト家にリモートコントロールされているようなものです。
まずい……これじゃあナポレオンに絶対逆らえないじゃあないか!
ベルナドットがそう気づいたところで後の祭り。我慢できなくなったベルナドットは妻に切りだします。
「あのさあ、デジレ。あんまり俺のことボナパルト家でぺらぺら喋って欲しくないんだよなぁ」
「別にたいした話なんてしていないわよ」
「でもなあ、デジレ。お友達は他にもいるだろ。きみとお話できなくて、彼女らも寂しいんじゃあないかな」
「それもそうかな。じゃあスタール夫人の所にでも行こうかしら」
夫の言うことを割と素直に聞いてくれるの幸いなところ。
デジレはお嬢様気質で素直な性格でした。
処罰したらデジレが泣くよなぁ……ええいっ、くそっ!
実のところ、この結婚を後悔することになるのは、ベルナドットではありませんでした。
フランス皇帝となったナポレオンのもと、ベルナドットも姻戚として元帥の地位にまでのぼりつめ、出世を果たします。
それではさぞやナポレオンに感謝したかというと、その逆でした。
「あーあ、独裁者じみたアイツのもとで働くなんてやってられない」
ベルナドットはそう不満を感じ、批判すら口にするようになります。
その一方、彼の騎士道精神を持ち味とする性格には磨きがかり、部下を大事にし、捕虜を人道的に扱うところも高い評価を得ました。
ナポレオンは優れた才能を持つ一方で兵士の扱いは悪いという批判もありましたので、そこがベルナドットには許せなかったのかもしれません。
そんなベルナドットの人気が最も高かったのがスウェーデンです。
1806年と1809年には、捕虜にしたスウェーデンの将兵を丁重に遇し、武器を返して、自腹を切って本国まで送り届けました。
帰国したスウェーデンの将兵はこう語ります。
「フランス軍には中世の騎士道物語を地でゆくような、偉大な将軍がいる。あれほど高潔な御方はそうはいない」
ベルナドットの行為に、全スウェーデンが涙。
「ベルナドット様ブーム」が起きたほどです。
一方で、同僚からは「たいしたことがない奴のくせに、皇帝の身内扱いだから出世したカス」扱いのベルナドット。彼のやる気のなさは何度も批判の対象となりました。
ナポレオンも怒りに震え、処遇しようとするのですが、その度にデジレの顔が浮かびます。
「またデジレを泣かせるの? ひどい……」
アイツは気に入らないけど、処罰したらデジレが泣くよなぁ。ええいっ、くそっ!
そう思い、ベルナドットを始末できないナポレオン。
それでも1809年、大敗の原因を作ったとしてようやく指揮権を取り上げることに成功します。
デジレの涙目もチラついたことでしょうが、気に入らない男を追いやり、やっとスッキリしたのでした。
捨てるフランスあれば、拾うスウェーデンあり
指揮権を取り上げられ、軍人としてのキャリアが終わったベルナドット。
ナポレオンに捨てられた彼に、意外な申し出が届きます。
「スウェーデン国民一同、あなたを是非とも次期国王として、王室に迎えたいのです」
なんだかふってわいたような話ではありますが、これには理由がありました。
スウェーデンの老王カール13世には世継ぎがおらず、このままでは大変な問題になります。ロシアはじめ隣国の干渉も予測されます。
どうせ他から迎えるならば、最強のフランス皇帝ナポレオンに近い一族から世継ぎを迎えるのが安全策でもあり、かくしてスウェーデンから使者がフランスにやってきたのです。
「皇帝陛下のご一族でも並外れて人格高潔、騎士道精神にあふれた御方といえばあなたしかおりません。あなたのような国王を迎えられるなんて、これに勝る幸運はありません!」
ベルナドット様ブームに沸いたスウェーデン人がこう考えるのは、当然とも言えました。
いやあ、俺、捕虜に親切にしてよかったなあ。「情けは人の為ならず」を地でいく展開です。
しかし、ナポレオンは気に入りません。
「なにぃ、あいつをスウェーデン国王? 他に適任者はいるだろ」
ナポレオンは面白くなく、ジョゼフィーヌの連れ子のウジューヌら従順な一族、軍人に声を掛けるものの、皆、顔を曇らせます。
「スウェーデン国王の座は魅力的ですが、改宗はちょっと……」
スウェーデン国王になる条件として、カトリックからプロテスタントへの改宗があったため、皆尻込みしてしまうのです。
こうなるとナポレオンとしても渋々黙認せざるを得ません。
「まあ、あんな奴でも一応は家族だ、一族の名誉になると考えればいいか。どうせスウェーデン議会が却下するかもしれないわけだし」
ナポレオンだけではなく、デジレは複雑な心境です。泣いて夫に抗議します。
「家族やお友達と離れて、寒い外国で暮らすなんて。言葉もわからないし」
姉・ジュリーはじめ、ボナパルト一族の女性たちが王冠を被る中、デジレはそれを羨んでいませんでした。
彼女は王冠よりも、パリでお友達と仲良く暮らす方が大切なのです。
デジレだけではなく、オーストリアのメッテルニヒのような政治家もこの話には懐疑的でした。
「外国人、しかも平民出身者に王冠をかぶせて、それで国民が納得するかね……」
しかし、千載一遇のチャンスを前に野心を滾らせていたベルナドットに断る理由などありません。
振り返ってみれば、革命が起こった若い頃、ベルナドットは二の腕に「王侯貴族はくたばれ」と刺青をしていました。その時はまさか、自分が王冠を被ることになるとは思わなかったでしょう。
スウェーデン議会は全員賛成でベルナドットを後継者とすることを可決。
1810年、かくしてジャン=バティスト・ベルナドットは、カール13世の養子でありスウェーデン王太子であるカール・ヨハンとなったのでした。
スウェーデンで対面したカール13世夫妻も、ベルナドットの人柄に惚れ込みました。
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