新野千賀(祐椿尼)とは? 敵対していた一族の娘が直虎を産み、井伊家も救う【おんな城主 直虎人物事典③】

 

2017年大河ドラマ『おんな城主 直虎』の登場人物を解説する当コーナー。
第3回は主人公・井伊直虎の母であり、井伊直盛(なおもり)の妻でもある新野千賀(ちか・後に祐椿尼)にスポットを当てたい。
ドラマでは財前直見さんが演じられるこの女性は一体どんな人物だったのだろうか?

【TOP画像】浜松で開催された野外劇『直虎』(磯田道史脚本)より/左から千賀(山野はるみさん)・次郎法師(儘下笑美さん)・井伊直盛(斉藤ゆたかさん)

 

父は新野親矩(ちかのり)か 今川氏と井伊氏を結ぶ千賀

『井伊直平一代記』によれば、井伊直盛が人質として駿府に住んでいた頃、今川義元(直盛の烏帽子親でもある)の斡旋で新野千賀と結婚。彼女は今川家重臣・新野氏の娘であり、今川氏と井伊氏を結ぶ政略結婚でもあった。

政略結婚は、戦国時代には特段珍しいことではない。いや、むしろ武家ではごく自然なことであろう。たとえば『井伊家年譜』の井伊直氏のところには「母今川氏範妹」とあり、かなり以前から今川氏と井伊家の関係が深かったことがうかがえる。

ともかく、この千賀の実父・新野氏とは一体誰のことだったのか?
直盛が千賀と結婚した時、今川氏の重臣に新野親矩(ちかのり)がいた。通説では「新野千賀の兄」となっているが、彼女の輿入れが10代前半だったとすれば、今川家重臣であった兄(親矩)とは、いささか年が離れ過ぎていることになる。

むしろ「父」の可能性が高く、実際、『新野村誌』に掲載されている新野氏系図で、千賀は新野親矩の「娘」になっている。

静岡県御前崎市新野

 

方針転換を導いたとされる今川軍師の太原崇孚

そんな新野千賀が井伊直盛に嫁いで「井伊千賀」となったのは天文5年(1536年)以降のこと。
この頃、義元が今川家宗主となり、「井伊家と敵対するよりも味方にした方が得」という方針転換が行われたのであった。以前から関係の深い両家であると先に述べたが、国境に位置する井伊谷は今川から常に裏切りの対象として監視されており、同時に粛清なども行われていた。

これを確実な味方にすべく方針転換を導いたのは太原崇孚(たいげん そうふ)とも囁かれている。義元の軍師(相談役)として現代でも広く知られる僧侶であり、同じく井伊直虎の軍師的存在であった僧・南渓瑞聞と同じ臨済宗妙心寺派に属していた。

両者で話し合いが行われたという証左はなく、あくまで想像に過ぎないが、何らかの交渉事はあったのかもしれない。

 

嫡男を生む前に夫・直盛は桶狭間で殉死した

千賀が直盛と結婚すると、おとわ(幼少期の井伊直虎)は「井伊谷の井伊氏居館で生まれた」と伝わっている。千賀は、住み慣れた新野(駿府の新野屋敷か)を離れて井伊氏居館に住み、そこで井伊家宗主・直盛の妻として直虎を生んだ。
知り合いのいない井伊谷では、さぞかし心細かったことであろう。

心の支えは、夫・直盛しかいなかった可能性も否定できないばかりか、宗主に嫁いだからには1日でも早い嫡男の出産を周囲から期待されたハズ。
しかし、娘・おとわを生み、次の子を授かる前に、夫の井伊直盛は殉死してしまう。

1560年、「桶狭間の戦い」であった。

 

井伊直政に家を託し、女3人で育て上げる

結局、夫が死んだ千賀は、戦国時代の武家の習いで出家。

「祐椿尼(ゆうちんに)」と名乗って龍潭寺・塔頭の一宇である松岳院に住む。

松岳院跡(龍潭寺仁王門前の竹藪)

松岳院跡(龍潭寺仁王門前の竹藪)

松岳院に住んで、彼女は余生をノンビリ過ごした……ワケではない。
千賀が残した最大の功績。それこそが後の徳川四天王の一角を占める井伊直政であろう。

『井伊家伝記』には、祐椿尼と井伊直虎、しの(井伊直政の実母)が3名セットで登場、以下のように記されている。

【原文】「新野左馬助、中野信濃守、討死之後、次郎法師、地頭職御勤、祐椿尼公(直盛公之内室なり)、實母御揃、直政公御養育申候」
【訳】新野左馬助が討死した後は、次郎法師・祐椿尼・しのが揃って井伊直政を養育した

次郎法師とは直政の後見人でもあった主人公・井伊直虎のことであるが、年齢的にも立場的にも祐椿尼こと千賀がリーダー格であったことは、「祐椿尼」ではなく「祐椿尼公」と敬称を伴った表記であることからもうかがえる。

ちなみに、井伊直政の母であった「しの」は、夫の井伊直親が討たれても出家をせず、まだ年齢も若かったこともあり徳川家臣の松下源太郎と再婚を果たす。これにより跡継ぎがいなくなってしまった井伊家は一時途絶えてしまうが、後に井伊直親の子・虎松(井伊直政)が家康に引き立てられると、井伊家が再興。幕末まで徳川政権の中心にいたことは皆さんご存知であろう。

女3人で子(井伊直政)を守り(養育し)、再婚しても守り続けて家康に仕えさせる――彼女たちの戦略は「女ならではの戦い」であろう。
そして、その中心にいたのが祐椿尼(千賀)。ある意味「井伊家の敵」ともいえる今川氏庶子家の人間が、井伊家存続のために奮闘してくれたのであった。

龍潭寺の千賀の墓(右)と直虎の墓(左)

龍潭寺の千賀の墓(右)と直虎の墓(左)

 

直政の活躍を確認すると安心したかのように他界

直虎、しのと共に千賀が守ってきた虎松は、徳川家康に仕官すると井伊家を再興して「井伊万千代」と名乗った。
そして、天正6年(1578)3月7日に「鎧着初(よろいきぞめ)※1、2」を行い、翌8日の「田中城(静岡県藤枝市)攻め」で先陣を切って戦功をあげ、3000石から一気に1万石へと加増される。

この万千代の活躍に安心したのだろうか。同年7月15日、千賀は他界した。戒名は「松岳院殿壽窓祐椿大姉」で、享年不明。椿が好きだったことから、南渓和尚が「祐椿尼」と名付けたという。
椿といえば、後の浜松城となる引馬城で少し不思議な話が残っている。
蛇足であるが最後に加筆しておきたい。

『井伊家伝記』や『井伊直平公一代記』などによると引馬城主は井伊直平で飯尾豊前守が家老となっているが、学者によれば「引馬城主は飯尾豊前守」だという。

その飯尾豊前守の妻を「お田鶴(たづ)の方」と言い、悲劇的な最期を迎え(詳細はコチラへ、その死後、引馬城近くにある彼女の塚の周りに100本あまりの椿が植えられた。手植えしたと伝わるのは、徳川家康の正室・築山御前。
このことからお田鶴の方は「椿姫」とも呼ばれているが、学者によると「築山御前が引馬(浜松)に住んでいたことはない」という。

───では一体、誰が椿を植えたのか?
もしかして祐椿尼だったりして?
※1=鎧着初(よろいきぞめ)。具足始(ぐそくはじめ)ともいう。本来は吉日を選び、日の出を合図に始めたというが、戦国時代には初陣の前日、あるいは、初陣の出陣直前に行うようになっていた。

井伊万千代の鎧着初については、天正4年(1576)の「芝原合戦」の直前とする説もある。徳川家康の命を狙おうと忍び込んだ忍者を討ち取り、300石から一気に3000石に加増された。

※2=「昇る虎(朝日)と沈む虎(夕日)」とでも言おうか。「田中城攻め」から1週間も経たない13日、「越後の虎」と称された軍神・上杉謙信が没している。

 

【番外編】井伊家を救った千賀の一族、新野家のその後

新野親矩の長男・甚五郎は、紆余曲折を経て後北条氏の家臣となった。
このことを知った徳川家康は、井伊直政に「呼び寄せ申すべし」と言ったが、呼び寄せる前に悲劇が起きていた。
甚五郎は「小田原籠城之節戦死」をしてしまい、新野家は途絶えてしまったのである。

「小田原城の戦い」といえば、守備側(後北条氏)からの攻撃は太田氏房隊による蒲生氏郷陣への夜襲が唯一であり、一方、攻撃側(豊臣)からの仕掛けは井伊直政隊による蓑曲輪と捨曲輪への突撃が唯一だと言ってよい。
だとすると、井伊直政隊の誰かが、井伊直政の恩人の子である新野甚五郎を殺して、新野家を絶やしてしまったのかもしれない。

井伊直政は、その後悔や、「井伊家を救った情けの武将」である新野親矩への恩もあって、新野親矩の娘達を家臣に嫁がせている。また、直政の次男・直孝は新野親矩の娘達に10人扶持(1年分の米を10人分)を与えている。

 

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井伊直虎の生涯まとめ】大河ドラマ『おんな城主 直虎』を史実からスッキリ解説!
①「おとわ」が次郎法師を経て井伊直虎そして祐圓尼になるまで
井伊直盛とは? 主人公・直虎の父にして桶狭間に没した悲劇の武人
新野千賀(ちか)とは? 敵対していた一族の娘が直虎を産み、井伊家も救う
井伊直平とは? 一族の血を直虎から直政へと引き継いだ老練の将
南渓和尚とは? 井伊家を救った軍師的僧侶の知謀
井伊直親とは? 直虎の許婚者かつイケメン若武者が歩んだ流浪の道
小野政次とは? 井伊家との権力争いの末に勝ち取った34日間の天下
⑧井伊直親の妻・ひよ(しの)とは? そして彼女は井伊の赤鬼を送り出す
瀬戸方久とは? 今川氏真&徳川家康に取り入ったヤリ手商人
井伊直満とは? 赤鬼・井伊直政の祖父は非業の死を遂げる
小野政直とは? 井伊家乗っ取りを実行した親子の真意を考える
新野左馬助とは? 井伊の血脈を後世に残した気骨の武人
奥山朝利とは? 赤鬼・井伊直政の外祖父は桶狭間と共に没落するも……
中野直由とは? 宗主代行の重責を担った井伊庶子家の筆頭家系
龍宮小僧とは? 久留女木の棚田に伝わる河童伝説
今川義元とは? 井伊氏の命運を握った海道一の弓取り
今川氏真とは? 人質だった家康を頼り、親の仇・信長に蹴鞠を披露する不思議
寿桂尼とは? 直虎が手本にすべき女戦国大名はすぐそばにいた
竹千代(徳川家康)とは? 不遇の時代を耐えた幼き頃の懊悩と鷹狩の話
築山殿(瀬名姫)とは? 悪女とされる家康の正妻が夫へ送った最後の手紙
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㉖謎の山伏・松下常慶(安綱)とは? 家康のボディガードも務めたれっきとした武士

著者:戦国未来
戦国史と古代史に興味を持ち、お城や神社巡りを趣味とする浜松在住の歴史研究家。
モットーは「本を読むだけじゃ物足りない。現地へ行きたい」行動派。今後、全31回予定で「おんな城主 直虎 人物事典」を連載する。

自らも電子書籍を発行しており、代表作は『遠江井伊氏』『井伊直虎入門』『井伊直虎の十大秘密』の“直虎三部作”など。
公式サイトは「Sengoku Mirai’s 直虎の城」
https://naotora.amebaownd.com/
Sengoku Mirai s 直虎の城


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コメント

    • 匿名
    • 2016年 8月 12日

    家康も直政に養女(重臣の娘)を嫁がせているんですよね。
    一門衆への引き立てだけでなく、新参だが旧家で、それなりに影響力のある井伊家を徳川家に縛り付ける意図もあったのかな?と、つい思ってしまいました。

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