非業の死を遂げたはずの◯◯が実は海を渡った✕✕で生きていた――。
そんな伝説(という名のトンデモ説)、一度や二度は耳にしたことがおありでしょう。
古くはキリストの墓が青森にあるとか、源義経がモンゴルに渡ったとか、あるいは豊臣秀頼やルイ17世、ロシアの皇女アナスタシアなんてものもあります。
まぁ、こうした生存説は、大衆のロマンや願望が独り歩きしたものに過ぎません。
しかし、こうした伝説でも、時に歴史を動かすことがあります。
ロシア・イヴァン雷帝(1530-1584年)の末子ドミトリーが好例。
1591年5月15日に亡くなると、その後、同人物を名乗る偽ドミトリーが実に三名も現れたのです。
なぜ、そんなことになってしまったのか?事の経緯を振り返ってみましょう。

イヴァン雷帝と7番目の妻マリヤ・ナガヤとの息子ドミトリー/wikipediaより引用
ヒャッハー系ツァーリ イヴァン雷帝!
ロシアのツァーリ(皇帝・君主)といえば、ピョートル大帝はじめ、強烈な個性の持ち主が多いものです。
そんな中でも突出していたのがイヴァン雷帝。
幼くして両親を失ったイヴァンは(母は毒殺)、有力貴族たちに囲まれ、醜悪な権力闘争にさらされ続けながら育ちました。
当時のロシアでは、撲殺や幽閉、生きたままの皮剥ぎなど、聞くに堪えない拷問や殺害が平然と行われており、イヴァン自身も有力貴族シュースキー一族からネグレクト同然の扱いを受けていたほどです。
こんな調子でマトモな情緒を持ち合わせるハズがなく、イヴァン雷帝は残酷な性格に育ちます。
友人に暴力をふるったり、犬猫を惨殺したり。13才のときには、無礼な態度を取った有力貴族アンドレイ・シュースキーを飢えた猛犬の群れに投げ込むという凶行まで演じております。
そんなイヴァンを変えたのが、心優しき妻アナスタシアでした。
彼女のおかげでイヴァンはかなり穏やかな性格になりました。6人の子供にも恵まれ、そのまま温かい家庭が続けば、後の悲劇も起こらなかったでしょう。
しかし平穏は続きません。
残念ながらこのアナスタシアは、1560年に病死してしまうのです(生年不明)。
イヴァンは、彼女が『毒殺されたのではないか』と疑い、タガが外れてしまいました。
黒装束に身を包み、黒い馬にまたがった、恐怖の軍団
イヴァンは、犯人だと思われる貴族を拷問し、苦しませながらゆっくりと殺しました。
このとき暗躍したのがツァーリ直属親衛隊「オプリーチニキ」です。
黒装束に身を包み、黒い馬にまたがった、恐怖の軍団。
オプリーチニキの馬の鞍には獣毛で作った箒と犬の首がくくりつけられており、「ツァーリの敵を掃きだして噛みつく」という意味が込められておりました。
彼らは反乱の疑いがあるとみなした貴族や平民を虐殺して回ったのです。
こうしたイヴァンの短気は、取り返しの付かない悲劇を引き起こします。
彼は、同名の皇太子イヴァンの嫁エリナを嫌っていました。
妊娠したこの嫁が、ロシア正教会の定めた妊婦服ではなく、薄着であることに激怒し、殴る蹴るの暴行を加えて、流産させるのです。
激怒した皇太子は、当然ながら父に猛然と抗議しました。
が、その態度に逆ギレすると、鉄鉤のついた杖で息子の頭部を滅多打ちに……。
我に返ったイヴァンが目にしたのは、息絶えて血の海に横たわる我が子の姿でした(その姿を描いた絵画はこちら→link)。
喉を切られて死んでしまった本物のドミトリー
イヴァン雷帝の死後、ロシアの有力貴族は大打撃を受けていました。
英邁であったイヴァン皇太子が父親に殺されてしまい、残されたのは無害で無力な皇子たちだったのです。
父の跡を継いだのは、実に無害なフョードル一世でした。
実質的に政治の実権を握っていたのは、妃イリナの兄ボリス・ゴドゥノフ。
うまく取り入ったつもりのボリスには、大いなる誤算がありました。
フョードル一世と妹イリナの間に、子が生まれなかったのです。
甥の後見人として権力の座に居続けたい彼にとって、これは困ったことでした。このままでは次のツァーリを、フョードル一世の異母弟ドミトリーに取られかねません。
幼いドミトリーは、ゴドゥノフによってウグリチに追放されてしまいます。
そして1591年5月15日、庭で遊んでいたドミトリーは、喉を切られて死亡している姿で発見されました。
焦ったのはゴドゥノフでした。
彼はそこまでするつもりはありませんでしたが、状況からして、どう考えても彼の仕業にされることでしょう。
しかし、調査結果は驚くべきものでした。
「ナイフを持って遊んでいたら、てんかんの発作が起きて喉を切ってしまった」
って、んなアホな!
もちろん当時の人だって、誰もそんな話を信じませんでした。
現在では「ナイフ投げ遊びをしていて、刃を自らに向けた状態ならばありえる」というのが有力視されています。
偽ドミトリー一世登場! そして人間大砲に
1598年、ドミトリーの死から7年後、フョードル一世は子のないまま崩御しました。
これによりリューリク朝は断絶。
ゴドゥノフがボリスとしてツァーリとなります。
しかし、幼いドミトリーを殺したとみなされたボリスの人気は極めて低調でした。
それから二年後。
日本では関ヶ原の戦いがあった、1600年頃。
「ドミトリーが生きていた!」
そんな噂が流れました。
やがて噂は「真実であり、ポーランドが彼の支援をしている」という話まで広がっていきます。
折しもロシアは、大変な飢饉に苦しんでいた時期であり、ボリスの悪行への報いだと当時の人々は見なしていました。
そして、イヴァン雷帝の数々の悪行も、幼いドミトリーが見せていた残虐な性質の片鱗も綺麗サッパリ忘れてしまい、その自称息子を待ち望むようになったのです。
ボリスは偽デミトリー一世の軍に圧倒されるうちに、幼い息子フョードルを残し、1605年に崩御。
続けて即位したフョードル二世とその家族は、暗殺されます。
代わりに帝位についたのは偽ドミトリー一世でした。
彼はなんと、公式調査を行い「殺されたドミトリーは身代わりだった」という結果を流布させるのです。
かくして偽ドミトリーはポーランド王女マリナ・ムニシュフヴナと結婚。
ボリスの娘であり、フョードル二世の姉で美女と名高いクセニヤを妾とし、慰み者にしました。
しかし偽ドミトリー一世は、あやまちを犯しました。
妻マリナのカトリック信仰を認め、ロシア正教会に改宗させなかったのです。
さらに多くのカトリック・ポーランド人も擁護しました。
こうした態度が「偽ドミトリー一世は、宗教をないがしろにする」として見なされ、戴冠式の翌1606年、暴徒が寝室へ侵入。
あわてて窓から飛び降りて脚を骨折した偽ドミトリーは、呆気なく殺されてしまうのです。
燃やされた遺骸はさらし者となり、共同無名墓地に埋蔵されました。しかし……。
「ドミトリー様の墓には奇跡があるらしいぞ」
そんな噂が広まります。
これはまずい。遺体は掘り返され、焼かれ、火薬と混ぜられ、大砲に詰められ「人間大砲」とされ、ポーランドへ撃ち返されました――って、凄まじい対応で言葉を失いそうになりますね。
他にも、この偽ドミトリー一世に巻き込まれ、多くのポーランド人が殺害あるいは追放されました。
ある放浪者は言った「ドミトリーは生きている。私だ」
この手の偽物話は、一発ネタ勝負であり、二人目となると「いやいや、そらありえへん」と思いますよね。
ところが、さすがのおそロシア。二人目が出てくるんですねぇ。
名付けて偽ドミトリー二世です。
偽ドミトリー一世の死後、帝位についたのはヴァシーリー四世でした。
これが食えない男でして。本物のドミトリーの死をボリスに報告して、彼の家臣となりながら裏切り、偽ドミトリー一世に仕えました。
ところがまだ裏切り、今度は偽ドミトリー一世は偽物であると糾弾して、暗殺の引き金を引いた男だったのです。
そんなヴァシーリー四世による治世の1607年。
ある放浪者がこう主張し出し始めます。
「ドミトリーは生きている。私だ」
これまた凄まじい主張ですが、たとえ放浪者でも、もともとの見た目がイケていれば、ギャップで雰囲気を醸し出してしまうのかもしれません。
綺麗な服に着替えて、ピシッと髪を整えた彼は、なんだか高貴な身分の人物に見えたと言います。
いや、どう考えても偽物なのですが……民衆は、熱狂と共に彼を歓迎したのですから、意味不明というほかありません。
そして、この偽ドミトリー二世がトゥシノに宮廷を作ると、人々はヴァシーリー四世を見限り、トゥシノに移動して行きました。
しかも、です。その中には偽ドミトリー一世の妻であったマリナもいました。
マリナは偽ドミトリー二世に面会すると「彼は私の夫です」と宣言、結婚してしまうのです。
いや、もうほんとに何がなんだかワケがわかりません。
かくして偽ドミトリー二世は、ポーランドの支援を受けてモスクワに進軍。
進軍したまでは良かったですが、しょせん偽物に対する民衆の熱狂など移ろいやすいものだったのでしょう。
間もなくポーランドの支援を失った偽ドミトリー二世は、トゥシノからも去ることになり、恨みを持った取り巻きによって射殺されました。
1610年のことでした。
マリナとの間にいたドミトリー二世の遺児は、三歳で絞首刑とされています。絞首刑にするにも体が軽過ぎたため、引っ張ったという伝説が残されています。
これ以上、偽ドミトリーはいらない! という三世伝説阻止のための措置でしょう。
しかし……。
偽ドミトリー三世の登場!って……
偽ドミトリー二世と敵対していたヴァシーリー四世。
彼は1610年、貴族の裏切りにあい、出家させられました。
そろそろいい加減にして欲しいのですが、またここで偽ドミトリー三世が登場します。
ご安心ください。これで最後かつ瞬時にして歴史から消えます。
偽ドミトリー三世は1611年に登場すると、コサックと手を組んで陰謀を企み、1612年に逮捕&処刑されました。
ただし、ツァーリの座はあいたまま。1613年、ロシアの大貴族たちはミハイル・ロマノフという16才の少年をその座につけます。
リューリク朝の血を引き、過去がクリーンな少年である彼が適切とされたのです。
そして彼を祖とするロマノフ朝は、20世紀のロシア革命まで存続することになります。
4人目の偽ドミトリーの系統が復活する可能性は、これがわずかながら残されていたのですからおそロシア。
偽ドミトリー一世と二世の妻であったマリナは、イヴァンという男児をその腕に抱えていました。
彼女はこの男児こそツァーリになるべきだと考えていました。
しかし母子はコサックに捕らわれ、イヴァンは処刑。彼女自身も、我が子の死から一年ほどで亡くなりました。
四番目の偽ドミトリーが現れることは、このあとありませんでした。
偽物が三人も出るというのがすごいというか面の皮が厚いというか……。
一人目はともかく、二人目以降は誰も信じていなかったでしょう。実際、彼らの正体も不明です。
気になるのは一人目と二人目の妻となったマリナです。
さすがにイケメンだったからアリだったの♪とかそういうワケじゃ……ないとまんざら言い切れないのがおそロシア。
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【参考文献】
マシューホワイト/住友進『殺戮の世界史: 人類が犯した100の大罪』(→amazon)










