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週刊武春 飛鳥・奈良・平安時代

「◯◯の乱」「◯◯の役」にルールあり?昔の人は日本史の戦いをどう呼んだか調べてみた

更新日:

戦争や戦闘があったことを示す歴史の用語では、「~戦」、「~変」、「~役」と分けられていますが、厳密な「ルール」があるのかどうかということがネット上、話題になっていました。

「関ヶ原の……陣?なの」(BY石田三成)

石田三成「関ヶ原の…陣なの?」(絵・桂花)

 

江戸時代を示す「近世」という単語が、江戸時代においては「現代」という意味で使われていたとか、歴史用語の呼び方については、それ自体が歴史の研究テーマとなるおもしろい題材ですね。

で、「ネット上」では、戦争の区分は以下のようにされているようで、  今回の論争の元ネタであるらしいHPの「変や役はどう区分されるのか」 では、ざっと下のようにカテゴライズしています。

「戦・戦い・合戦」 … 戦争を表す時に一般的に用いられるものです。

「乱」 …… 戦の中でも特に朝廷や幕府に対しての反乱に用います。

「変」 …… 戦の中でも政治的な変革を起こした・企てたた時に用いられます。

「役」 …… 戦争のこと。一部、「外国・辺境地での戦争」と限定された説明がなされる事もあります。 しかし、国内・畿内での戦でも用いられるので、そういった限定な意味合いは無いでしょう。

「陣」 …… 陣を張るという事から転じたものか? 局地的な戦闘、城攻め等に用いられる様です。

    これをさらにコンパクトにしたツイッターが話題になり。

ねとらぼが「○○の変」と「○○の乱」の違いって? 日本史の勉強が捗る豆知識ツイートが話題に」

さらに、それに反論するツイートがたくさんされて、まとめられました。

「◯◯の乱」「◯◯の変」「◯◯の役」の違いに対するツッコミ

 

  結局、どうなっているんだってば! ということで、古代の日本書紀から江戸時代まで、こうした戦いがなんと呼ばれていたのかを調べてみました。

 結論からすると、たいしたルールはないってこと。有名な戦いになればなるほど「~の戦い」なんていちいち付けないということでしょうかね。

天皇が勝者なのに壬申の「乱」の理由は

 飛鳥時代の672年の「壬申の乱」 天武天皇(当時は大海人皇子)が現政権に反乱し、勝利する内戦。

 日本書紀の原文では「壬申年之役」と「役」を使用(複数箇所)しています。

 天武天皇が勝利しているのになぜ「乱」なのか、不思議ですよね。いったいいつから乱になったのか。

 明治3年に、敗者の大友皇子が「弘文天皇」として「天皇」に認められたので、「天皇に対する皇子の反乱」ということにせざるをえなくなって、「壬申の役」が「壬申の乱」にかわっちゃったんでしょうね。

 

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日本初の独立戦争「将門の乱」

 

 935年の「将門の乱」。平将門が関東で「新皇」を名乗った前代未聞の独立戦争

  「国を傾けるの謀」(『将門記』天慶二年十二月十五日に将門が太政大臣に送った弁明の手紙)
 「彼の賊難」(『将門記』天皇の詔)
 と同時平行に進んでいるときには「なんとかの乱」と用語化されていません。当たり前か。

 のちの時代になると、 平安後期の歴史物語『大鏡』では、「将門が乱」 鎌倉初期の軍記物『保元物語』では、「将門・純友 東西に乱逆いたし」 なので、「乱」でOKでしょうね。

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放火が「変」って変な感じ

 866年の応天門の変 都の門が放火された事件です。

 実際のバトルがあったわけではありません。

 『宇治拾遺物語』では「応天門を焼くこと」、『伴大納言絵巻』では、「貞観の応天門炎上の段」として、「変」というより「炎上」の現象面での表現。

 この事件は、放火犯とされた貴族が冤罪っぽかったりと、たんなる事件ではなく、「政変」の様相が強いので、意味付けられて、こうなったのでしょうね。

「役」が「合戦」かそれが問題だ

 1051年からの「前九年・後三年の役」。東北の豪族と源氏が長年にわたり戦いました。 「前九年」と後ろになにもつけないのがデフォ。

 同時代に近い『陸奥話記』では「前九年絵」(前九年の戦いをかいた絵=国立歴史民俗博物館などが所蔵する「前九年合戦絵詞」のこと)と表現。

前九年合戦絵詞(国立歴史民俗博物館のHPより)

前九年合戦絵詞(国立歴史民俗博物館のHPより)

 江戸時代の『仮名手本忠臣蔵』も「前九年」。 あえて、言えば、鎌倉時代の説話集『十訓抄』では「たびたび合戦に」や「軍(いくさ)の物語」とあるので、「前九年の役」よりは「前九年合戦」のほうがすわりがいいかもしれません。

 後三年についても『保元物語』で「後三年の御合戦」、「後三年の軍(いくさ)あり」、『太平記』でも「後三年の軍の時」とありますので、「~合戦」がよさそうですね。

関ヶ原は「陣」か?

 新しい時代の戦争については、史料がたくさんありすぎるので、関ヶ原だけでご勘弁(力尽きました~笑)。 1600年の「関ヶ原の戦い」は、江戸時代の井原西鶴は『武家義理物語』などで「関が原の陣」としています。もっとも当時の人は「関ヶ原」=「関ヶ原の戦い」なので、前九年同様に、いちいち「~合戦」とか付けないケースもあります。        

関ヶ原アイキャッチ

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歴史作家 恵美嘉樹・記

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